五十四話 劉備の仁義


「最近、許昌城では君と子寂の賭け事が非常に騒がれている。どうだ、自信はあるかい?」


徐州への道中、馬に乗った荀彧は、隣の馬に跨る郭嘉に問いかけた。


「初陣は我が軍が必勝、これは疑いようがない事。そして、その後の計画も進めている。2ヶ月以内には徐州を手中に収められるだろう。」


郭嘉は綱を引き、もう片方の手には酒の入った瓢箪を持ち上げて口に運ぼうとするも、途中でやめて、声を低くして言った

「でも、彼の言う援軍の正体は何なのか、なかなか気になるな」


典默がそう言うなら、計画があるからに違いない。

まして曹操が言うには自分が許昌へ来る前に徐州に配置していたと言っていた、つまり典黙の言ったことははったりでは無いと示している。


問題はここにある。これらの日々、郭嘉はいくら考えても何も答えが見つからない。

彼は今の各諸侯勢力を挙げて考え尽くした、冀州の袁绍、淮南の袁術、幽州の公孫瓚、荊州の劉表、そして最もありえない徐州の泰山贼まで考えてみた。


しかし最終的には全てを否定した。これらは実際には非現実的なものだからだ。


いつも自信満々の郭嘉でもこの問題には頭を抱える。手に持っている酒の味さえもわからなくなる程に。


「奉孝、余計な事を考えずに、2ヶ月以内に主公が徐州を制圧すればいい。そしてこの援軍のことは、賭けに勝った後に子寂に聞いてみればいいだろう。」


荀彧たち穎川の策士もこの問題について考えたが、わからないので考えるのをやめた。

とにかく、彼らにとって最も重要なのは、この賭けで郭嘉が勝つこと。この勝負は許昌城の多くの視線が集まっており、もしも負けたら「穎川の士族たちが束になっても典子寂には勝てない」という噂が事実となってしまう。



「お前はどう思う?」


馬車の中で座る曹操は、二人の議論を微笑みながら聞き、自分に最も近くにいる賈詡に向かって聞いた。


賈詡は今や中郎として任命された、曹操は彼のことも非常に重要視している。


典默が言うには、長安の天子救出作戦ではタヌキ賈詡がきっちり自分の策を読み自分に勝利した、曹操もそれを聞いて賈詡へ刮目した。


賈詡は一礼して言った

「もしかすると呂布かもしれません、これが唯一の可能性です」


駆虎呑狼の計?これも十分にありえること。


「こんな時さえも寝ていられるとはな…お前は一体どんな悪巧みをしているのだ?」


曹操は馬車の中でウトウト寝ている典黙を見て、つぶやいた



徐州、彭城の議政厅には、鎧を着た斥候が駆け込んできた。

「報告、曹操が5万の兵を率いて日夜徐州に向かっており、その先鋒5千人が既に前線に到着して、有利な地形に陣取り野営を築いています」


「五万の大軍!」

場に居る者たちはこの数字を聞いて皆、顔色を悪くしていた。一年前、曹操が三万の兵を率いて徐州をめちゃくちゃにしていた。

今回の兵力は五万に達し、徐州軍の倍近くになる。


元帥の椅子に座る男性は、おおよそ30歳前後で、濃い眉と大きな目、堅毅な眼差しを持っていた。陶谦の長男、陶商である。


陶商「諸君、大敵が目の前まで迫ってる、何か考えがあれば遠慮なく言ってくれ」


陶商は主の風格があり、率直である。

堂下に座る糜竺、笮融らは表情を引き締め、言葉を発せず、劉備に視線を向けた。

劉備が先頭に立たされてるかのような雰囲気が漂っていた。


「公子はどのようにお考えですか?」

謙虚な口調で劉備が尋ねた。


役職は世襲ではないものの、徐州の体制は陶謙によって築かれたものであり、朝廷から新しい役人が派遣されるまでは、陶商が徐州の軍政を引き継いで自分の勢力育成を狙ってる。


しかし、実際のところは陶謙が亡くなると、町の多くの人々が劉備に次々と忠誠を誓い始めた。糜竺のような富豪も、糜貞が典默の手に落ちて居ても劉備との連結を諦めていなかった。


