その拾伍 ~時の扉~

 気がついたら頬が濡れていた。

 風が吹いて、涙が空にはらりと散っていく。


 ラプラスさまはほうきを逆に向き直って、あたしと正対している。

 その表情は真剣そのものだった。



「……今なんて?」


 ゆっくりと聞き返す。

 聞き違いだったらと願わずにはいられなかった。



「うん……スサノオには二度と会えないんだ。そなたも……我もね」


「そんな……どうして――?」


 一度はこの場で死を決意したのだ。

 ついさっきまで、もう会えないと思っていたけれど……でも、あたしはまだ生きている。



「会えるじゃないですか! 今からスサノオの元へ向かえば会えるでしょう!?」


 思わず語気を強めてしまう。

 だが、勢いそのままに睨むようにラプラスさまを見やると、彼女はこれまでに見せたことのない困惑した表情を浮かべていた。


 一つ嘆息を漏らすと、あたしの熱を冷ますかのようにラプラスさまは口元に無念さをにじませて静かに語り出す。



「すまないな茨木。まさかここまで想定外が重なるなんて」


「想定外?」


「もちろんカグツチだよ。我の占術ではカグツチが現れるのはまだ先の未来で、今のこの時はヤマタノオロチだけが脅威となると出ていたんだ。だから、スサノオとそなたなら十分に退治できると思っていた。


 もちろん、オロチを退治した後に赤い神がどこかで現れる未来も見えていたから、あの時そなたには『赤い神に気を付けろ』と忠告したよね。


 でも、現実に事が起こったのはこのタイミングで、突如としてカグツチが現れてオロチは暴走。これは我の占術を逆手に取ったと考えるのが妥当ってことだよ」


「……その『誰か』って誰なんです?」


「それはわからない。ここに来るまではカグツチが黒幕かと思っていたんだけど、おそらくヤツは単なる傀儡かいらい。何者かに操られ、利用されている一柱なんだと思う」


「あれほどの者が傀儡? まさか……」


 言葉を失いそうになる。

 カグツチはまさに邪神だった。


 一つボタンを掛け違えていればあたしはこの世にいない。

 圧倒的な力の差に何度絶望したか思い出せないほどなのに。


 あたしとラプラスさまの間に流れる重たい空気を察したのか、キレネーさんが代わって言葉を繋いでくれる。



「いや、残念ながらほぼ間違いないじゃろうな。ヤツが封印される直前に言い残した『オレは命令されてただけ』と言う言葉。あの時は単なる言い逃れかと思っていたが、これだけ状況証拠が出揃うと、傀儡でない方が不自然極まりない」


「状況証拠って、オロチが暴走したタイミングでカグツチが現れたという? 確かにカグツチは自ら『オロチのような強大な力を持つあやかしをさらに強化し、その力を手中に収めることが目的だ』って、ペラペラ語っていましたけど……」


「なるほどな。ならばやはり間違いあるまいよ。ラプラスがこの地の異変に気付くのが少しでも遅れていたら、国ごと滅んでいたかもしれぬな」


「それが想定外……と言うことですか。でも、そうだとしたら、それがどうしてスサノオと二度と会えないことに繋がるんです?」


 あたしが問うとキレネーさんとラプラスさまは顔を見合わせた。

 キレネーさんを手で制してラプラスさまが微かに頷く。



「もう残された時間はあまりないんだよ。今からスサノオを追っていたら間に合わないんだ。……ねぇ茨木。我が『ここには時空を超えて未来からやってきた』って言ったの覚えているかい?」


「……はい」


「実は、これこそが最大の想定外ってわけ。一刻の猶予も許さない火急の事態だったからね、時空をこじ開けて無理やりここまでやってきたんだけど、その弊害ってのは当然あるわけで――」


「一体それは……?」


「無理やりこじ開けた【時の扉】が元に戻ろうとして閉じてしまうんだよ。完全に閉ざされてしまえば我らは永久に戻れなくなってしまう。そして、なんだ。そんなことをしてしまえば、同じ時代に同じ存在が複数いることになっちゃうだろ? だからどうしたってスサノオには――」


