その拾柒 ~決別、そして~
この国に来てからふた月が経った頃。
治療も済み、あたしはすっかり元の状態へと回復していた。
ラプラスさまとバルトサールさんは仲がいいのか悪いのか、なかなかくっつく様子はなかったけど、徐々にその距離を近づけているようだった。
周りの人たちは親切で、角が生えたあたしの容姿も意に介さず、まるで以前からの顔見知りのように気さくに声を掛けてきてくれた。
――それから、異世界での暮らしにもすっかり慣れ、気がつけば2年の月日が経っていた。
ラプラスさまの家系には、〈二十歳までに婚姻を結ばなければ恐ろしい災いが降りかかる〉という、先祖伝来の言い伝えがあるらしく、それもあってなのか、紆余曲折の末にラプラスさまの二十歳を目前にして二人は結ばれた。
ラプラスさまは間もなく子を宿した。
キレネーさんや他の仲間たちも大層喜んで、懐妊が明らかになった日は街を挙げてお祝いムードに包まれた。
そのお腹の中にいる子こそ、ギルガメス。
ただ、スサノオの魂がその子に転生しているかについては、「生まれてきてみないことにはわからない」とラプラスさまは言った。
何度も神々の元を訪れて、転生の話をしに行っていたが、確約はできないのだそうだ。
そもそも、スサノオが本当に人間に転生するという意思があったのかどうかも定かではないため、あらゆる条件をクリアした末に初めて実現するのだという。
それでも、ラプラスさまは幸せそうだった。
お腹の子に優しく声を掛け、さすっている姿はすっかり母親の顔をしていた。
しかし、幸せな日々は長くは続かない。
近隣の強国、パステラハ帝国による突然の宣戦布告。
それまでの平和がウソのように、街は惨禍に包まれたのであった。
キレネーさんもバルトサールさんも一刻も早く戦争を終結させるために前線に向かっていった。
この国の平和を……ラプラスさまとお腹の子を守るために。
だが、それこそが帝国の狙い。
敵の術中に嵌められたのだった。
ラプラスさまを一人で孤立させること。
軍事兵器として利用するために、〈
その狙いに気づいて間もなく、レンガ建ての一軒家のリビングにあたしは呼び出された。
そこは戦地に赴く前にキレネーさんによって張り巡らされていた強力な防御結界に囲まれていて、ラプラスさまを守るという強い意思が込められているような場所だった。
大きな窓の、その手前に据えられたロッキングチェアに腰かけて、儚げな表情を浮かべながら大きくなったお腹をさすっている。
視線を自らのお腹に落としたまま、ラプラスさまはそよ風のような静かな声をあたしに向けた。
「――ここにいては危険。茨木、そなたが元の世界に帰る時が来たみたいだね」
「ッ!? な、何を言っているのです! あたしはこの場に残ってラプラスさまをお守りします! だからキレネーさんやバルさんも安心して戦地に向かうことができるとおっしゃっていたじゃありませんか!」
ラプラスさまのいない場所で、二人と約束していた。
この命に代えてもラプラスさまとお腹の子を守る。
命を救ってもらった恩を少しでも返せるのだ。
もちろんあたしは喜んでその役目を引き受けた。
「いやー、まさか帝国の狙いが我一人とはね。そのためだけに戦争を起こしちゃうんだもん。さすがにちょっと度が過ぎているよね。もう……ブチ切れそうだよ」
「ッ!? 何を言っているのです? まさか……そんな身体で――」
「見くびらないでよね。我は三天魔術師が一人、〈
「絶対にダメですッ!! お腹の子がどうなってもいいんですか!? 今回ばかりは何があっても行かせる訳にはいきません!」
「お腹の子のために、多くの人の命を犠牲にしてもいいなんて道理が通るはずがない!!」
「――!」
空気が凍り付くような息苦しさがあった。
何と言われようと引くつもりはない。
しかし、それはラプラスさまも同じ思いであることがひしひしと伝わってくる。
「我はね、この子には安心して暮らせる世界に生まれてきて欲しいんだ。今のこの世界はとても人が暮らすようなところじゃないでしょ」
「でも……ラプラスさまはこの世界の希望です! それに……その子だって……」
「この子が誰であろうとも、ギルはギルだ。……だけど、我らの子だからと言って、国の命運を背負わせるようなことはしたくない。母として、この子にはただ幸せに穏やかに暮らして欲しい。戦争は我らの代で必ず終わらせる」
