七十一話 危機迫り

彭城に入った曹操軍はすぐに他の県や郡を占領する動きをしなかった。

その代わりに洪水の被害に会った民宅や施設の復旧作業に取り組み、捕虜の安置、編入に力を入れた。

曹操軍は全軍で取り組んでもこれらの作業には時間が必要だった。


残り五つの県、郡は兵力がほとんど無く、それらを占領するのに曹操は焦らなかった。

陶商は投降し、劉備が逃げた今なら徐州全土を支配するのは掌を返すように簡単に思えた。


「良い戦いであった!我が軍は僅か千名程度の損傷で彭城を落とし、二十万石の兵糧も手に入った!何よりも徐州…この地はずっと欲しかった!」

城楼に立つ曹操は喜んでいた


隣の荀彧もまた嬉しい気持ちを表す

「中原第一雄関。昔はここで覇王項羽が三万の兵で漢高祖劉邦の五十万兵を蹴散らしました。今は主公の手に入りました!」


徐州を手にする事で兗州より東の脅威が無くなる上に、徐州は農畜産物が多く取れ、広大な鉱脈もある。


喜んでる2人はふっと遠くに伝令兵の姿を見た。

その伝令兵は背中に赤い旗を風に靡かせていた

近付いてくる伝令兵の旗を見るとそこに金色の文字で"合"と書かれていた。


百里急報専用の伝令兵だ!

皆の心がドキッとした。

百里急報…許昌に何かあったのか…


すぐ、伝令兵は馬から転げ落ちて走って来た。

全速力でここまで駆け付けた馬は白い泡を吹いて力尽きた。

伝令兵も真っ白な顔で荒い息を上げながら、曹操に聞かれる前に

「主公!袁術軍の紀霊が3万もの大軍で汝南に侵攻して来ました!一日で十一の関門を突破し七つの県を占領されました!曹洪将軍と夏侯淵将軍が兵力を合わせて召陵で抵抗しています!状況は芳しくありません!!」

言い終わると使命を果たしたからか緊張の糸が切れたか、伝令兵も気絶した。


沸騰した油に水を入れたように全員が騒ぎ出した。

先まで徐州を手にした喜びから一転曹操は城壁にもたれかかった。


紀霊が一日で七つの県を占領するのは予想外!


召陵とは汝南と穎川の間に位置する、もしそこが破れば淮南軍は許昌までの間はもう関門がない!

そして今の許昌など空の城に等しい!


「主公!召陵が無くなれば許昌は落ちます!そうなれば……引き返しましょう!」

曹仁がそう言うと荀彧、程昱、夏侯惇らも皆同じ意見を述べた。


許昌が落ち、天子を奪われたら、この前の濮陽の変がもう一度起きる可能性もある。

そうなれば徐州を得た意味も無くなってしまう


曹操は手を挙げみなを黙らせた

「そんな事わかっている!しかし徐州をここで手放せば呂布にくれてやったようなもの!それに子寂が今小沛に対して策を練っている!…悔しいが戻るしかあるまい…実に惜しい…」

言い終わると曹操は隣に居る典黙、郭嘉、賈詡をチラッと見た、その目は切実で敬虔そのものだった。


この予想外の事に三人も黙りこんでいた


終いには郭嘉が先に口を開いた

「主公、先に3万の兵で許昌へ向かってください!一万あまりの兵を残しておけば彭城も3ヶ月以内は守り通せます!」


曹操はこの状況でこの案は最前に思えた、郭嘉が居れば陳宮は郭嘉の知略には勝てない。

唯一残念なのが典黙の立てた笮融を使う策が実行できない事。


曹操「お二人はどう思う?」

賈詡「同じ考えでございます」


典黙はしばらく考えると首を横に振り

「主公が今許昌に向かわれても急行軍で五日、その時には許昌が陥落しかねません。そうじゃなくても五日の急行軍で三万の淮南軍を相手にするのは卵で石を割ろうとするようなもの。仮に上手く立ち回っても紀霊と膠着状態になってしまい、3ヶ月以内はこちらに応援できないのではないでしょうか」


