六十八話 城と心

五日続いた暴雨で彭城内の軍民がホッとして警戒を緩んでいた。

城壁の上で当直する衛兵がお酒を飲むほどに緩みきっていた。


意外な事に、臧覇はその兵たちを見て見ぬふりをしていた。

彼は知っていた、隙を見て張り詰めた糸を緩まなければその糸が切れてしまう事を


義政庁内では陶商、笮融、糜竺もお酒を飲んでいた。

彼らが思うに、曹操がこの雨で撤退すればしばらくの間は再び攻めてくる事は無いだろう。

大軍の出動にかかる賃金、兵糧、重機の維持費などを集めるのは簡単ではない。


そこへ劉備たち三兄弟が入って来た


陶商はできるだけ嫌な顔を見せないようにした


「公子、私たちこれより徐州を去ります。別れを告げに来ました」

劉備は淡々と言った


「玄徳公、それはまたどうして?私は貴方がたが必要です、徐州の五十万軍民もまた貴方がたが必要です」

陶商は思っても無いことを口にしていた。


「公子、この雨があれば私たちは安心してここを去ることが出来ます」

劉備は毅然と振り向き外へ出ようとすると陶商が彼を引っ張った

「玄徳公、もし貴方たちが去った後曹賊がまた攻めてきたら私たちだけでは心細いです!そうなれば…」


劉備「そうなればこの劉備は何処にいようとすぐ駆け付けることを約束します!」


「玄徳公大義であります!貴方たちが居ることで曹賊が迂闊に手を出せないでいます。どうかもうしばらく居てください」

またも笮融がでしゃばり、劉備の手を引き寄せて媚びる風に言った。


劉備は再び拱手し別れを告げる

「私たちが残る事で城内に居る文官武将たちの要らぬ誤解を招きます、今ここを旅立つのは理にかなっています」


「玄徳公、この前の誤解は申し訳なく思っています。お詫びとしてではありませんが、私は都陽県を貴方たちに分け与えるを考えています。こうすることで協力して曹賊に立ち向かうことも出来れば、玄徳公へのせめての恩返しも出来ると思います」


陶商は心底劉備のことが嫌っていた、徐州の士族たちの支持を得た劉備は自分の立場を危うくしていたから。

しかしこのまま劉備たちを追い出せば、自分の器が小さく見えてしまう。県を一つ分け与えてその後じわじわ兵糧の供給を少なくすれば劉備たちも自発的に立ち去るだろうと考えていた。


劉備は内心がっかりしていた、立ち去るのはあくまで"引きと見せかけて押す作戦"

この作戦で劉備は郡を一つ狙っていたが、陶商はまさか県一つで済ませようとしている。


劉備が損得勘定してる間に笮融は既に劉備を引っ張って席に付かせた

「玄徳公、これで決まりですね!ささぁ敬意を表し一杯どうぞ!先程雨を待っていたと話していたが、それはどういう事ですか?まさか曹賊が来る前に、既にこの雨をも計算に入れたのですか?」


劉備は笮融の話に呆然とした、そんな事一言でも言ったか?


隣の張飛がでしゃばり

「あったり前よ、兄貴はすごいぜ!全て計算のうちだ!」


糜竺も話を合わせるように言う

「つまりは、奇襲のはあくまで撹乱、目的はこの雨までの時間を稼ぐという事ですか」


張飛は酒をグビっと飲み

「そりゃそうさぁ!」


笮融も目を見開き「素晴らしい!玄徳公は天の力を借り曹賊を止めたのか!!」


突如降り出した大雨が劉備を一躍兵法家に仕立てあげた。

気恥しい劉備は微笑み、否定はしなかった。


「曹賊の軍師典黙が麒麟の才と聞きましたが、玄徳公の知恵はそれをも上回るという事ですね!玄徳公こそ鬼神不測の太才ですね!」

一瞬で媚びる言葉を見つけられる笮融はそれを使うタイミングも完璧だった。


糜竺「その通りですね、玄徳公と比べ、典黙などまだ未熟者ですね!」


高く評価された劉備は意気揚々と盃を持ち上げて得意気に

「皆さん、買い被りすぎです。わた…」


「報告!!洪水が…曹軍が隣の泗河を氾濫させて洪水を流し込んで来ました!!城内は今湖のようになってます」

一名の衛兵が転びながら走って来た


報告を受けた陶商と劉備たちは酔いが覚め急いで城壁に駆け上がる、下を見ると洪水に巻き込まれた徐州の軍民が流されている。

救いの雨かと思えばまさかそれを曹軍に利用され、逆に自分たちに甚大な被害を被らせられた。


「終わりだ…全てが終わった…」

悲惨な光景を目の当たりにして陶商は地べたに座り込み呆然としながら呟いた


「劉備!これがお前の言う借りて来た天の力か!お前のせいで私たちはこれからどういう運命を辿るかわかっているのか?!」

いつでも元気に他人に責任を取らせる笮融は相も変わらずに劉備を責めていた。


劉備は責められて頭を真っ白にしていた。

この典黙は一体何者なのか、地の利と天の時を、徐州の盾であるはずの大雨をここまで利用できる人に、本当に勝てるのか…


考えがまとまらない劉備はとりあえず笮融を無視して関羽と共に陶商を起こした

「公子、まだ絶望するのは早いです!まだ何かできるはずです!」


劉備の呼び掛けに少しの反応もない陶商は関羽と劉備が寄り添いで立ち上がる。

横にいる笮融はこの絶対的な苦境を見て内心では寝返ることを考えていた。



彭城の徐州軍営では、突如に来た洪水で武器や鎧がどこへ行ったのか見当もつかず、兵士たちが懸命に探している。


臧覇は武器よりも兵糧が置いてある倉庫へ向かった。

この雨季で兵糧が水に浸ればすぐ腐ってしまうから。


夜になると劉備は陶商を引っ張り、城壁の衛兵たちと見回りしに向かった。

こんな時は兵士たちと共に居ることで軍心を安定させることができるから。


目に絶望の色が満ち溢れる兵士たちを見ると陶商は心を痛めた。

どうしてこのようになったのか、未だに理解出来ずにいた。


シュシュッ!


暗闇を歩いてると、十数本の矢が飛んできた!


この時に城攻めか?


関羽は松明を一つ下に投げて様子を伺うと、下に曹操軍の姿は見えなかったが布手紙の着いた矢があった。


劉備は急ぎその手紙を開くと、それは曹操の褒賞手型だった。


「城門を開いた者に金五百、一階級昇進…だと…」


劉備の読み上げた手紙の内容に関羽も首を振りながらため息をついた。


城を攻める前に心を攻める…この状況でもなお自軍の損失を抑えようとするのか…!


誰も口を開かなかったが皆心の中ではわかっていた、この状況でこの手紙が出回れば徐州軍の信仰は風前の灯である事を。


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