九十七話 劉琦の決断

荊州の南陽、軍営の練兵広場では、馬に跨ってる関羽が青龍偃月刀を四十半ばの男目掛けて振り下ろした。


カキーンという強烈な音が鳴り響いた後、関羽は更に左右から横斬りを二回繰り出していた。


数手後に関羽は目の前の男が見た目通りの優しい老人では無いと悟った。


関羽の使う刀法は春秋十八刀と言う、最初の三撃は龍のように力強く俊敏。

後世は皆彼を三刀斬将と呼ぶ、関羽から三太刀を受け切ればそこからの勝負はわからなくなる。


しかし目の前の老人は鮮血のように赤い大刀で自分の三撃を受け切った、つまりその実力は自分と互角か……


関羽の予想通り、そこから二人は百手近く戦いやはり勝敗は着かなかった。


「荊州はやはり人材集まる地、漢昇の刀法も二弟と互角とはな…」

劉備の目が二人の戦いに釘付けていた、まさか刀法で関羽と並ぶ者がいるとは思わなかった。


今の黄忠は未だ四十五六、絶頂期を過ぎたとは言えど未だ衰える前。

黄忠の実力が強く、いつも傲慢な関羽でも内心ではその実力を認めていた。


「ハハッ皇叔の言う通りです、漢昇は我が荊州軍では人望高く、その武力も群を抜いてます!正直に言って僕も漢昇がここまで手こずる相手が居るとは思いませんでした!」

劉琦は笑いながら言った。


そして関羽と黄忠の二人は百五十手を過ぎ、互いに刃を収めた。


「漢昇、素晴らしい戦いであった!」

劉備が黄忠の所へ向かい労いの言葉をかける


黄忠「ありがとうございます皇叔、この老体は既に風前の灯火ですぞ」


平均寿命三十五歳の後漢では確かに自分を老体と言うのは間違いではない。


劉備「いやいや、かつての廉頗は六十を過ぎても尚勇ましい、漢昇にはまだまだこれからも活躍してもらいますぞ」


そして劉備は黄忠を連れて練兵広場の横の亭に向かい、洗脳を始めた。

「漢昇は名を忠、字名を漢昇としたのはつまり忠心を持ち漢を揚ると言う事でしょう!備はここ数年無駄足ばかりを踏み未だ武功を挙げることができなかった。そして囚われた天子の事を思うと心苦しくこの上ない。これから漢昇将軍のご助力を得れば必ず天子を救うことが出来ます!」


さすが話術にたける劉備、少し話すだけで二人の距離を詰めた。


劉琦もあまり気にしなかった、彼もまた武功を挙げて荊州での立ち位置を改善する必要があったから。


伝令兵「急報!」


和気あいあいで話していると伝令兵が走って来て竹簡を劉琦へ渡した。


劉琦は竹簡を手に持ち開いて中を見るとその目は笑みから緊張へとそして最後には恐慌へと変わった。


劉琦「袁術が……帝を名乗った!」

劉備「何!?」


劉備は慌てて竹簡を手に取り中を確認すると魂が抜けていった。


「不味い事になった、袁術が帝と名乗れば我々はこれ以上同盟を組めない。そして曹操が逆賊を討つ名目で袁術と戦っても我々は手を出せない、出せば同じく逆賊になってしまう!」

劉琦は絶望した顔で呟いた。


「恐らくこの後父上から帰還の命令が来るだろう、襄陽へ帰ればもう出兵の機会が無くなる!」

絶望した劉琦は机に拳を振り下ろした。


劉表の歳は既に五十を過ぎ、身体もだいぶ衰えていた。

このままでは劉琦は後継を蔡家に奪われる事は目に見えてわかる。


劉琦はもちろん、劉備も関羽も張飛もその結果を避けたい思いで居た。

蔡瑁一味が劉備らを嫌っている事を自覚していたからだ。


劉備「……」


関羽「公子、ここで帰れば蔡瑁の毒の手に遭うのは間違いないだろう。我々の本来の目的は公子が武功を挙げて威厳を作り上げる事です、そうなれば蔡瑁も簡単に手を出せなくなる…しかし…はぁ…」

劉備が意見を述べずらい状況を察したか、関羽が口を開いた。


関羽の話を聞いた劉琦は眼角から一行の泪を流した。


張飛「そんなもん関係ねぇ!将、外にありては君命も受けざる!ここに居ろ!蔡瑁が兵を連れて来たら俺がぶち殺してやる!」


関羽「翼徳、そうもいかない。公子が帰らなければ不孝の汚名を着せられる、仮にそれが蔡瑁の差し金であってもだ」

関羽は悲しそうな顔を劉琦に見せた。


張飛「じゃさぁ、病にかかったって嘘つけばいいだろ?嘘も方便だろ」


劉備たちも散々氏族に会おうとその理由で断れて来たから、張飛もいつの間にかその手段を覚えたのだ。


この提案に劉琦は一抹の迷いを生じた。


関羽は無言で何かを考える劉備を見てあえて張飛の意見に反対意見を述べる

「公子が病の嘘で誤魔化せるが兄者は同じ手を使えないだろ、兄者は命令されればが帰らなくては不義の汚名を被る事になる」


劉琦は劉備にこの案を賛成して欲しそうに劉備を見つめた。

劉琦もせっかく三万の軍勢を率いここまで来たので武功を挙げたかった。


少なくとも劉琦は戦の経験がなく、劉備が居なければ自分では戦い方を知らない。


「ダメだ次兄、このまま公子を帰せば彼を崖から突き落とすようなもの!それが仁義だとでも言うのか?!」

張飛もすぐ関羽の意を汲んで二人で言い争いを演じれば劉琦を巻き込めると思った。


息ピッタリだ!関羽は内心で喜び、更に張飛と意見をぶつけ合った。


揺れ動く劉琦を見て劉備はそろそろ落とし所だと気づき、口を開いた

「公子、これは景昇殿の身内事、我々が口を出すべきではないかと思います。だがしかし、私が景昇殿の命令を受け取れなければ、このまま引き続き南陽にて公子のお供ができます」


言い終わると劉備は拱手し、ここから立ち去った。


せっかくの機会を無に帰すのは勿体ない、劉琦は失望してフラフラになり倒れそうになった。


ここだ!関羽は急いで劉琦の横へ行き、こっそり劉琦に打開策を教えた

「公子、公子は病と偽り、荊州からの手紙を兄者に見せなければ全てが丸く収まります!」


劉琦は関羽を見てから立ち去った劉備の後ろ姿を見て全てを悟った。


「なるほど!ありがとうございます!」

泥船に載せられた自覚もなく劉琦は関羽に礼を言って再び困難に立ち向かう勇気を持った。

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