七十四話 空城計?

準備を整えた典黙が城門に来るとそこには既に典韋、許褚、李典たちが居た。

騎兵隊たちも皆道の両側に身を隠していた。


「とんでもない賭けに出たな!」

許褚は南門の方角を指差し、低い声で続けた

「万が一手に負えない状況になったら俺と子盛がお前を守り、南門から脱出する。その時に異論は認めないぞ」


「そんなに僕が信用出来ないのですか?兄貴」

典黙はヘラヘラして居た。

典韋と許褚が既に義兄弟の契りを交わしたのにも関わらず、典黙から兄貴と呼ばれるのは初めてだった。

アニキの響きに許褚は少し照れていた


典韋「で、どうすんの?これからは」

「さぁね、相手がいつ来るか分からないし」

典黙は肩をすくめて言った。


典韋も許褚はもちろん、李典も数々の修羅場を潜り抜けた男だが、今この場にいる皆は必死の覚悟を決めた。

このような作戦など聞いた事がない、はっきり言って自ら墓穴を掘るようなもの。


紀霊の大軍を待ってる間、その時間が経つのが遅く感じた。

両側に控えている伏兵も戦場で死ぬ事に恐れを感じないがこの時間を辛く感じていた。


やがて太陽が傾いて、蹄の音が近づいてくるのが聞こえて来た。

西日に映され、淮南軍の姿が見えて来た。


「どういう状況だこれ?」

玄鉄鎧に身を包み、金色に輝く兜を被って、顎髭がもみ上げまで繋がっている紀霊が状況を理解出来ずに居た。


数多くの戦をして来たが、こんな状況は初めてだ…

許昌の城門は全開で城楼に大きく"典"の文字が印された大旗が目に入った。

城壁に居るべき衛兵の姿も無く、全開の城門から中を見れば百姓の姿すらもいなかった。

どう見ても空の城だ。


紀霊「先生、おかしくないですか?偵察兵の報告によると典黙は少し騎兵部隊を連れて来たはず。だがしかし、今の許昌を見れば誰もいない」


紀霊の横には青色の儒袍を纏っている男が目を細め許昌を観察していた。

その男とは袁涣である、袁術の配下で参謀として紀霊と共にこの作戦に参加した。


袁涣「典黙とは意表を突いて、捉え所なく人を翻弄する事にたけると聞いております。なるほど、そういう事ですか…」


紀霊たちが迷ってる間に城楼に一人の少年が現れた。

典黙は風に靡く大旗の下に立ち止まって目の前にある二万以上の兵団とそれが巻き起こす土埃を見て背中に冷や汗をかいた。


落ち着いたふりで典黙は大軍に向かって話しかけた

「紀霊将軍とお見受けします」


紀霊「俺がそうだ、お前は名乗ならいか」


典黙「小生典黙、ここで将軍たちを待っていました。将軍殿大軍での来訪を迎え入れようと酒宴を設けてあります。さぁっ城内へどうぞお進み下さい。」


袁涣「典黙!酒宴じゃなく待ち伏せを設けているでしょ!見くびるな!このくらいの策を読めない私では無い!」


典黙は会心の笑みを浮かべ

「将軍殿、考え過ぎてはないでしょうか。我々はこの度二千の騎兵しか連れて来ていない事は既に偵察済では無いでしょうか?たかが二千の騎兵ではいくら待ち伏せを仕掛けても大軍には敵いませんよ」


それをバラしてどうする!

典韋と許褚は手に汗を握り城壁の隙間から紀霊軍の様子を覗いた。

もし敵軍が動けばすぐに典黙を連れて逃げる用意をした。


「先生、これを機に攻め入りましょう!」

紀霊は周りを警戒しながらも、ガラ空きの城門を睨んで言った。


「二千の騎兵はわざと見せて来た物で、別部隊が既に城内へ配置しているかもしれん…」

袁涣は許昌城をチラチラ見て違和感を感じていた。


紀霊「別部隊があるなら、我々の偵察に見つかったはずでは?」

袁涣「兵法に通ずる者なら大軍の姿を隠し行軍することもできよう、ましてこの典黙は六丁六甲の妖術にも通じると聞きました。ここは一旦引いて危険を避けるべきかと思います」


「うん…確かにアイツは彭城を落とした際に雨乞いをしてほぼ無傷でやり遂げたな。それなら兵を隠すのも簡単だろう…ここは先生の言う通りに一旦召陵まで引くか」


袁涣はしばらく考えた末に首を振り

「召陵まで引くのは得策では無いですね…偵察兵の報告ではここから西へ十五里に曹軍の要塞があり、多数の旗を見る限り大軍が駐在すると思われます。だがしかし、そこが実は空であれば…」


