彼岸花とセプテンバー

筆入優

彼岸花の咲いた死体

翡翠ひすい、君が犯人だったなんて……」


 放課後十八時二十分、教室には居残りだった僕と一輪の彼岸花を右手に携えた翡翠のみ。ショートカットの黒髪。八重歯の生えた、まるで吸血鬼のようなツラ


 彼女は隣のクラスなので、僕は殺人現場を通りかかった第一発見者ということになる。また、教室殺人現場に足を踏み込んでしまったバカ者でもある。僕がこの教室の前を通りかかった時、翡翠がドアを開けて「君を待ってたんだ」なんて言わなければ、僕はこの場にはいなかった。


「僕は、君のことが好きだったのに。それはもう、付き合いたいぐらいにね。花を突き刺しあうのは勘弁してほしいけど」


 僕の周りに横たわる、あるいは机にもたれ掛かる大量の生徒の死体。普通の死体と違う点は、『胸や背中に彼岸花が刺さっている』ということ。


 この街での殺人事件の発端は九月の末にさかのぼる。残暑が猛威を振るっているようでは夏の終わりと呼べるはずもなく、しかし、夏とも思えず、秋ほどの涼しさも感じられない、まるで『季節の無い週』の不穏な事件。


 僕の住んでいるA市では一週間ほど前から連続殺人事件が発生していた。僕の周りに転がっている死体の特徴は、完全にその事件のものと合致している。


 翡翠が犯人じゃなければ誰が犯人だって言うのだ。いや、そりゃ、真犯人がいるのなら名乗り出てほしいけれど。しかし、この状況でそうされても僕は信じられないかもしれない。


 あまりにも翡翠が犯人であることの証拠が揃いすぎているのだ。


 彼岸花の咲いた死体。


 一輪携えた翡翠。


 セーラー服に返り血を浴びた翡翠。


 翡翠の足元のナイフ。


 そして、教室に生きている人間は僕と翡翠の二人だけ。


「無駄口叩いてないで、時間は有益に使ったほうが良いんじゃない?」


 彼女は足元のナイフを拾い上げる。


「なんで、こんなことしたんだよ」


 僕は宿題を手放し、思いっきり拳を握りしめる。それが着地したと同時、生々しい水温が鳴った。


「ワーク一冊だけじゃ、血は吸えないね。後処理は私がやるしかないみたい」


 翡翠はため息を吐いて、傍にあった椅子に腰かけた。


「君も座りなよ。立ったままだと話しにくいでしょ」


 殺人犯の提案に乗りたくはなかったが、僕は気持ちを落ち着けるためにも素直に椅子を引き、ゆっくりと腰かける。


「映画みたいでしょ? この光景。私、どうしても見てみたかったのよ。彼岸花の咲いた、洒落た死体を」


 彼女が映画好きであることは知っていたが、いくらなんでも拗らせすぎだ。


「つまり、それは君の悲願ってわけか」


「ちょっと怒ってる?」


 翡翠は歪んだ笑い声を上げる。


 夢にうなされる人の声を無理やり笑わせたような、そんな不気味な声だった。


「ああ、とても」


 とても怒っているが、凶器を手にした彼女に無策に突っ込む度胸はない。策を考える集中力も無い。


 僕は怒りと恐怖に支配されていた。


「人間の願いは叶えられるためにある。だから、私をひがんだりしないでもらえる?」


「彼岸花を死体に刺すことが悲願な人間を僻むまでもない。いいかい? 『僻む』って言葉はね、常識から外れた人を悪人扱いするときには使わないんだ。君は、正当に悪人だよ。僕は君を僻んでいない」


「私は私を正常だと思っているから、君と私の中での『僻む』にはズレがあるみたいだね」


「混乱してきた。もうなんでもいいさ」


 僕は洒落と哲学の応酬に、めまいを感じ始めた。


「他に話すことは?」


 翡翠が言う。


「無いね。ついでに言うと、話す気力もゼロだ」


 動く気力も体力も無い。


「じゃあ、目撃者は消すとするかな」


 彼女はゆっくりと腰を上げて、僕に迫る。足音の立たない遅々とした歩きは、僕の恐怖に歪む顔をできるだけ長く楽しんでいたいと言外に告げている。


「じゃあ、さよなら」


 眼前に迫った翡翠の振り上げたナイフが僕の胸に突き刺さる直前、彼女が彼岸花を手にしていないことに気づいた。


 両手でナイフを持っている。


 後で彼岸花を取りに行くのかと思っていたが、どうやら違うらしい。


 僕は、彼女がバラを咥えていることに気づいて苦笑した。


 こんなシチュエーションの告白、願ったことなどはただの一度もない。

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彼岸花とセプテンバー 筆入優 @i_sunnyman

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