その拾参 ~バルトサール~

 手を挙げて合図を送る。


 ほうきにまたがり空に浮かんでいたキレネーさんは、親指を立ててあたしの合図を受け取ると、杖を掲げて言葉を発した。



状態解除ディスペルじゃ!」


 すると、足元から徐々に石化が解かれていく。

 腰、胸、そして首の上まで解除され、やがて頭のてっぺんまで。

 カグツチに意識が戻り、炎が体中から噴き出すその直前。


 あたしは飛び上がり、大きく五指を前に突き出す。

 カグツチの瞳がギンと見開いたその瞬間、激しく視線が交錯する。


 カグツチの纏う炎に巻き込まれそうになるその寸前。

 全霊を込めた術を放つ。



「憧術、悠久の刻スカーレットッ!!」


 瞳を茜色に変えて、渾身の憧術を漆黒の闇色の瞳にぶち込んだ。


【バグンッ】とカグツチの心臓から弾けるような音が聞こえたと思ったら、そのままヤツはピタリと動きを止めた。


 対象の動きを意識ごと停止する術。

 ただし、石化とは異なり生命活動は止めていない。

 つまり、生きている状態。


 やった。成功した。

 これでラプラスさまにたすきを繋ぐことができた。


 あたしは空を見上げ、ラプラスさまに向かって高く拳を突き上げる。



「や、やりましたぁ! あとはお願いしま……す――」


 言いながらグラグラと景色が歪んでいく。

 思わず片膝をつくと、前のめりに倒れないように両手を地面について身体を支えた。


 最後まで見届けるのだ。

 まだ倒れるわけにはいかない。



「あぁ、ずっと見ていた。よくやったね茨木! あとは任せておいて!」


 視線を空に移すと、ラプラスさまはほうきの上に立ち、両手を天に掲げていた。

 口元が動いている。何やら詠唱を行っているようだ。


 その言葉に吸い寄せられるように手の平の上に鈍色の魔力が集まっていく。

 それは1町100メートルを超える巨大な塊となってバチバチと乾いた音を立てていた。



「森羅万象、幾億の生命、邪悪なる魂の連鎖を断つ。我に其の力を与えよ。彼の者に永遠とわ暗澹あんたんを! 〈封印デスペラード〉!」


 澱みのないその声は大気を貫き辺りに響いた。

 細い腕から放たれた巨大な魔力の塊が身動きの取れないカグツチに炸裂すると、その身体を包み込み、大地を削りながら地中へと引きずり込んで行く。



け! 二度と復活できないように地の奥底まで連れていけ! 魑魅魍魎がうごめく地の底でその生涯に幕を下ろせ!」


 あたしの横にやってきたラプラスさまは己の放った魔力を後押しするかのように声を上げる。

 あたしたちも一緒になって大声を出した。


 やがて、ズズズズ……ゴゴゴゴという地面が割れる音が消えて、大地の震えがしずまっていく。


 地中深くへの封印が完了したのだ。

 その安堵からか、あたしはそのままバタリと背中から大の字に倒れてしまう。

 もう身体に力が入らない。


 それはラプラスさまも同じだったようで、ヘナヘナと空を飛びこちらへやってくると、ほうきから降りた途端にペタンと尻もちをついていた。


 封印は途方もない魔力を必要とするのだという。

 使い手によっては命と引き換えに放つこともあるようで、難易度は全ての魔法の中でも最高クラスらしい。



「さすがに疲れたねー。今日はもう動けそうにないや」


 尻もちをついたまま地面に手のひらをペタリとつけてラプラスさまが言う。



「あたしもです。こんなに疲弊したのは初めてです。でも、やったんですよね」


「あぁ、やった。我らの勝利だ」


 目の前にはラプラスさまのやり切った表情があった。

 汗ばんだ額に髪がへばりついている。

 見るからにヘトヘトだ。

 それならあたしはきっと、もっとひどい有り様なのだろう。


 あぁ、疲れた。本当に……。そして思わず目をつむる。


 その瞬間。

【バヒュン】と耳元で音が聞こえて慌てて目を開ける。

 そこは空の上だった。


 気づけばあたしはほうきの後ろに座り、目の前にはラプラスさま。

 そしてすぐ近くには一人でほうきにまたがるキレネーさん。


 一体何が? ……これはそうか、何か理由があって、キレネーさんはあたしたちがあの場に留まることを許さなかったのだ。


 まだ何か良からぬことが起こっているのか。

 だから瞬間移動で無理やり空に連れて来られたのか。



「お主ら、まだじゃ! あれを見ろ!」


 キレネーさんが杖で指す方向を目で追う。

 そこには信じがたい光景が広がっていた。

 地獄から蘇った炎の悪魔が、再び地上に姿を現したのだ。


 首に手をやり、だるそうに口を開けながらゴキゴキと鳴らしている。

 空に浮くあたしたちに気がつくと、邪気が混じった笑みをたたえた口元が動いた。



「テメーらよぉ。オレを封印しようなんざ、なかなか洒落たことをやってくれるじゃねぇか。だが残念だったなぁクソども。オレは


 事も無げにカグツチは言う。

 しかしそれは、あたしたちにとっては――



「最悪の結果じゃ! なんてことじゃ。ヤツはすでに封印に耐性を持っていたのか!」


「あ……あ、ぁ」


 口の中はカラカラだった。

 景色が霞む。

 頭がぼーっとする。


 一度途切れてしまった気持ちが動かない。

 もうすでにとっくに限界を超えていた。


 その中で放った最後の一撃。

 全てを出し切った。

 でも、勝てなかった。



「はは……こりゃさすがに厳しいね。まさか封印が効かないなんて――」


 ラプラスさまからも弱気な声が漏れる。

 キレネーさんは呆然としている。


 もう終わりなのか。

 いや、鎮魂歌レクイエムが流れるにはまだ早い。

 何か……ないのか。


 その時、どこからともなく聞こえてきた。

 低く、軽い調子の、それでいてどこか温かい声だった。



『おいおい、おめーら! いい女が三人集まって、何をそんなシケたツラしてんだっつーの』


 男の人の声?

 誰?

 この声はどこから聴こえてくる?



「バル!?」

「バルトサールか!」


 二人が一斉に声を上げた。


 その名はバルトサール。

 スサノオにとって、のちのラプラスさまと並ぶ、最重要人物となる人だった。

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