七十六話 お陰様で
李典が捕虜を任せられたのはいい事だが彼は少しずつ不安を感じ始めた。
その理由とは、捕虜があまりにも多過ぎるからだ。
火事の時、西の要塞から逃げた兵は意外と多くいた。
彼らは別の方向へ逃げ延びて、主将の紀霊とはぐれてしまい、他の行く宛てもなく捕虜となった。
自ら捕虜になる事で獣に襲われる心配もなく、餓死する事もなく、生き延びることが出来るからだ。
そしてその人数は二千を超えて更に増えていく
それに対して李典と夏侯淵が合流したところで僅か五百の衛兵しか居ない、そして衛兵は言うまでもなく大した戦闘力が無い。
捕虜が暴動を始めたらこの人数では抑えきれなくなってしまう。
約一時間が経ち、捕虜の人数が安定してきた頃にその数を数えるとなんと五千名に達した。
五千名の捕虜は周りが見えないように、頭を抱きかかえてしゃがみこむ事を要求された。
しかし、その内の何名かはなんとなく雰囲気で看守が少ない事に気づき始めた。
その何名かの捕虜は立ち上がる事を試みたり、地に落ちている朴刀を拾う素振りを見せ始めた
まずいな…本当に反逆されたら李典と夏侯淵は最悪ここで討たれるかもしれない。
そこで李典は欠伸しながら
「軍師殿が言ってた三万の援軍は何時になったら交代しに来るんだろ、眠いから速く帰りたいよ」
夏侯淵「三万もの援軍が来るのか?」
夏侯淵は目を細めて李典を見て言った。
唐突の大ボラを理解出来なかった夏侯淵に向かって、李典は目で合図を送った。
するとやっと理解できたのか、夏侯淵は咳払いをして
「軍師殿は常に万全な状況を事前に作る、今頃はきっと各道路を封鎖して包囲網を作っている。そしてその範囲を絞って行くだろうな、もうすぐ来るだろう」
それを聞いた捕虜たちは逃げる気も失せ、大人しくしゃがみこんだいた。
李典「そう言えば、前回呂布軍の捕虜は気の毒だったね…」
夏侯淵「うわっ…またその話かよ、逃げ出そうとした捕虜だろ?思い出すだけで鳥肌が立つって」
李典「手足の腱を斬って縛り付けて山に放り込む上に」
夏侯淵「全裸にして蜂蜜を塗りたくり、虫たちを誘き寄せて…」
李典「ひぃぃ…考えるだけで全身が痒くなる」
夏侯淵「わずか十七八歳でこれ程の手段を使うとは…恐ろしい恐ろしい…」
李典は振り向き立ち上がろうとする捕虜を見て
「どした?どこか痒いのか?」
立ち上がる途中の捕虜はすぐしゃがみこみ
「違います、足が痺れて来ましたので少し動かそうとしただけです…」
典韋と許褚は二千の騎兵で追撃をする中で唯一残念に思った事が一つある。
それは人員が足りなくて淮南軍の戦馬を全部吸収できない事
そして空が明るくなり始め、紀霊の周りには約二千の騎兵しか残らなかったが典韋たちとは充分な距離離れられた。
これなら無事に召陵まで辿り着くと思った紀霊は振り向き
「足を止めるな!もうすぐ着く!」
紀霊たちの目の前には山間道があった、その道を通り抜ければ目的地である召陵の圏内に到達する。
淮南軍たちも希望を持ち始め、疲れを忘れて速度を上げた。
真なる絶望、それは僅かな希望の光を目の前で消される事。
そして今の淮南軍達がそれを実感する事になる
淮南軍たちが山間道の真ん中まで進むと目の前に圧倒的な曹軍がその行く手を塞いだ
曹仁「ンガハハハハ!軍師殿の命によりここで長い間待っていたぜ!紀霊ってのは誰だ?馬から降りて降伏しろ」
徐州の戦いで活躍できなかった曹仁は武勲が欲しくて堪らなかった。
