六十一話 無事脱出?

両軍が対峙し、野外で少数の偵察部隊に遭遇することはごく普通のこと。

しかし、大将が自ら出て偵察に出るなど、宝くじに当たるほど確率が低い事だ。

しかし、その低い確率を典默は見事に引いてしまった。

彼の心に一抹の寒気が立ちのぼり、僕の命も今日までなのかと思った。


曹昂「張飛は千軍万馬から狙った首を簡単に切り落とせる勇者と称されています。早く行ってください、僕が後方を守ります!」


張飛の名は、曹操の陣営でも多くの将たちが危惧するほどだった。

しかし、意外にも曹昂は堂々としており、自ら殿軍を務める宣言し、典默の心に深く触れた。


忠誠と勇気はありがたいが、張飛に立ち向かえるのは典韋、許褚、そして趙雲くらい、他の者はまったく相手にならないだろう。曹昂は、万に一つも彼を止めることはできないだろう。


それに生徒を置いて自分一人だけで逃げるなんて。


それは人として、してもいい所業なのか…そんな事したら、僕はまだ一人の人間と呼べるだろうか?

典默は急転直下で知恵を絞り、突如として笑みを浮かべて

「子脩、君が先に引け、彼を対処する方法ならある!」


「だめだ!先生には少しでも危険を犯させる訳にはいかない!この命で刺し違えてでも彼を止めます!」

曹昂は堅い表情でいつもと違った口ぶりで、決然と言った。


「心配するな、張飛は僕を知らない。君は先に引け。

僕は徐州の士族と偽り、君に拿捕されて尋問されていると嘘をつけば、何も問題は無い!張飛も徐州の民衆を敵に回せないからな」


典黙は電光火石の間にこのアイデアが浮かんだ自分に対して賢明だと微笑み、心の中で自画自賛した。


しかし、百歩先まで近付いてきた張飛が突然蛇矛を掲げて二人を指差し、大笑いした。

「アイツが曹操の軍師、典默だ。早く、生け捕りしろ!ハハハ、今日はついてるぜ!」


劉備はかつて関羽と張飛に典默の肖像画を見せた事があり、その際に典默一人が十万の兵の価値があると語った。

暇つぶしで偵察に行くだけで十万の兵を連れて帰ってくるとは思ってもみなかった。

張飛は得意げに笑い、ひげを震わせた。


いやっ正体知ってるんかい!!


二人は急いで曹営に向かって全速力で馬を走らせた。

典默は固唾を飲み曹昂を見つめ

子脩、勝てば名をあげるチャンスだぞ…など曹昂を焚きつける言い訳を考えてみたものの言えなかった


典默はため息をつき

「子脩、先に逃げろ。君も聞いたろう、彼は僕を生かすでしょうけど、君は分からない…」


「先生、今回ばかりは従えません!」


曹昂は手綱を引き、力強く引っ張って方向を張飛に向かわせた。


「さぁ来い!」


曹昂は冷酷な表情で、恐怖の色もなく、手にした銀槍は稲妻のように左右の哨騎の喉元を斬り裂き、血霧を巻き起こした。


「コイツは俺に任せろ、お前らは典默を追え!生け捕りにしろ!」


「はい!」


残りの二人の哨騎は左右から通り過ぎて、曹昂は止めようとしたが、すでに張飛が目の前に来ていた。


張飛は怒号を上げ、丈八蛇矛を曹昂の顔目掛けて突き出し、曹昂は銀槍で蛇矛を左右にいなし、なんとか攻撃を逸らした。


曹昂が態勢を整えて反撃しようとした瞬間、丈八蛇矛が凄まじい速さで別の方向に現れ、自分の喉元に向かって斬りかかってきた。


速すぎる!


見るからにパワー型の張飛が何故こんな速さを兼ね備えているのは理解できなかった、理解する余裕もなかった!