そして、恩を仇で返す事で悪名高い笮融も劉備に靡いていた。


今の陶商は孤立されはじめたと感じている。

この状況で自分の威信を立てなくては遅かれ早かれ劉備に主の地位を奪われてしまう。


幸か不幸か目の前に曹軍が押し寄せている、もし敵を破れば威信を立てる最高の機会。


陶商は深く息を吸い込み、重厚な声で続けた


「諸君、さっきも聞いた通り、曹軍は昼夜を問わず進軍しており、その軍勢は疲弊していることでしょう。

しかも、曹軍が五万、我が軍は三万に足りず、戦力は曹軍に及ばない事から、彼らは我々を軽視し、油断しているだろう。

彼らは私が攻撃を仕掛けないと思っているだろうが、それを逆手に取る。彼らが足元を固めていないうちに城を出て奇襲する。

私の予想が当たるなら、この戦いで我が軍は必ず勝利するだろう!」


陶商が語る言葉は迫力があり、熱血が沸騰していた。全員の共感を呼び起こせると思っていたが、現実は彼の予想を裏切った。


群衆はやはり劉備の方を見ていた。

劉備は陶商に礼儀正しく一礼し

「前にも陶公からお聞きしていたが、公子は知略に優れ、兵法の要領を熟知しており、今日の光景を見るに、まさにその通りである。しかし、私には一言あります。公子、ご検討いただければと。」


陶商は心の中で不快を感じながらも、引きずった笑顔で劉備に続けるようにうなずいた。


劉備「公子、曹賊が詔勅を発布した時点で、私はすでに敵を引きつける策を手配しており、今日に至り、十分な準備が整っています。半月あれば、半月以内に曹軍は必ず敗北するでしょう」


劉備の言う”手配”とは、実の所一か月前に諸侯に送った援軍の嘆願書だった。そして数日前には、冀州からの回答を受け取っており、袁紹は文醜という名の将軍を派遣し、2万の鉄騎兵で徐州に駆けつけ、前後から挟撃して曹賊を殲滅すると主張していた。もちろん、この手紙は陶商には知られていない。


不満そうな陶商は立ち上がり、重々しく尋ねた。


「玄徳公、何か策略があるのでしょうか。言っていただければ、私も安心できる。何しろ私は徐州の50万の軍民の命を背負っており、慎重でないわけにはいかないのです」


派閥の力関係がはっきり見えて来た段階で劉備の言葉ではなく、横にいた糜竺が先に声を上げた。


糜竺「公子、古くから物事は密かに成就し、口にすると漏洩の元。玄徳公は仁義に富み、賢明である。彼がこのような断言をするのは信じるに値します。先主公も生前、よくそう言っていました」


笮融「公子、君はまだ若い。理想を持つことは良いが、君が私のような年になると、物事が表面的に見えるほど単純ではないことがわかるだろう。曹賊は狡猾で邪智深い。彼の昼夜奔走は我々に見せるためのもので、我々が奇襲するのを彼は罠にかけるつもりなんだよ」


横にいる笮融も堂々と立ち上がり、陶謙から受けた恩をすっかり忘れていた。


劉備もこの状況を見て城主横取りの悪名を引き受けるつもりはないのであえて愛想良くする


劉備「公子、私を信じてください。最大でも十五日、それ以降でも勝てなかったら軍法に服します!」


陶商は自虐的に微笑み「わかった…..」


劉備は群衆に囲まれながら、議政厅を去って行った。

元帥の椅子に座る陶商は絶えず笑い声を上げた、それは発散であり、自虐であり、また不甲斐なさも含まれていた。



府邸に戻った後、黙っていた関羽がとうとう口を開いた。


「兄貴、公子はなんだか我ら三兄弟に対して偏見を抱いているように見えますね」


劉備も本当はこのことを取り上げるつもりはなかったが、関羽が自ら言い出したので、二人の弟を引き連れて部屋に入り、この話は内密にした方が良いと考えた。


劉備「実は陶公が亡くなる際、私を徐州の主に任命した。しかし私が徐州を取れば陶公の子息への不義理になってしまう。かと言って今や国は破綻し、天子は苦しんでおり。私たちは賊を討ち漢を助けるべきだと思っている。今は徐州を取り、そこを拠点にし、許昌に向かい、天子を救い、大漢を興すしかない。陛下のため、天下のため、仕方なく公子を苦しめることになった」


言い終えると、刘备は咽び泣き出した。


二人の弟も兄貴がこんなにも傷心するのを見て、心を痛めずにいられない。関羽は長いため息をつきながら言った


「兄貴よ、陶公が生前、あなたに徐州の主を務めさせることを約束していた。徐州を手にしても我らに非は無いはず」


劉備「でも、どう考えても私が徐州を奪ったのは確かな事実。私は仁義を重んじてきたが、この不義な行いを行ったことに、私は心を痛めている」

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