その捌 ~最愛の友のために~

 ゆらゆらと纏った炎を揺らしながら、火の神カグツチは不気味な笑みを浮かべてあたしを見下ろしている。


 肩に乗せていた鬼の精霊はあまりの恐怖にずっと震えている。

 あたしは腰袋に鬼の精霊を入れると、「いい子だからそこでおとなしくしてて」と声を掛ける。


 鬼の精霊は「はい……ですのん」と微かに呟いてスポッと頭を袋の中に隠した。



 これからどう立ち回ればいい?


 スサノオの声も聞こえなくなった。

 でも、生きてさえいてくれればそれでいい。


 どの道、こっちに……こんな絶望の中へ、ヤツを来させるわけにはいかないのだ。

 

 スサノオはこの地に残された唯一の希望。

 時間を稼ぐ。足止めをする。


 相打ちに持って行ければ言うことなし。

 そんな願望しか浮かんでこない。



(……ダメだ。足が震える。怖い。恐ろしい。身体が動かない。でも戦わなくちゃ――)


 現実を前にしたあたしの心の内側を見透かしたように、カグツチはじろじろと舐め回すように相変わらずこっちを見下ろし、口元に歪んだ笑みを浮かべていた。



(……逃げ道はない。あたしが逃げたらスサノオが殺される。それなら……いいかげん覚悟を決めろ! 死を恐れるな!)


 恐怖を薙ぎ払うように心に喝を入れる。

 見上げた先にいるカグツチを睨んで視線を離さない。


 にらみ合いはしばらく続いたが、沈黙を突き破るようにカグツチが声を上げた。



「んじゃ、テメーにはぼちぼち死んでもらっちゃうかぁ。クソ気味悪ぃクソ鬼ちゃんよぉ」


「……そう簡単にはやらせはしないって! 天魔法術アトモスッッ!」


 天に手を突き上げて、巨大な積乱雲を召喚。

 仄暗い鈍色をした雨雲が天を覆い、辺りの景色が急速にモノクロに染まっていく。



「天よ荒れ狂え! 暴風豪雨よ、甚大なる水量をもって、この地の全てを飲み込み尽くせ! 〈暴風雨テンペスト〉ッ!!!」


 今使える中で、最上級の水属性法術を発動。

 これで炎の壁を消火……とはいかないまでも、一部でも沈静化できれば――

 

 雨雲から大量の水の塊が局地的に降り注ぐ。

 炎の壁がボワァッと弾けるような音を立て、水蒸気が上がると周囲を真っ白な世界に染めあげた。


 視界が奪われる中、手で水蒸気を払い、目を凝らして炎の壁に目を向ける。


 しかし――



「無理無駄不可能! テメーって、マジのガチで頭の悪い野郎だな。んな甘っちょろい術で何とかなるわけねーだろうがよぉ」


 腕組みし、勝ち誇ったように声を張り上げるカグツチと、その後ろにはテンペストの影響を微塵も感じさせない炎の壁がそり立っていた。


 己が放てる反属性の最強魔法を持ってしても何の成果もあげられない。

 あたしがやっていることは無意味なことなのだろうか。


 たった一撃を放っただけで、疑惑が確信に変わる。

 無謀。無意味な足掻き。


 そうだ、これがアマテラスさまが危惧しておられた邪神なのだ。

 そんな相手に正面切って戦おうなんてのがそもそも間違っていた。


 ならどうする? 諦めるのか?


 いや、それはできない。

 せめてスサノオの生存を確認し、そしてヤマタノオロチの討伐へ向かってもらわねばこの国はお終いだ。


 それなら――



「火の神カグツチよ。随分と余裕を見せてくれるが、あたしはこの通りピンピンしているぞ。そんなナリして攻撃の方はさっぱりだったら笑えるんだけどね」


「はぁん? 底辺のクソ鬼がオレを煽ってンのか?

 ――クク……ギハハッ! オリャー圧倒的な実力差を見せてゆっくりと希望を削いでいくのが大好きでよぉ。だからテメーもじっくりいたぶってから殺してやろうってんじゃねぇか。


 ブクク、ギハハッ! イキったカスが最後には震えて土下座して許しを乞うてくるのなんざ、ガチのマジでたまんねぇよなぁ」


 カグツチは自分の言葉に快感を得たかのように不気味な笑みを顔に浮かべている。

 

 そのあまりにも醜悪な顔に思わず顔が引きつる。

 次に込み上げてきたのは、目に余る腐りきった性根に対する怒り。


 あたしはわざとらしくふんと鼻を鳴らすと、いきり立つカグツチに指を突き出して声をあげる。



「イキったカスはテメーだよ。このクソサド野郎!」


「ンだと?」


「さっきから気持ち悪いんだよ。そんなんだから産み落とされた瞬間に親にも斬られたんだろうね」


「てンめぇ……」


 あたしの言葉に反応しているのか、表情に明らかな変化が見て取れる。

 憎悪の感情によって体に纏った炎は倍増し、周囲の空気は焼かれ、空には大量の灰が舞い踊っている。


 これだけの差を見せつけられて、さすがに勝とうなんて都合のいい考えはとっくに消え失せた。


 ただ、こっちの目的は果たさせてもらう。

 そう決意したら、身体から力が湧いてくるようだった。



 あたしは右手を突き出し、くいくいと手招きをする。

 その仕草に苛立ったのか、カグツチは漆黒の目を見開き、炎を撒き散らしながら襲い掛かってきた。


 刹那。あたしの左肩と左腕は大砲の球体に撃ち抜かれたように丸くえぐられていた。


 激烈な痛みがすぐにやってきて、(左肩から先がない……)と、あまりにも現実離れした出来事に一瞬他人ごとのように思ってしまう。


 そして、気づけば次の攻撃が顔面に向けられていた。

 左の鉤突きフック気味の攻撃を頭を捻って交わそうとするが、頬をかすめただけでやはり抉られてしまう。


 恐慌状態になりそうになりながらも、咄嗟に残った右手を使って側転からの連続バック転から伸身宙返りを敢行し、どうにか安全な距離を確保。


 ……あたしの上背の3倍近い17尺(5.1メートル)以上はゆうにありそうな巨躯のくせに、一旦動き出すと目で追いきれないほどに速い。

 しかも、おそらくはまだ本気を出してはいないときてる。


 でも、今のでコイツの攻撃の特性のようなものが何となく把握できた。

 

 実力差があり過ぎるのは元からわかっていること。

 ならば、この可能性に賭けるしかなさそうってことか。



「たはっ、逃げるのだけははえーじゃん。ちょっと殴っただけで死にそうになっちゃってるけどぉ。なぁ、テメーは今どんな気持ちぃ? 辛ぇ? 怖ぇ? 泣きてぇ? なぁ、教えてくれよぉ」


 あたしの姿を視界に捉えると、興奮気味にまくし立ててくる。

 耳障りなノイズに不快感が増して行く。


 頬から、そして失われた肩口からとめどなく溢れ出す赤い鮮血。

 意識が薄くなり目の前が霞む。


 あたしにはまだ覚悟が足りなかった。

 あわよくば自分も生き延びようなど、虫のいい願望が己の中に潜んでいたことを認めなければなるまい。


 ここからはもう己の生死は完全に後回しだ。


 風前の灯火であるならば、我が友……のために全てを捧げる覚悟で――

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