「なるほど!ここは一旦西側の要塞の様子を確認して見よ!そこに大軍が居ればこの許昌城は本当に空の城、そこに大軍が居なければこの許昌城には伏兵が居るということですね!」

紀霊は頭をパンと叩いて理解した。


袁涣「兵法とは手品のような物、虚実を見分ける事が大切。虚を見せようとすればそこに実はあるだろう、逆もまたしかり!」

袁涣は得意げの顔を見せて頷いて紀霊軍たち一同西の要塞へと向かった。


淮南軍が去ったのを見ると典黙は少しホッとした。

「弟よ、すげーなお前!言葉だけで追い返すとはな!」

典韋等が喜んで走って来た。


李典「軍師殿の空城の計、必ず後世につたわるでしょ!」


皆が感心している時に典黙は西へ向かう淮南軍を黙って見ていた。


典韋はこっそり典黙の耳元へ近寄り小声で

「よっ、妙才たち五百人しかないだろ?死んじまうぜ、これなら曹洪に行かせればよかったのに」


冗談っぽく言う典韋を典黙は肘で彼の胸板をポンと当て

「兄さん、僕はこんな事でふざけないことをわかってるだろ?」


典黙は確かに曹洪に対して良い印象を持たないが、それでも彼は曹操の大事な部下であり縁者である。

いくら嫌うと言っても相手は一応塩山をくれた人でもある。

何よりも自分の嫌いな人ってだけでそのような手段で消すのは性に合わなかった。


「さぁ!準備を整えましょう!」

典黙は手を叩いて声を高らかにして言った


典韋「何の準備だ?」

三人は顔を見合わせて居た。


典黙「何って、決戦ですよ…いやっ殲滅戦かな」


李典「二千の騎兵だけで三万近いの軍をですか?」

典黙「あと一万の歩兵が近いうちに到着する予定だが、もしかしたら無駄足を踏ませる事になるかもしれん」

許褚「アッハハハハ!顔を見ればわかる、また何かを企んでるな!」


典韋たち三人は詳細について聞こうとしなかった、典黙に対して絶対的に信頼しているからだ。


自信満々の典黙を見て李典の不安も無くなった。


一方、紀霊は二万以上の淮南軍を率い、許昌城の西にある軍営に向かった。

要塞内の五百衛兵はその姿を見るとすぐに夏侯淵と共に逃げた。


淮南軍はあっさり軍営を占領すると周りは既に薄暗くなっていた。

「典黙って良い奴なのかな、こんな軍営まで用意してくれるなんてアッハハハハ!」

「あぁ、自分たちで野営を築くのは面倒だしな」

軍営の広場で焚き火を囲み、副将たちは典黙の事を小バカにしていた。


鹿肉を焼いてる紀霊は冷笑して

「フッ、穎川に入る前は噂でしか聞いたことがないが、こんなもんかよ。噂は噂でしかないって事か」


紀霊の横に居る袁涣は少し不満そうに咳払いをした

「そこは重点では無い。二千の騎兵では我々との正面衝突を避けるべくして空城の計を行使した。私が居なければ君たちはまた召陵へ戻ろうとするだろう、それが後世に伝わればとんだ笑い物よ」


紀霊「そうです!先生がその陰謀を見抜いたおかげで俺らは笑われなくて済みます!さっ鹿肉をどうぞ!」

紀霊は言いながら焼き立ての鹿肉を袁涣の前に差し出した。


紀霊はあまり学は無かったが袁術の元に長らく居る事で人をたてる事を学んだ。


油滴る鹿肉を見ると袁涣は喜んだ



「先生はどのようにして典黙の下劣な策を見破ったのですか?」

そして紀霊の言葉に乗っかって副将たちも典黙への悪口をやめて代わりに袁涣へ媚び始めた。


この聞き方に袁涣は満足そうに鹿肉を横に置いて、冷静な分析を始めた

「空城の計は確かに手強かった、それにこの軍営が加わる事で信ぴょう性も上がった。私も騙されそうになったが良く考えればわからない事でもない。本当に充分な兵力があれば許昌で待ち伏せではなく召陵を奪還する動きを取るでしょうね」


副将たち「さすがです!」


袁涣「この短時間にこの様な策を練れるその才能は天下でも五本指に入るでしょう!だがまだ若い、我々がここへ向かう時に彼の顔がホッとしていたのを私は見逃さなかった!そこが詰めの甘さかな。私のように歴戦を潜り抜けた参謀でなければそれを見抜け無かっただろうね」


紀霊「では、先生はその一枚上手で四本指に入るという事ですね!さすがです!」


紀霊と副将たちのお立てで浮かれる袁涣はそれはそれは気分が良かった

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