八十三話 三人目の義父

「だから天子など放って置けば良かったとあれ程言ったんだ!」

淮南寿春の議政庁内、報告を受けた袁術は穏やかじゃなかった。

袁術は竹簡を机に叩きつけて激怒した。

「三万人の大軍も勇義失った!一体どういう事だ!!」


出発する前に袁術は汝南の占領だけを命じた、紀霊は軍命に逆らうはずがない。

袁術が考えられる結論はただ一つ…


袁術は閻象を睨みつけて居た、天子を奪還する事を言い出したのは彼だったから。


閻象「主公、紀霊将軍が出発して以来は私から連絡はとりませんでした」

武勲を急いだ袁涣が勝手に動いたんだろと、疑いをかけられた閻象は薄々気づいた。


袁涣は閻象とは意見が合わないことが多いが天子奪還のことに関しては珍しく意見が合致していた。

ただ一つ、まさか典黙が一夜の内に計略を二つ駆使して連環の計を作り出すことは予測できなかった。

更にこの連環の計の周到さは恐ろしく、袁涣はもちろん、仮に現場に居たのは自分でも結末は同じだっただろう。


紀霊が戦死しても三万大軍が全滅しても正直閻象は心苦しいが絶望はしなかった。

本当に閻象を恐怖にさせたのは典黙だった。


曹操が徐州を手に入れれば次の標的は間違えなくここ淮南!そうなれば自然と彼と対局しなくてはならない、正直勝算は高くない。


閻象の言う事も理にかなうと理解した袁術はため息つきながら机にある錦箱を開いて伝国璽を手に取り胸に抱き抱えた。

そうする事でわずかならがも慰めを得た。


袁術「伯符は未だ戻らないのか?曲阿に行ってからだいぶ日にちが立っただろう…」

紀霊の死が軍心を揺るがす今、紀霊の代わりに孫策なら三軍主将を任せられると思った袁術は閻象に聞いた。


「孫策がまた戻って来ると本当に思いますか?」

閻象は落ち込む袁術に対して少しも気を使わずに聞き返した。


「どういう意味だ?」


「孫策は心に大志を抱き、独立を企み伝国璽で自由の身を得たのです。私の読みが正しければ彼は今、曲阿ではなく自分の土地を切り開いているでしょう」


袁術は唾を吐き捨て

「ふんっ!嫌なやつだ、せっかく義子にでもしてやろうと思ったのに、恩を仇で返すのか」


袁術は伝国璽を抱えながら武将の列を見渡した

劉勲、張勲、雷薄、陳蘭などの猛将は目に入ったがどれも上将の器ではなかった。


袁術はちゃんと状況を理解していた、もうすぐ曹操とぶつかる事も、今は何よりも名の知れた上将が必要である事も。


まぁいいかっ…とりあえず軍心を安定させてから他の事を考えよう!

袁術「勇義は死んでも降参しなかった、皆これを見習って欲しい!あとあれだ、全軍三日間酒宴など禁止して紀霊将軍を弔うように伝令を出せ」


全員「はい」


袁術はこめかみを揉みながら伝国璽を愛でて現実逃避していた。


伝令兵「報告!曹操軍が小沛を占拠し、呂布が残党千名余りで関所の門を叩いております!」


呂布が!?

渡りに船とはこの事だろう…

正直袁術は呂布の事をあまり良く思っていなかったが紀霊が亡き今、その天下無敵の勇猛さが必要だった。


袁術「通せ!」

伝令兵「はい!」

命令を受けた伝令兵が下がろうとした時に何を思ったか袁術はそれを止めた

「待って!ワシが直々にヤツを迎え入れよ」


それを見た閻象はすぐに前へ出て

「主公!いけません!呂布とは無常な卑怯者、迎え入れるのは狼を家に招き入れる様なもの!曹操に対する盾として付亭に配置して置く事を提案します!」


袁術は大事そうに伝国璽を錦箱にしまい閻象の前に来て溜息をつきながら

「はぁ…そんな事ワシもわかっている、奴は好かんが紀霊が亡くなって呂布以外誰が三軍上将が務まるんだ?」


そこまで言われると閻象は確かにそれ以上反論はし辛くなって黙り込んだ。


通行令が出され、少しの時間が過ぎた後。

呂布の一味は寿春の城まで十里の所に来た。

そこには歓迎の意を込めて袁術は配下を連れて迎えに来ていた。


四世三公で誇り高い袁術がそこまでする事は珍しい。

呂布がこの行為をどう受け止めるかはさておき、彼自身が自分の"恩義"に酔っていた。


「敗軍の将呂布、袁術将軍のお目にかかり光栄です!」

陳宮の言い伝えを守り呂布は珍しく、遠くからへりくだり拱手して挨拶した。


袁術は呂布の所へ行って手を差し伸べて

「奉先よ、虎牢関以来四年の月日が経った!再び相見える事は何より嬉しい事だ!アハハハハ!」


虎牢関では二人は敵対陣営なのに今では古い友人の様な振る舞っていた。

違和感にも思えるが乱世ならではの複雑な関係は珍しくない。


呂布「恥ずかしいながら兗州では曹操を討ち取れずに、今回も又ヤツに一杯食わされました。もはや行く宛てはありません」


袁術「行く宛てが無い事も無い!ここ淮南の門はいつでも君たちを迎え入れるぞ!」


呂布の荒んでいた心に少し温もりを取り戻した

「将軍の恩、布は心に銘じます!お役に立てる事があればお申し付けください!」


袁術は呂布の話を聞いて心の底から喜んでいた

"お申し付けください"つまり呂布は同盟を望むのではなく、配下に加わる事を自ら言い出したようなものだった。

袁術「虎牢関の戦いでは無敵な強さを見せた奉先が居れば百人力だ!人中の呂布、馬中の赤兎!奉先のような息子がいればどれだけ幸せか…」


人中呂布、馬中赤兎。この八文字は呂布が一番好きな言葉で袁術から言われた呂布は不敵な笑みを浮かばせた。


奉先のような息子…

呂布は袁術の褒め言葉からその一言を聞き逃さなかった。


呂布は片膝を地につけて

「公が嫌で無ければ!この呂布、公を義父と敬うつもりです!」


袁術「良い、良い、良い!!」

嬉しさのあまり袁術の笑顔が咲いた。

同じような暗示を孫策にもしたが相手にもされなかった、それなのに呂布は食い付いてきた!


袁術「今日から奉先が我が義子!梟雄などおそるるに足らず!」


呂布「義父様!」

袁術「おおう!奉先よ!」


感動的な再会のような状況になり、袁術は三万大軍も紀霊の事もすっかり忘れていた。


袁術は呂布の手を引っ張り城門の方へ向かい歩き出す

袁術「今日は奉先を迎え入れるために酒宴を開く!皆潰れるまで帰さないぞ!アッハハハ!」


文官武将たちもその後に続いて去っていく中で閻象と陳蘭だけが取り残されて、その場に佇んでいた。


陳蘭「紀霊将軍を弔う禁酒令はどうなるのでしょうか…」

閻象「……」



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