「何を言っているのです。スサノオは
「ギルの中にスサノオが転生されているかはわからないと前に言ったはず! それに、母になったことのないそなたに我の気持ちがわかるはずがないじゃないか!」
「……一体、どうしてしまったのですか?」
何かがおかしかった。
以前のラプラスさまであればこんなことは口にしなかったはず。
戦争の緊張状態が続いたことに加えて、子を宿しているために情緒が不安定になっているのだろうか。
さらに帝国の狙いが自分に向けられていることによって、精神的にも相当追い詰められているのだ。
冷静な判断がまるでできていない。
これはあまりにも危険な状態。
やはり今のラプラスさまを戦地に行かせるわけにはいかない。
「ダメです! どうかおやめください! 大人しくこの場に留まってくだ――」
ハッとした。
視界に映るラプラスさまの瞳が普段の柔らかな色彩の桃花色ではなく、血塗られたような赤紅色に染まっていたのだ。
身体から放たれる強烈な魔力によって、髪がゆらゆらと宙に浮き上がっている。
これはマズい。暴走寸前。
すでに抑えが効かない状態。
ただ、キレネーさんによって張られた強力な結界は内側からもそうそう破れない代物のはず。
身重のラプラスさまにはさすがに手に余る――
「
すっと手をかざして放たれた解除魔法によって、結界は一瞬で消滅したのだった。
これがラプラスさまの本来の力なのか。
長い髪が左目にかかって隠れ、覗く右目からはさらに強い光……いや、闇が漏れていた。
「そ、そんな……」
「茨木、そなたには世話になったな」
「ダメ……」
「スサノオと会わせてやれなくてすまなかっタ――」
「そんなことはどうでもいいっ! 『命よりも大切なものなんてこの世にはない』って言ってくれたのはあなたでしょう! 自分とお腹の子のことだけを考えていればいいって、どうしてわからないの!」
「――我を見くびるナ。お腹の子のために帝国を壊滅させてくるだケダ。我は神と等しき存在ダ。死ぬわけがないダロウ? もうすぐ生まれてくるこの子のために……平和ナ……セカイヲ――」
ラプラスさまから放たれる闇がさらに濃く、そして大きくなって行く。
あたしの目の前にいるのは自我を失った魔女だった。
こうなればこの命と引き換えにしても――。
「彼の者をあるべき場所へと導け。盟約に従い、我、汝を召喚する! 〈
突然放たれた時空間魔法。
気づいた時にはすでに手遅れだった。
「くっ……このっ! ラプラスさまぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「茨木、今までありがとう……本当に、本当にすまなかっ――」【バヒュン】
*
瞼の裏に光を感じる。
目を覚まし、身体を起こすと、見覚えのある景色が広がっていた。
鼻をかすめる土の匂い。
木々の先には抜けるような青空。
天を見上げれば鮮やかな緑葉からキラキラと光がこぼれている。
「戻ってきて……しまった――」
そこは神々が天へと移り住み、人間だけが地上で暮らしている世界。
場所は同じでも時代は移り変わっていたのだ。
あたしは山の中でひっそりと暮らすことにした。
スサノオもいない、ラプラスさまもいない。
鬼であるあたしは、ひとりぼっちの世界で生きる意味を見失っていた。
――それから数百年の時が経った
そう言えば、ラプラスさまの子の名は何と言ったか。
彼女と一緒にいた魔女の名は何と言ったか。
彼女の旦那さんの名前も思い出せない。
数百年という途方もない時間は、あたしの中からあの頃の記憶を容赦なく奪っていた。
そんなある日、あたしは山の中で、ある兄妹と出会う。
兄の名は外道丸。
のちの
その兄妹はとても優しい人間だった。
あたしは兄妹との出会いをきっかけにして、昔、お祭りがあったあの日、スサノオがあたしに語っていた「人と鬼が共存できる世界」をどうにかして作り出せないかと願ったが、それは儚い夢と散った。
兄妹の妹、
この世界の人間はあまりにも醜悪だった。
だからあたしは酒呑童子と共に、人に成り代わって鬼が支配する世界を築くことにした。
残された道はそれしかないと思った。
あたしの世界に、もうスサノオはいないのだから――
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