典黙の分析で曹操はため息をついた、いくらか徐州が惜しくても奉孝と一万余りの兵を危険に晒したくない。


曹操はゆっくり目を閉じ

「子孝、全軍撤退して許昌に向かう…」

言い終わると曹操は柱を殴りつけ、拳から血が流れた

「主公!」


皆が駆け寄ろうとすると曹操は手を振り

「行け…」


「お待ちください!」

考え終えた典黙は口を開くと場の全員が息を止めた。その静かさはまるで針が落ちても聞こえるくらいに。

典黙「一つ策があります、上手く行けば両方を守れます!」


全員が黙って典黙の続きを待っていた

「主公は三万の兵でここ彭城を守ってください、小沛の方も計画通りに進めてください!」


典黙は大きく息を吸い込み続けて言う

「僕は騎兵二千と歩兵一万で許昌へ向かいます、僕は二千の騎兵となら三日で許昌に着きます、残り一万の歩兵も七日以内に着くはずです!」


「ダメだそれは許せない!」

曹操は一字一句強く言った

「お主がもし紀霊の大軍と正面に鉢合わせば生きては帰って来れないだろ!許昌も兗州もお主と比べれば安いもの!この危険は犯させない!」


「信じてください、僕には大敵を退かせる策があります!」

曹操は無言で典黙を見つめた


典黙「主公、徐州のために既に多くの血が流れました、次来ればまたその繰り返しになります!信じてください!黙なら大丈夫です!」


しばらくして、曹操は長く息を吐き

「…一つだけ、約束しろ!状況が悪ければ直ちに逃げろ!最悪許昌も兗州も失っても良いが君はダメだ!必ず無事に帰って来い!」

渋々承諾した曹操は続けて聞く

「誰を連れて行く?」


典黙が答える前に典韋が先に口を出した

「俺が行く!小さい時からお前の言う事聞いて来た!けどよ今回は俺が決める!行かせてくんないならお前も行くな!」


許褚「俺もだ!」

趙雲「軍師殿!多勢に無勢、守らせてください!」


典黙は首を横に振り

「それでは呂布の相手は誰が務まるんですか?」


「子盛と仲康は付いて行け、お主らが付いてれば我も少し安心できよう!」

曹操は典黙の提案を一部否定して決定を押し付けた。そして趙雲の方を見て

「子龍、祐維と共闘して呂布の相手頼めるか?」


趙雲は名残惜しそうに典黙を振り向いてから強く頷いて

「兄弟子と協力するなら呂布にも渡り合えます!」


曹操「なら決まりだ!」


ずっと静かにしていた曹仁は珍しく媚びた笑みを見せ

「軍師殿、貴方たち兄弟が騎兵と共に帰るなら歩兵部隊の統率が必要じゃありませんか?私に任せてください!」

そして曹仁は典黙の耳元で

「ほらっ濮陽の時、約束したんじゃないですか。あの時、ほらっ」


典黙は頷いて

「分かりました、お願いします」


曹操「善は急げ、準備が出来次第直ちに向かえ!」

曹操が手を叩くと皆も慌ただしく動き出した


典黙は曹操と議政庁に戻ると手紙を一筆し、それを曹操に渡した

「主公、これを許昌の李典将軍へ火急に出して下さい、そして内容通りの物を準備させてください、これらがあればもしかすると…」


曹操は手紙を確認すると不思議そうな顔をしていた、こんな物…何に使うんだ?

しかし、典黙の言う事ならっと八百里火急の遣いを出した。


すぐに典字営と千名余りの軽騎兵が西門に集結した。

馬に乗ろうとした典黙が急に何かを思い出したのように郭嘉を横に引っ張った。

「忘れる所だった、職人を見つけこの図面通りのものを作らせて!計画通りなら小沛攻略の時に使う物だ」


絹の図面を受け取った郭嘉はそれを見ると、見た事ないが寸法と説明は詳細に書いてあった。


郭嘉「子寂、気を付けて!」

典黙「安心して、許昌で待ってる!戻って来たら酒奢るから!」

郭嘉「君子の承諾は!」

典黙「生死違わず!」


典黙は馬に飛び乗り、典韋、許褚らと出発した


地平線に消える姿を見て曹操はなかなかその場を動かなかった。

曹操は溜息をつき

「行かせたことに…少し後悔したかもしれん」


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