八十四話 虚弱体質

夏侯惇「主公、この度の作戦で我が軍は死者七千、重傷二千、軽傷五千二百名の被害で敵一万二千を殲滅し四千の捕虜を捕縛しました!呂布は千名余りの残党を率い南の方へ逃亡しました。」

小沛の議政庁内、夏侯惇が作戦後の統計を逐一報告した。


この数字は曹操を驚かせていた、自軍の奇襲作戦が成功したにも関わらずこれほどの損害が出たという事はつまり呂布軍の戦闘能力が自軍よりも高い。


それでも濮陽の戦いと違って、呂布軍を徹底的に粉砕した事になった。

仮に呂布は時間をかけて再び募兵してもその新兵にこれほどの戦力は出せないだろう。


それに小沛を手にした事で徐州の側面脅威を取り除けた。

全体的に見れば多くの犠牲を払った価値はあった。


「戦争に犠牲は付き物だ…それより呂布を取り逃した事が残念だ」

曹操はこの結果に少し満足がいかない様子だった。


張繍「呂布を取り逃しましたが高順と彼の率いる陥陣営を捕虜に取りました!牙を抜かれた呂布はもうおそるるに足らずかと思います」


張繍の言い分は言い訳に聞こえるかもしれないがそれもまた事実。


于禁「祐維の言う通りだ、小沛を奇襲にかける時陥陣営が殿軍していなかったら呂布の主力部隊は軍営から出れなかっただろう!我々の多くの兵は陥陣営に殺られていました!」


曹操は于禁をチラッと見て

「しかしこの高順…我に投降するより死を選ぶと来た!元譲と文謙も何度も無駄足を踏まされた」


「更に、捕虜となった五百の陥陣営も高順と一緒に死を選ぶと言っていました…」

楽進は残念そうに首を横に振りながら言った。


捕虜になっても気骨を持ち続ける陥陣営を見れば高順の統率力が伺える。


何とか説得して貰おうと、曹操は助けを求める目を賈詡へ向けた瞬間にタヌキ賈詡は責任から逃れようと

「主公、高順は元々丁原と共に関中へ来て、その後呂布と共に董卓の配下に加わりました。私も面識こそありますが仲良くはありません」


笮融「クズ人間です!主公、クズ人間です!」

高順の事になると笮融は出しゃばり、飛び跳ねて叫んでいた。


曹操「我が…なんだと?」

笮融「あっいやいやいや違います!高順の事です!コイツは小沛に居た頃毎日毎日主公の悪口を言っていました!私が身を呈して反論すると鞭で打たれました!ヨヨヨ」


「我に仕えぬと言うなら仕方ない、残しておいても後々脅威になるかもしれない……」

曹操は顎を擦りながら場に居る人々を見渡した。

しばらく沈黙の後、反論がないと知り

「ならばそうしよう、実に惜しい人材ではあるが、その統率力を敵に回したくない」


郭嘉「お待ちください!一度許昌へ連れて子寂と相談しましょう!彼でも打つ手が無ければ仕方ないがその時に然るべき措置を取りましょう!」


郭嘉の言う事も理にかなうと思い、曹操は頷いてから机にある湯呑みを手に取り、お茶を啜った。


曹操「そういえば北の国々の情報はあるか?」


荀彧「公孫瓚は袁紹との激戦を繰り広げ、界橋、龍奏で大敗をしてから日に日に勢いが衰え、来年の秋には決着が付くと思います」

荀彧ははっきりとどっちが勝つかを言わなかったがその言い方から皆はある程度予想ができた。


「つまりは来年の秋までに淮南を平定しなくてはいけない。北に袁紹南に袁術、呂布の挟み撃ちはなんとしても避けねばならない!」

曹操は左掌に右拳を打ち、やる気満々に言った。


四方八方至る所で戦火が立ち上る中、袁紹が北国四州を統一した次の標的は自分だと曹操は薄々気づいていた。


曹操の言外の意味は皆に気を引き締めるよう促した。

それと同時に、目の前の勝利に浮かれるなと自分に言い聞かせた。


曹操「決めた!後日に許昌に戻る!徐州の方は元譲、文則!お主らが二万の兵で守れ。仲徳!お主は子寂の農耕政策を広め、兵糧を集め兵を募らせよう!」


「はい!」

夏侯惇、于禁、程昱ら三人が列から前へ出て拱手し命令を受けた。


一方、許昌の方で典黙の暮らしは享受そのものだった。

