六十七話 不穏な空気?

この時の曹操はまだ劉備を危険視していなかった、彼とは袁紹の同盟出二三回会った程度だった。

劉備と言うよりも関羽と張飛の方が印象が強かった。

特に関羽は曹操が喉から手が出るほど欲しかった。


桃園の儀の逸話は反董卓連合の後に広まって、曹操は関羽と張飛を配下に置くためには劉備をも引き入れるべきと考えていた。

もし典黙は何らかの恨みを劉備に抱くなら対応の仕方も変わると思った。


「主公、それは誤解です、僕は劉備に対してなんの恨みも無く、むしろ尊敬しています。彼は草履を編みそれを売り、黄巾賊の討伐で手柄を立て今に至る。道のりは険しかったが彼もまた仁義を通そうと善の行いをしています。彼を偽善と罵る人もいれば、僕からしてみれば最後まで善を偽ることができるならそれもまた本物になります。」


「それなら何故そこまで執着を持つのだ?」

典黙の話で曹操はますます理解に苦しむ


「彼は今こそ流浪の身であるが、それでも心に大志を抱き、配下に関羽、張飛らの猛将は万人不敵の腕を持ち。もし劉備に才能ある者の補佐を得ればいずれは翼を得た龍の如く、実力を蓄えた後、主公の大敵になるかもしれません。天下に二人も君主は要りません!僕は主公に天下を掴ませる事を目標としております、彼が実力を付けては今までより多くの人が戦火により破滅するでしょう、そうなる前に手を打たなければなりません!」


才能ある策士の補佐があれば実力が飛躍的に伸びる事を曹操も実感している。

彼自身もまた典黙の補佐を得てから、今の今まで縦横無尽に駆け巡りながらも、向かった所で利益を得ないことは無かった。

曹操が意外に思ったのは、典黙は天下を思う気持ちがあった事。

いつもダルそうに揺り椅子に深く腰掛けるこの少年が天下万民の事を気にしていたというのか…


「子寂の大義、感服致す!」

荀彧は拱手して言った


曹操も頷いて

「子寂の意に沿うようにしよう」


軍帳内にいる人たちは再び慌ただしく動き出した。




「呂布め、我は四世に渡り三公の家柄だぞ!その娘を嫁がせるのは玉の輿だぞ、それなのにその娘は諸葛適当とかいう何処ぞの馬の骨も知らんヤツと一夜を共にしただと?我を侮辱にするつもりか」


諸侯六珠冠を被り、元帥の座に座る袁術は背もたれに寄り掛かり、その様子は怠惰そのものだった。


袁術はちょび髭をいじりながら手に持った竹簡を投げ捨てた

「もういっその事曹操にでも殺されろ、知らん」


「呂布のような反復無常な輩では賢明なる主公の配下にふさわしくありません」


袁術の話を聞いた淮南の士族たちは媚びるように言った


賢明と言われて袁術は少し機嫌を直し、満足そうにしていた。


「主公、呂布を引き入れることは彼を助けるためではなく、主公の覇業の助けになります!」

髭と髪の毛が真っ白の老者が前へ出て言った。

閻象である。後漢においてあまり有名ではないが実は政治の腕前はかなりのもの。


袁術「その理由とは?」


閻象は拱手した手を下ろし、髭をなで下ろし

「もし主公がこのまま曹操をのさばらしては、陶商と劉備が居る彭城はいずれ陥落するでしょう。そうなれば曹操の次なる標的は恐らく小沛。そして兗州、徐州、豫州を支配下に置く曹操はその力を蓄え、ますます一大勢力になってしまいます、やがては我々にとって大いなる脅威になるでしょう!」


袁術は姿勢を正して聞く「我々の脅威?何故だ?」


閻象は再び語り出す

「曹操は今でこそ我々に手を出していないが。手中に天子陛下を握り、いつ何時勅令を出してもおかしくありません。そうなれば豫州、徐州の二方向から我々を挟み撃ちにできます。その様な事態は何としても避けねばなりません!」