「それなら、お二人はすぐに戻ってください。あたしはこの地に残りますから。これからもスサノオを陰から見守りながらこの地で生き続けますから!」


 拳を握りしめて伝えた言葉は熱を帯びていた。


 そうだ、あたしは鬼。

 しょせんは異形の日陰者。


 だから、陽の当たる場所になんて出なくたっていい。

 これからもスサノオをそっと見守る影であり続ければいい。


 ずっと抱えていた想いを伝えたのだ。

 アマテラスさまなら……ラプラスさまならきっとわかってくれると信じていた。


 しかし次の瞬間、耳に届いたのは思いがけない言葉だった。



「我は認めない」


「え?」


「我はそんなうじうじした考え方は大嫌いだ。そなたはどんなに辛くたって生きるんだ。今度は陽の当たる場所でさ」


「そんな……」


 全身から力が抜けていく。

 どうして、どうしてわかってくれないのか。


 あたしはそんなことは望んでいない。

 スサノオのそばにいられたらそれだけで十分なのに。



「だから、我は茨木も一緒に連れて行く。だって、どの道放っておけばそなたは死んじゃうからね。なんせLPライフポイントは残り1。MPはすっからかんの0。HPだって残りわずかだ。その辺で野盗にでも襲われたら、それでLPが0になって今度こそジ・エンドだろうね」


「じゃあ、ここで回復してくださいよ! お願いします! ラプラスさま!!」


 ラプラスさまの肩を手で掴み、ゆすりながら懇願する。

 嫌だ……スサノオと離れたくない……助けて……お願い――。



「――ごめん茨木。ここに来た時にも言ったけど、我らは二人して攻撃魔法の習得に明け暮れて、回復はまだほとんど使えないんだよ。だから、そなたは我らの世界に連れ帰ってちゃんと専門家の治療を受けてもらわないと」


「嫌です! あたしはここに残りますッ!!」


 駄々をこねる子供のように拒絶する。

 今一体どんな顔をしているのか。

 たぶん泣き叫ぶ顔はぐちゃぐちゃで、それはひどいものだろう。



「いい加減にしろ! 自分の命を何だと思っているんだ!」


 ラプラスさまの声が辺りに響いた。



「なっ……」


「命よりも大切なものなんてこの世にはないんだよ! それに我は以前そなたに言っただろう? 『縁ってのは未来永劫、繋がっていくものなんだ』って」


「あ……あの時――」


 アマテラスさまが人間に転生すると言いに来た時だ。

 大泣きするスサノオをあやすように優しい言葉をかけていたあの時。



「それは……スサノオにもまたいつか会えるってことですか? 確かあの時、『器が変わっても魂は変わらない』と」


「そうだね。縁があるって言うのはそういうことさ」


「……あたしは姿形が変わったスサノオと出会って、その時気づくことができるのでしょうか?」


「さぁね。我はそこまで責任は持てないよ。でも――」


「でも?」


 言葉を繰り返したあたしにラプラスさまはにっこりと微笑み返す。



「二人の想いが変わらなければきっと――ね」


 ……ずるい。


 このお方はいつだってそうだ。

 どんなに辛い状況の中でも希望の光を与えてくる。


 だからいつだってその言葉にすがりたくなってしまう。



「――わかりました。話半分で聞いておきますよ」


「話半分? なんで?」


「なんでって。スサノオは神ですよ。この戦いが終わったらいつまでも地上にはいないでしょう? さすがに天界へ行ってしまったら二度と会えないってことくらいあたしにもわかりますから」


 もう選択肢はないことはわかっていた。


 自分の命の代わりはない。

 そう言われたら何も言い返せるはずもない。


 だからあたしは生きるしかない。

 そしてどこかでスサノオの幸せを願う。


 ラプラスさまたちの住む世界に行ったなら、もうここには二度と戻ってこれない。

 それはつまりスサノオとは二度と会えないということ。


 器が代わり、魂だけが同じだなんて、転生でもしない限り起こり得ないはずだから。



「スサノオのヤツさ、たぶん人間に転生すると思うよ」


 目の前の元神ラプラスさまは天使のような笑顔を浮かべて、またとんでもないことを口にするのだった。

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