軍議や政治を顧みず、東観令という閑職に救われ朝廷の朝議にも参加しない。


典黙は有り余った時間を贅沢に使っていた。

例えば、鼻の下を延ばしながら糜貞に文字の読み書きを教えながら大人の遊びも教えていた。


典黙の熱心な教育が功を奏したのか、最初は何をしても恥ずかしそうにしていた糜貞は最近では夕暮れの時に自ら典黙の裾を引っ張り照れながら

「旦那様の零れ松葉はもう少し練習が必要みたいですね!」


典黙「徐州に戻るんじゃなかったのか?お兄さんが心配してるでしょ?」


糜貞「もう少しだけ待たせても大丈夫です…」


糜貞の勤勉さは見上げたものだな……


糜貞とのお勉強会以外にはマトモな事ももちろん勤しんでいる。

例えば、蔡琰と天下情勢や教育事業のやり方と士族による統治を改革させる方法など。

これらの先進的な思想が蔡琰の心を奪い始めていた。


士族たちは後漢乱世から前代未聞な力を手にしていた。

彼らの手には大量な土地、金銭、糧食が集まり、罪を犯しても許される。

知識や学問を独占してはその教え子たちで更に自家の力を得て次の世代へ貯え、子々孫々へ継承して行く。

四世三公の袁術や袁紹がそのいい例。


これらの士族の支配を断つには兵法だけでは物足りない。

一番いい方法が文化や学識の独占を断つ。


蔡琰の暗記している書籍を天下全土に広げるには竹簡ではどうしても力不足、紙が必要だった


実は紙の発明は初漢では既に行われていた、後漢になってから蔡倫によって木の皮、漁網、麻布などで更に改良された。

しかしこの方法で作られた紙は強度が足らず、筆を下ろすと墨はすぐに広がってしまう上に湿度が高い日になると崩れてしまう。


典黙は早速紙造りに取り掛かった。

方法は蔡倫のと変わらないが材料を少し変えていた。

木の皮を青檀に限定してそこから石灰岩も入れて現代の紙を再現した。


欧鉄の協力もあって僅か半月の実験を経てこの紙が量産され始めた。


蔡琰「典公子本当にすごいです!この紙は墨を広がらせない上濡れてもすぐには崩れません!この強度があれば文字を永く保存できます!」


新しく造られた紙を宝物のように持蔡琰はとても喜んでいた。

彼女は典黙の真の狙いを未だ知らずにただ単に自分の知識を記す事ができると思っていた。

そして典黙の真の狙いとは蔡琰の持つ知識を天下に広める事だった。


「そうだね!そして書物として使うには昭姫ちゃんの力が必要だ、これから苦労をかけるね」

典黙は背筋を伸ばしながら自分で肩を揉みほぐして言った。


「苦労だなんてとんでもないです!でも確かに暗記している千冊の書物を書き出してから、できるだけ多く写すには髪が白くなるかもしれません…」

笑って話す蔡琰はまるで蓮の花のように清純で気品があり、少し儚げだった。


典黙「あぁ、先ずは書き出すことだけを考えればいいよ。複製するのは僕が何とかするよ!」


蔡琰は典黙を見ながら二回頷いた。


彼女の予想では典黙はおそらく兵力を使い全軍で複写に協力させるだろう。

しかし現実はそう上手く行かない、読み書きができると人なら始めから兵士にはならなかったから。


夕方になり、典黙も自宅へ帰った。

家に着くと糜貞は既にお食事を用意していた。机に並ぶスッポン鍋、焼き牡蠣、虎鞭鍋などを見れば典黙は内心で覚悟を決めていた。


「旦那様、たくさん召し上がってね!最近の旦那様は少し虚弱体質になりつつあるので、私とても心配です!」

野に咲く菜の花のように糜貞は明るく元気に笑っていた。


「あっうん、虚弱体質ね…お陰様でね」

からかわれた典黙は死んだ目をしながら精のつく料理を口にかき込む。


糜貞「そういえば旦那様、客堂で旦那様を待っている人が居ますよ!」


典黙「客?」

食事が済むと典黙は眉間に皺を寄せて客堂の方は赴いた。

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