軍規によれば、三軍主将の捕縛、若しくは討伐は二階級特進。
曹仁「軍師殿にお礼を申し上げなくては!あの御仁に一生ついて行こ!アッハハハハ!」
袁涣「ここは一旦降参のフリをして、気を伺い逃げ…」
グサッ
袁涣は話の途中でお腹にヒンヤリとした感覚に襲われ、そのあとは温かい物が流れ出したのを感じた。
紀霊「机上の空論を並べ、将兵たちの命を無駄にしておいて自分だけ助かる道を探すなど、将の行いでは無い」
紀霊は剣を袁涣から抜け出し、肘で血を拭いながら曹仁を睨みつける。
袁術の上将になった日から、紀霊の選択肢には降参は無かった。
袁術のために天下を取るか、そのために戦場で死ぬか、今では後者を選ぶしかない
紀霊は剣を自分の鞘に収め、三尖両刃刀を掲げ、力を込めて最後の雄叫びを上げた
「兄弟たちよ、主公のために忠義を尽くせ!」
疲弊していた二千の騎兵は突撃を仕掛けるが嵐のような矢の雨に打たれ、運良く生き残った者も曹軍の槍兵の餌食にされた。
この日の戦いは深夜から早朝まで続いた。
その後戦場の片付けでまた夜までかかった。
全てが終わった頃、典宅では既に酒宴を用意されていた。
曹仁「子盛、仲康!悪いなお前らが追い込んだ紀霊の首を俺が頂いた!」
簡単に二階級特進の切符を手にした曹仁はそれはそれは上機嫌。
曹仁の自慢話に李典も夏侯淵も嫉妬はしなかった。
李典「黄巾族の叛乱から我々もたくさんの戦いに身を投じたが、五百人で五千の捕虜を捉えるのは聞いた事あるか?」
李典は自分の力をよく理解していた。
典韋のように呂布と渡り合うことも、典黙のように策を練る事もできない。
そんな自分も典黙の指示でここまでの武勲を立てられたと喜んでいた。
「軍師殿!」
典黙が中へ入るとすぐに囲まれた。
「お酌します!」
「さぁさぁどうぞ!」
李典と夏侯淵が満面の笑みでお酌をする。
「空城妙計、火焼紀霊、二千の兵で敵三万を全滅させ、空前絶後の大挙を成し遂げた軍師殿に乾杯!」
「これらの実績は必ず後世へ伝わるでしょう!我々もその歴史に濃厚な一筆残せたのは皆軍師殿のお陰様です!」
三人は軽く乾杯し盃の酒を飲み干した。
典黙のファンである曹仁も遅れを取らずに前へ出て来て典黙にお酌して
「お陰様で紀霊の首を取れました!もう一つお願いしてもいいですか?」
典黙は微笑んで
「それでも満足出来ないのですか?とりあえず話してみてください」
曹仁「ほらっ濮陽城の時約束したんじゃないですか。今回の件も私がお願いしたからで、次は軍師殿が自ら私を推薦してくださいよ」
典黙は再び酒を飲み干し
「はいはい、わかりました。約束しましょう」
李典と夏侯淵は互いに顔を見合せ、曹仁が待ち伏せさせられたことに納得した。
夏侯淵「軍師殿!私も約束事が好きです!」
李典「私達もその約束に入れてください!」
曹洪「軍師殿、前に少し誤解がありましたが。軍師殿は器が大きいお方で、それらの事を水に流してください」
曹洪もまた夏侯淵と李典を押し退けて典黙にお酌をした
この光景を見て典韋はとても誇らしかった。
許褚「子盛、今日の午後主公へ遣いを出しといた。主公がここの状況を知ったらどんな反応すると思う?」
典韋「さぁな、何日も眠れないほど喜ぶんじゃないか…」
二人は目を合わせて高らかに笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます