その拾 ~星天の魔女~
「クソ鬼ィ……」
カグツチが再びあたしの前に姿を現す。
憧術は完全に破られたようだった。
その証拠にさっきまでとは桁違いの闘気をまとっている。
本気であたしを殺そうとしていることは、その姿から見て明らかだった。
「ずいぶん遅かったじゃないか。スサノオはもうここにはいないよ。アイツはオロチの元へと行かせたからね」
「ほぅ、最後にいい仕事をしたじゃねぇか。そいつぁ手間が省けたぜ。本来はオレがちぃと痛めつけてからオロチに引き渡そうと思っていたんだけどよ、まぁオロチなら問題ねぇだろ。スサノオなんてオロチに比べりゃカスみてぇなもんだしなぁ」
「あっそ。バカのくせにペラペラしゃべってんじゃないよ。やるならとっととやってくれ。どうせあたしはもう何もできないんだからさ」
それはあたしの本心だった。
スサノオに言いたいことは伝えた。
この場からも逃がした。
あとはスサノオがオロチを倒してコイツらの計画を破綻させてくれたなら。
もうあたしにできることは他にはない。
スサノオが無事で、この先も元気でいてさえくれれば、それ以上望むことはない――
「はん……つまらねぇな」
「なに?」
「オリャー従順なヤツは嫌えなんだよ。ぜんっぜん面白くねぇ。テメーはそのはねっ返り具合が面白えと思ってたんだけどよ」
「お前みたいなクズにどう思われてるかなんて、それこそどうでもいい」
もう命は惜しくないと思っていた。
覚悟はとっくに決まっていたのだ。
あたしが吐き捨てるように言うと、カグツチの口からは予想だにしない言葉が発せられた。
「じゃあ、クソ鬼。テメーはオレの子を産め」
「……は?」
「神の子だぞぉ! オレの子だぞぉ! ありがてぇだろーがよぉ!」
逃げ出そうとした時にはもう遅かった。
あたしは両足首をカグツチに掴まれて、無理やり足を広げられる。
必死で堪えるがもう身体に力が残っていない。
空いた手でカグツチの顔を殴り、懸命に抵抗を続ける。
「やめろぉ! ……や、やめてくれええええ! ……頼む……それだけは――」
気づけばあたしは涙を流してカグツチに許しを乞うていた。
コイツだけには絶対にそんな真似はしたくなかったのに。
ほんの少し前までは死んでもいいと思っていたのに。
死以上の辱めを受けるなんてわかっていたら……さっきトドメを刺されておけばよかった。
どうしたらいいのかわからない。
気が狂わんばかりに泣き叫んでもカグツチは愉悦の表情を浮かべるだけ。
もう……全てがお終いだ――
その時だった。
視界の奥、カグツチの後方の空に2つの光が見えた。
光の主は流れるような旋律を奏でて呪文を詠唱している。
この声の主は――
「凍てつく世界を統べる氷の神よ。かの地に絶対の空間を生み出せ。盟約に従い、我、汝を召喚する!
光の中から生まれた白銀に輝く氷の結晶がカグツチを一瞬で氷漬けにした。
その後すぐに、ほうきにまたがって空を飛ぶ二つの人影にあたしは手を引かれてその場から空へと脱出。
ほうきの後ろに乗せてもらうと、前にいる少女がやや振り向き、肩越しに声を掛けてきた。
「間一髪ぅ。いやー、間に合ったようでよかったぁ。無事かい、茨木?」
「あ、アマテラスさま……?」
この声はアマテラスさまだ。
聞き間違えるはずもない。
ただ、姿がまるで違う。
背丈も少し低くなったように思えるし、長い黒髪ではなく、
服装も神事服の上から純白の天の羽衣を羽織った、あの頃のお気に入りのものではなく、雪のように真っ白な
「我は、元アマテラスだよ。言っただろ。人間に転生するって」
「え? でも、それはこの間のことだったじゃないですか。人間がそんなに急に成長したりするはずは……」
「我はすでに人間として17年生きてるよ。ここには時空を超えて未来からやってきた」
「?? 一体どういうことです?」
目の前の少女に尋ねると、言葉が返ってくる前に、横を並走しながら飛んでいたもう一人の少女が声を掛けてきた。
「ラプラス! のんびりしている暇はないようじゃ。さっきの火の化身がじきに術を解除するぞ」
赤紫色の
右手には大きな水晶がはめ込まれた杖を持っていて、ローブの下には、お腹の両側の肌が露わになった
足元にはかかとの高い靴を履いた、それは妖艶な少女だった。
「あの……あなたさまは?」
「ぬ? 私か? よくぞ申した。そんなに知りたいのなら特別に教えてやろう! 私は大天才魔法使いキレネー! またの名を三天魔術師が1人〈
「えっと、キレネーさん?」
「そうじゃ。で、こやつは――お主もその姿で会うのは初めてなのだろう? 改めて自己紹介くらいしたらどうじゃ」
目の前の少女はキレネーさんに促されると、頭をポリポリと書いて気恥ずかしそうに言う。
「我はそなたみたいに承認欲求モンスターじゃないっての」
「誰が承認欲求モンスターじゃ! それなら代わりに私が……」
「あーもう、自分で言うよ。ったくキレネーはこうなるとしつこいんだから」
「誰がじゃ!」
少女はプリプリするキレネーさんを気に掛ける様子もなく、軽やかにほうきの先に立つ。
あたしの方を向いてすぅと息を吸うと、天に人差し指を突き上げてニッと笑い、声高に名乗りを上げた。
「我が名は大天才魔法使いサリー・ラプラス。またの名を三天魔術師が1人〈
初めて正面から少女の顔を見る。
まだ少しあどけなさが残るが大きな瞳は桃白色で色香が漂っていたアマテラスさまとはまた違った清々さに溢れる、まるで後光に照らされているような神々しいまでの美しい少女だった。
「こらー! 私の真似をするな、ラプラス!」
「真似なんてしてないもーん」
二人は空中できりもみ飛行をしながら追いかけっこをしていた。
結構激しかったので、「酔うからやめてくださーい」と言ったら本当にやめてくれた。二人とも意外と聞き分けがよくて助かった。
それからしばらくして落ち着きを取り戻すと、ラプラスさまがほうきを逆にまたがり、あたしの方へ向き合って、頭の上にポンと優しく手を乗せて微笑みを浮かべてくる。
「我らが来たからにはもう安心していいよ。一人でよく頑張ったね、茨木」
それはいつかと同じ、温かい手のひらだった。
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