九十九話 臨戦態勢

「先生、先生!大変だ!」


朝、笮融が急いで典黙府へ駆け込んだ


「どうした?お前ん家でも燃えたのか?」

眠たい目を擦りながら典韋が笮融を見下ろして聞いた。


目の前の典韋から異様な圧迫感が笮融を息苦しく感じさせた。


笮融「典将軍、おはようございます。先生に合わせてください、大事な用があります!」


典韋「はァ?お前になんの用があるってんだ、弟はまだ寝てる、起こしたらぶっ飛ばすぞ!ってか誰?」


笮融「笮融です…」


典韋「そっか、よろしくな!中で静かに待ってろ」


釘をさしてから典韋は扉を開けて笮融を客堂へ通した。


笮融が客堂で小さくなって静かに待っていると二時間後に奥の方から物音と声が聞こえて来た。


「もうすぐ戦争が始まる、一度徐州に居るお兄さんの所へ行きな、ついでに僕らの事も報告すべきだ」

起きたばかりの典黙は糜貞に服を着せてもらいながら言った。


「わかりました、旦那様も気を付けてくださいね」

典黙の身支度をしている糜貞からほんのりいい香りが漂って来た。


糜貞「旦那様、昭姫姉さんのことがお好きですか?最近よく一緒に居るのを見かけます」


典黙「なんだよ、ヤキモチか?」


糜貞「いえ、旦那様なら将来はきっとお嫁をいっぱい娶るでしょ?男が妻子を多く持つのは当たり前の事ですし嫉妬なんかしませんよ」

糜貞は世間話のように淡々と話し、少しも嫉妬の雰囲気を感じさせなかった。


典黙「好きか…まぁお互い同じ目標目掛けて努力しているし、話が合う友達?みたいな?」


糜貞「どういうお付き合いをするかは旦那様がお決めになればいいですよ、言い訳しなくても大丈夫です。お口が上手ですね」


典黙「おいおい、お口上手なのは君の方だろ?アッハッハッハッハッ」


糜貞「もう……!」


胸板を糜貞に拳でポンポン叩かれる典黙は幸せを実感していた。


身支度して外へ出た典黙は扉を開けるとそこに焦燥している笮融の姿が目に入った。


典黙「うわぁっ!……なんだよ、どしてここに居るの?笮融」


笮融「おはようございます、やっと来ましたか先生!大変なことが起こりましたよ!」


典黙「大変な事?お前ん家でも燃えたのか?」


なんだよこの兄弟二人揃って、呪いか?私を呪ってるのか?

笮融が気を取り直して事情を説明し始めた

「先生、丞相の出征名簿に私の名前が載っていません!私は先生の下僕で先生について行けないのはありえません!」

笮融からしてみれば出征について行く事で武功を挙げるのは重要な事。それが出来なければ家が火事になるよりも大事。


小沛に居た頃危険を顧みずに間者の役割を引き受けたのも武功を挙げるためにやった事。

やっと典黙の下僕になったのに出征について行けないなんて……

笮融はそれを受け入れられなかった。


「あっ、その事ね、僕が丞相にお願いしたのだ」

典黙が大きく欠伸をしながら言った。


「先生!どうしてそんな事をしたのですか?徐州から先生は私の心ではこの上無い存在で、そのお姿はまるでさんざんと輝く星々や月よりも明るく、私を引き付け。私はとの出会い、先生から教えを請うのが遅かったのを悔やむばかりです。どうか見捨てないでください!」

笮融は泣きわめき、寝転がって典黙の足にしがみつき、典黙の裾で涙と鼻水を拭きながら言った。


典黙「あぁもう!うるさい、うるさい」

典黙は笮融を足蹴して再び口を開いた

「もちろん意図があってそうしたでしょ?君にはとても重要な役割を果たしてもらうよ!事が上手くいけばその功績は本作戦随一!」


スーッ

そう聞くと笮融は急いで立ち上がり

「やはり先生は私を大事になさいましたか!お聞かせください!」


典黙が計画の一部始終を笮融に耳打ちすると、笮融は最初こそ意気揚々としたが次にその顔色を緊張や不安の色で塗り潰した。


「安心しな、後方から支援するから!ねっ!」

典黙は笮融の肩をポンポンと叩きながら言った

「何か質問は?」


笮融「行かなくても良いですか?」

典黙「ダメ」


笮融「先生、私は決して命が惜しい訳ではありませんが呂布たちは私の顔を知っています!万が一遭遇したら絶対死にます!」


典黙「アホ、変装すればいいでしょ?ほらっこの髪や髭を剃ってしまえばお坊さんのフリもできるし」


笮融「先生!身体髪肌は親より受け賜った物、自ら傷つけてはいけません!」

典黙「事が上手くいけば必ず九卿の席を用意しよう!」

笮融「私は幼き頃より仏教に大変な興味を持っていました!やりましょう!僧侶に成り切ります!」


笮融の手の平返しは本の一瞬の出来事だった。


笮融は最初名簿を見て自分の名前が無い理由が、高順の件で自分の失言によるものだと思っていた。

なるほど私が別働隊!ならその期待を裏切るわけにはいかない!先生、見ていてください!私の活躍を!


「速く行きな、袁術の五万大軍が召陵に到着すれば城門が閉じられてしまうよ」

典黙は自分で勝手に感動する笮融を催促した。


笮融「先生、しばらくの間、私が近くに居れないからくれぐれもお身体に気をつけてくださいね」

典黙「はいはい」

笮融「秋も深まって来ました、暖かくするのですよ」

典黙「はいはい」

笮融「あぁ、私が戻って来たら先生が痩せていたらどうしよう…」

典黙「兄さん、僕の青釭剣を持って来て!小うるさい蝿を斬るから!」


笮融「ではっ」

笮融は一目散に逃げた。


典黙「ふっ無駄口ばかり無駄に多いヤツ……」


三日後、早馬の報告によると袁術は自ら大軍を率い北上した。


曹操の方は既に準備万端、劉協の形上の宣誓を受け五万の大軍が臨穎にむかった。


残り数千の兵を夏侯淵が率いて南の魯陽に向かわせた。

賈詡も夏侯淵と共に魯陽に送られ、当面荊州兵の脅威は気にしなくて済む。


臨穎から召陵まで約百里、当然全軍を召陵に入れる訳には行かない。

袁術軍は兵力の分がある上、臨穎から三十里の道に野営を二つ造らせた。

野営ができ、八万の大軍は臨穎と野営に散らばり、互いに掎角の勢いを成した。

袁術も準備万端、だがいきなり攻城戦を始めては自分も痛手を被る。


袁術は連日、数百の騎兵を出して臨穎の城門前で曹操に罵声を浴びせた。

曹操は祖先の第まで罵られ、典黙も思わず同情していた。

曹操自身はさほど気にしていないが典韋と許褚は我慢出来ずに飛び出そうとした。


「子盛、仲康!待って、大事を成す者がそんな小さい器をしてどうする、今は未だ時じゃない。袁術らは遠征だ、時間がかかればかかるほどこちらが有利になる、ヤツらは焦っているのだ。それに初戦は重要だ、絶対勝つと分かるまでは何もするな」

曹操は諭すように二人を止めた。


典韋「丞相がそう言うなら…」

許褚「罵られた本人が気にしないなら…」


曹操「あぁ、今は待とう!」

笑顔を見せる曹操の脳天に青筋が浮かび上がっていた…

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