八十六話 己吾侯
深夜、典黙は自宅に一人で地図を見ていた
「橋蕤が三万の兵で汝南に駐屯してるのか…汝南は豫州最大の郡、早く取り戻さないとそこを拠点に淮南軍が大量になだれ込んで来るな…そこを前線にされては地の利が完全に袁術の物になってしまう……フゥー」
ため息混じりの独り言が響く部屋に典韋が竹簡を持って走って入って来た
典韋「おーい!主公から手紙来てるぞ!」
典黙「おっ?何って書いてあるんだ?」
典韋は竹簡を典黙へ差し出して
「お前に言われて昭姫ちゃんから読み書きを教わってるけどよ、まだ時間がかかりそうだ……エッへへへ」
典黙は笑いながら首を横に振り、竹簡を開いた。
「ほぅ…大形は予想通りだ、主公は小沛を占領して呂布は千名程度の残兵と共に淮南の袁術の処へ逃げた。主公はおそらく五日もあれば許昌に着くだろう」
いい知らせだった、徐州が安定すれば軍備拡大と兵糧集めも今までより遥かにし易い。
典韋「えっそれだけ?まだ何か書いてあるじゃん、教えてよ」
典黙「兄さんには読み書きと兵法を覚える事を頑張って欲しいと書いてあるよ、アッハハハ」
典韋「そんな冗談はいいから、速く教えてよ」
典黙「本当の事だよ兄さん、主公は兄さんを大事にしてるね。その期待に応えよう!僕も協力するから」
典韋「……あぁ!知育の恩だ!お前同様に守るぜ!」
典黙は竹簡を横へ投げ捨て、典韋を連れて庭へ向かった。
心地良い秋風に当たり、典黙は感慨深く語った
「兄さんは既に定北大将軍、その上は車騎大将軍だ。この車騎大将軍とは爵位で言えば三公と同じ、しかも率いる将兵の数も今までとは段違い優れた統率力が必要になって来る!」
典黙は深呼吸してから
「兄さんは戦場に出て闘う事は優れているが未だ統率力に欠けるね。車騎大将軍になりたいならせめて兵法が読めるようにならなくてはいけない。単独行動の時一々手紙で僕か主公に聞いていたら間に合わないでしょ?」
「あぁ……」
典韋は珍しく真剣そうな顔で答えた。
「ねっ勉強の裏技とかってねぇのか?」
典韋の真剣さは一分も持たなかった……
典黙「そんな物あるわけないでしょ兄さん!とりあえず暇があれば昭姫ちゃんの処へ行って着実に成長しよう。兵法で分からないものがあれば僕か主公に聞くといい」
五日が経ち曹操の一行は許昌に凱旋した。
徐州に向かった時は五万人だった兵が帰還したのは一万余りだった。
徐州に残した二万の駐屯兵を勘定に入れれば受け入れる事ができる結果だった。
今の許昌では帰還した一万の兵に加え淮南の捕虜も居る、これならすぐに別の所から攻められる心配もなく、すぐにでも兵を募らせることも出来る。
曹操は天子剣を返納する時に荀彧に書かせた勅令も渡していた。
劉協はただ操り人形の様に言われるがままに伝国璽のレプリカでその勅令に印を押してそれを読み上げた。
「曹操は徐州を取り戻し、逆賊陶商、劉備、呂布を打ち負かし、その功労を称え曹操を驃騎大将軍に任命し、丞相に拝命する」
曹操のこの行動には政治上大いなる意味が込められていた。
丞相の役職を徐州平定の武功と引き換えであれば誰にも文句を言われることも無く、そして次の目標へ更に一歩近づく事にもなる。
漢高祖劉邦が最初に立てていた白馬の盟、すなわち異姓が王になってはいけない。
曹操はこの規則を自らの武功で打ち破るのもそう遠くない将来と見据えていた。
夜になって祝宴が開かれていた
「丞相!徐州の奪還おめでとうございます!」
皆が祝杯をあげる時には丞相の呼び方が既に定着していた。
「否、この一杯目はまず子寂が飲むべきだ。君が居なければ我々は徐州どころか許昌も危なかった。子寂、感謝するぞ!」
曹操の話を聞いた場の皆は典黙の方を向きを変えた。
郭嘉は杯を持ち典黙の横に座り
「子寂、別れの際、酒奢る約束なんだけどもちろん今日だけで済まさないよな!でも今日もタダでは帰さないよ!あっ、誤解するなよどっちかが潰れるまで帰さないという話さ!」
典韋「おう!酒ヤクザ、とことん付き合うぜ!」
典韋は空かさず間に割り込み、仁義なき戦いが今にも始まろうとしていた!
「子寂よ、君が嫌がるだろうけど我にも考えがあるんだ。この度の武功は褒賞をやらないとここにいる皆に恨まれるかもしれないからな!」
どんちゃん騒ぎの中曹操は典黙の方を遠くから声をかけた。
「そうですよ!軍師殿が受け取らねば我々はどの面下げて褒賞を受け取れますか!」
典黙ファン第一号の曹仁も声を上げた。
典黙「丞相あの……」
「これは通達であって話の余地は無い!」
曹操は手を振り上げ典黙の話を遮って言った。
そしてそのまま続けに
「心配するな、朝廷の役職が嫌なら身分くらいは良いだろう!陛下に掛け合った所明日から君は己吾侯となる!」
「おおお!おめでとうございます軍師殿!」
「やっと相応しい身分が付いてきたな!」
「三公九卿でもおかしくないのにケチだな陛下は…」
「むしろ今までがずっと平民なのが不思議なくらいだ!」
歓声で沸いた宴会場で夏侯淵と楽進も遂に曹仁と典黙の間に割り込み
「俺も先生と御一緒したいです!」
「勝手ながら参加します!」
一人用の机に五六人が集まり出して。
いやっ狭いよ……典黙は心の中でツッコミを入れながらもこの状況を楽しんでいた。
典黙「丞相のご好意痛み入ります!」
曹操「素直でよろしい!ところで陥陣営は何とかできないのか?あれだけの戦力だ勿体ない事はしたくない。洗脳と人心掌握も君の得意分野だろ?そのために殺さずに生け捕りの策を出したのではないのか?」
歴史上の陥陣営も高順、張遼と共に捕虜になったが屈服よりも死を選んだ高順と共に処刑された。
それが勿体ないと感じた典黙は転生後なんとか出来ないかと思って生け捕りの策を出したが正直なんの手立ても無かった。
でもその行いは他の人から見れば屈服させる何かがあると思われてもおかしくない。
約一名を除いて、全員の期待する目を見て典黙は断れずに手にある杯を回しながら
「わかりました、何とかしてみます…」
曹操「子寂すら屈服させられないのならそれもまた運命…あまり気負わずにな、その時はちゃんと送って殺ろう…」
典韋「主公!あっ、ちげー…丞相!任せてくださいよ!弟にできない事は何一つ無いぜ!アッハハハ!」
笮融「先生、丞相の言う通りです!あまり気負わずに行きましょ……」
典韋「誰だお前!」
笮融「笮融です…」
典韋「笮融か、今日からよろしくな!」
笮融「……前にもお会いしました」
典黙「兄さん酔すぎ、僕も万能では無いのですよ……」
酔っ払った典韋は易々と引き受けたが典黙は少し心配していた。
典黙も本気で陥陣営が欲しいと思っていたがどこから説得すればいいのか必死に考えていた。
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