閻象の忠言は聞いててとても耳を痛くした。

ハッキリ言って、袁術はこのような予想はとても嫌いだった。

彼は自分の支配に対して、少しでも疑問を持つ意見は聞く耳を持たない人だったが、閻象は淮南士族でも人望がある存在で、その話を不本意ながら受け止めた。


「なら、先生はどう対処する事をお考えで?」

袁術はイライラしながらも質問をした


「主公はひとまず呂布をそのまま配下に置くた事をおすすめします。呂布に小沛を守らせる事で、曹操軍と淮南の間に盾ができます。そして、曹操軍の注意力が徐州に向けられている今、北に兵を向け汝南を占領し、天子を奪います!」

閻象の進言はとても理にかなっていたが袁術は"天子を迎え入れる"と聞くと落ち着いていられなかった。


袁術は瞼がピクッとして

「フッ、天子ね…勅令を出すのに伝国璽ではなく曹操の印で代用するような天子では天下を動かすのは期待できないわい」


袁術の野心は見え透いた、彼はあわよくば皇帝になり変わろうとしていた。

しかしそれもあわよくばまでの事。彼が天下を治める様な器では無い事のは淮南士族たちも明確にわかっていた。


淮南士族たちは黙り込む中、たった一人、異議を唱えようとする人はいた。

閻象「主公!そ…」


閻象の言葉を遮るように袁術は片手を上げた

「わかっておる、汝南を占領しよう!天子の事はまた後で議論しよう!伝国璽がないなら、そんな天子など手に入れても得がない」


言い終わると袁術はチラリと整列中の一名の武将を見た。

その武将は剣のような眉に星のような目をしている、孫策である。


袁術は笑みを浮かべ

「伯符は良い戦をしたなぁ!八百の兵を率い、陳瑀の六千を負かせた!我が子にしたいくらいの勇ましさだ、ガハハハハ」


孫策は大志も無く、頭が単純な袁術を嫌っていたので見向きもせずに錦箱を取り出した。

袁術から独立を常々に考えていた孫策はずっとそれを大事に用意していた。


そして敬虔そうに献上した


「家父が洛陽を落とした時に手に入れたものでございます」

箱を開けるとそこには緑光を放つ伝国璽が入っていた。


袁術は伝国璽に両目飛び出るほどに釘付けになっていた。


「主公!この伝国璽は僕の手にあっては意味がなく、稀代の英雄が手にする事で初めて意味を成します。今日この時、主公へ献上したいと存じます!そして一つお願いがございます」


伝国璽を受け取った袁術はじっくりとそれを見つめた

その魔力の虜になっていた袁術は頭も上げずに

「何だ?女か、金か、その両方か?何でも申すが良い」


袁術の様子を見れば望みが叶うと確信した孫策はこの機会を逃すまいとすぐに

「家母が阿曲に取り残されています、将兵を率い助けに赴く事を…」


袁術「いいよっ!い!い!よ!行って行って」


袁術は孫策の望みを最後まで聞かずに即答した。

袁術の単純な頭では伝国璽さえあれば皇帝と名乗れると思っていた。


孫策はニヤリと狡猾な笑みを浮かべ拱手し、袁術の気が変わらない内に去って行った。


「主公…主公?主公!!」

閻象は焦って袁術のことを三回呼んだ


「あぁ?ほらっ見てみろ!この八文字を!受命于天即寿永昌だってー!どいう意味?」


閻象「…天の命令を受け天下を治め、永遠の繁栄と寿命を約束された意味です」


袁術「おぉ!なるほど…これも見て!一つ角が欠けてるだろ、王莽が漢王朝の権力を盗む時に当時の皇後がこれで投げつけて、欠けたんだ!黄金で補完した跡があるだろ!エッへへへ」


新しいおもちゃを手に入れた子供のようにはしゃぐ袁術は閻象の言いたい事など気にも止めなかった。


閻象も頑固者でずっと袁術に呼び掛けていた


あまりにも煩かったのか、袁術は隊列へ命令を出した

「勇義、三万の兵を率いて後日汝南へ向かえ、汝南を占領せよ」

「はいっ!」

呼ばれた紀霊が前へ一歩でて命令を受けた。


そして袁術は再び閻象の方へ見て

「これでいいだろ?先生。はいっ会議終わり!皆下がって良いぞ!」


皆の見る目も気にせずに袁術は伝国璽を大事に抱えて走り去った。


議政庁内、文官武将は解散させられてただ一人閻象が取り残されていた。

閻象は溜め息を深くつき

「たかが石ころにうつつを抜かして、本当に価値のある生きている天子を疎かにするのか…あぁ、理解に苦しむ!!」

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