曹昂は急いで頭をかがし、パンという音が鳴り響き、兜が三、四丈も飛び上がった。


もし少しでも遅かったら、飛び出すのは兜ではなく、立派な首だっただろう。

乱れ髪の曹昂は一声怒号し、自分の学んだ技を最大限に活かし、銀の槍を振り舞ってまるで雷光が同時に七八本も矢で射たれたかのように見えた。


「しゃらくせェ!!」


張飛は虚実を問わず、丈八蛇矛を横に振り払うと、銀の槍を残像ごと歪ませ、曹昂が体制を立て直す前に丈八蛇矛を地面に深く突き刺し、馬から力を借りて跳び上がり、両足を曹昂の胸に容赦なく蹴りつけた。


曹昂は二丈以上も蹴り飛ばされ、遠くまで転がった。起き上がると、体内の臓器がみな砕けたような感覚に襲われ、喉から熱いものが湧き上がってくる。


「ゴホッ」


一口の鮮血が吐き出され、次いで曹昂は目の前が真っ暗になり、気絶してしまった。


「生きてたらまたやろうぜ…」

そのまま馬を走らせた張飛は振り返らずに呟いた


既に時間が経っていて、張飛は典默を追いかけるのが目的で、急ぐ必要があった、曹昂を縛って帰るのも、その生死を確認する時間もなかった。


二人の哨騎が典默を追いかける、この時典黙はやっと速い馬の良さに気づいた。爪黄飛電や玉狮子とは比べ物にならないが、曹操から貰ったこの馬もなかなかの物で、敵哨騎の駄馬が簡単に追いつく事も無かった。


そうこう考えてる内に前方の泥濘に差し掛かり、典默は急いで馬で飛び越えようとしたが、前蹄がそのまま泥にはまり込み、慣性力で典默は泥濘に投げ出されてしまった。


再び立ち上がると、馬は息を切らせ、泥濘に前蹄を飲み込まれ、引き抜け出すことができなかった。


目前まで追いついてきた哨騎を見て、典默は深い溜息をついた。

受け入れるしかない、これが運命か。


「着いて来い!」


哨騎が手を伸ばし、その手が典默の肩に触れると、一本の方天画戟がその哨騎の喉を切り裂き、鮮血が噴き出した。


典默が反応する前に、その方天画戟がもう一人の哨騎に突き刺さり、鎧をも貫通した。


方天画戟!呂布?


典默は顔を上げると、目の前には雪白の駿馬が現れ、その上には暗紅の皮鎧をまとった少女が片手に方天画戟を携え、冷徹なまなざしで彼を睨んでいた。


少女の肌は雪のように白く、風になびく黒い髪は高い鼻筋に触れ、その瞳には傲慢さが漂っており、高飛車でなおかつ殺気を帯びている。


呂玲綺「お前は何者だ。これらの徐州の兵たちはなぜお前を追っている?」


少女の鈴のような声は美しく響く。


敵か味方か分からない典默は少しためらった後、試しに尋ねた。

「お嬢さん、お助けいただきありがとうございます。お嬢さんのお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」


「今は私が質問をしているのよ。正直に答えないと…」


少女は方天画戟で地面に転がっていた石を突き割り、

「お前の頭はこの石より硬いのか試してみる?」


典默はそれを見て、震えるように首を縦に振り


「全て話します!女侠!お許しを。僕の名は諸葛嘘、字の名は適当、琅琊陽都の出身で、齢は十八。劉備が何度か私を仕えさせようとしましたが、私は彼と仕えたくなかったため、彼が手を使って私を殺そうとしています!」


息を吐くように嘘をつく典黙を見て少女の瞳が輝き

「琅琊の諸葛氏か?」

諸葛氏も士族であり、名家でもある。

彼女は満足げに頷き、方天画戟を地に突き立て、顔からは殺気も引っ込めた。


しばらくの間、彼女は微かに眉を寄せ、明るい瞳が動き、口元には小狡い笑みを浮かべ、何か良からぬことを考えているように見え、すぐに典默の方を見た。


「お前、結婚してる?」


あぁ?話題の切り替えが速すぎるだろう。

人心読む事を得意とする典默ですらもその少女の心には追いつけなかった、彼は首を振った。


典黙「まだ結婚していません」


「良い、良い、良い!」


少女は三度「良い」と繰り返し

「さあ、馬を引いて、私についてきて」


典默は一瞬身を震わせ、彼女は一体何をしようとしているのだろうか?

これは何か大変な事が起こりそう…そう直感が教えてくれた。


「行かなくてもいいですか?」


少女は何も言わずに、瞳からの寒気だけで典默の鳥肌を立てさせた


「行きますっ行かせてください!」

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