その柒 ~赤い神~

 灼熱の炎に肌がただれる。


 ハッと我に返り、一足で大きく距離を取ると、改めて見る果てしなく続く巨大な炎の壁を前にして唖然としていた。



「一体なんだこれは……目の前で何が起こっている? さっきまで戦っていた魑魅魍魎どもはすべてこの炎の中に吸収されたのか?」


 妖は一体残らず、その姿はいつの間にか完全に辺りから消えてなくなっていた。

 その代わり突如として現れたこの巨大なぶ厚く、それでいて天高くそびえる炎の壁はその勢いをさらに増して行く。


 でも、いまはとにかく……



「スサノオーーーーーッ! 無事かぁーーーーーッ!?」


 火の粉が舞う中、あたしは必死に炎の壁の向こうへ声を張り上げる。



「俺は大丈夫だーーーーーッ! お前こそ無事かーーーーーッ!?」


 よかった、生きている。

 と思ったのもつかの間だった。


【ボオオオォォ】と言う、さっき聞いたものと似た乾いた音と共に、あたしの目の前に真っ赤な何かが空からゆっくりと降りてくる。


 その人影は身体中に炎をまとった真っ赤な肌の色。

 逆立った真っ白な髪と黒目のない漆黒の双眸が、この世の邪悪さを体現しているように見えた。



「……赤い……神?」


 アマテラスさまの言葉を思い返していた。


『〈赤い神〉に気をつけなさい』と、確かにあのお方はそうおっしゃった。


 となれば、間違いない。コイツは敵だ。

 今すぐにスサノオと合流して何とか対処をせねば。



「おい! どうした!? 聞こえているか茨木!」


 炎の壁の向こうからスサノオの焦りを孕んだ声が聞こえてくる。



「マズい! 赤い神だ! アマテラスさまがおっしゃっていた、赤い神がこっちにいる!」


「何だと!? わかった今すぐそっちに……ぐわあああああああッ!」


「おい、どうした!? 大丈夫かスサノオッ、スサノオーーーッ!」


 何度も何度も声を掛けてもスサノオは呼びかけに応じない。



「無理無駄不可能。いい加減に気づけよ、無能の出来損ない」


「ッ!?」


 赤い神の声。

 この感情を逆なでするような雑音ノイズ交じりの低い声。


 全身から嫌な汗が吹き出す。本能がその存在を全否定している。

 でも……ここは引けない。



「おい、赤い神よ。お前は何者だ? なぜあたしたちの邪魔をする?」


「ギハッ! ククク……おいおい、神の中にあって出来損ないの分際の鬼がオレと対等に口が利けると思ってんのか?」


「偉そうに。……あぁそういうこと。身分の低い神だから名乗るのが恥ずかしいってことかしら?」


 相変わらず嫌な汗は止まらない。

 けど、そんな素振りは見せられない。


 弱みを一瞬でも見せたらすべて持って行かれる。

 目の前にいるのはそういう存在だと本能が警鐘を鳴らしている。


 赤い神はあたしの分かりやすい挑発にふんと鼻を鳴らして見下ろしてくる。

 深淵の闇を具現化したようなその双眸に飲み込まれそうになるのを必死で堪え、瞬きもせずに睨み返す。



「ほぅほぅ、ザコい割に度胸だけはあるみてぇだな。んで、名だっけか? そおかぁ、これがいわゆる冥途の土産ってヤツかぁ」


「……言え、お前は誰だ?」


 その余裕綽々よゆうしゃくしゃくの態度に怯んだ様子を見せないよう、改めて睨みを利かせて静かに問う。


 あたしの言葉が止まったことを見定めると赤い鬼は漆黒の双眸を見開き、両手を高く掲げた。

 身体に纏っている炎から火の粉が激しく舞い散る。



「んじゃ特別ぅ。冥途の土産に聞かせてやっか。オリャーよ、火の神こと火之迦具土神ひのかぐつちのかみ。〈カグツチ〉ってんだ。あと、こりゃついでだがよ。アマテラス、ツクヨミ、スサノオたち三貴子の兄でもあるんだよなぁ」


「な……!?」


「ってなワケで、わざわざテメーらをぶっ殺しに来てやったぜ。つーか、誰にもオロチの邪魔はさせねぇかんなぁ。オリャーよ、今大事なを任されてんだ。わかったらとっととオレに殺されろよ、出来損ないのクソ鬼ちゃん」


「実験? それってどういう……」


「うるせえな。実験は実験だ。ようは邪神の選抜試験ってとこかぁ。強力な器に、より強い中身をあちこちから強制転移させて、さらに強ぇ個体を生み出そうとしてんのよ、は」


「どういうことだ? って、? それはお前のような邪神が他にもまだいると言うことか?」


「おぅ、いるいる。そりゃもう、たーくさんいるぜぃ。いずれこの世はオレらのもんになる。んで、オロチはその荘厳なる計画完遂かんすいのための被験者第一号ってか。ギハハハハ!」


 ……火の神カグツチ。コイツはまごうことなき邪神。

 アマテラスさまが言っていた忌避の対象そのもの。


 それにいつかアマテラスさまに聞いたことがある。

 スサノオの母上さま……となるはずであったイザナミさまを生まれた瞬間に焼き殺した罪で、スサノオの父上さまであるイザナギさまにその場で斬り殺された神がいたと……。



「なぁ、カグツチという出来損ないの神はイザナギさまに斬られて死んだはずではなかったか……?」


 震えが伝わらないように気を払い、声を絞り出す。


 見上げた先の黒い瞳を持った邪神は、声の抑揚だけで明らかに愉快そうにしているのが伝わってくる。

 カグツチは問いかけにはじき返すように言葉を吐いた。



「イザナギぃ? あぁ、あのクソ親父なー。確かにあン時は速攻で斬られたっけなぁ。ったく、産み落とされたばっかの赤子を斬り殺すとか、アイツ、マジで頭に蟲でも湧いてんじゃねーの。


 ただ、オレのこの世への執着が上回ったみてぇでよ、何か知らねぇけど生き残った。いや、アレは今思えばのかもなあ。


 とにかく、そんなワケだからよ、もちろんイザナギはバッキバキにこのオレがぶち殺してやった。つまり、オレはガチのってワケ。しかも両親いっちまったぜ! ギハハ! ギハハハハ!」


〈起源神イザナギさま〉と〈創造神イザナミさま〉のどちらも殺した?  

 そんな……それが真実だとすれば大罪どころの話ではない。



(こんな……こんなヤツがいたなんて……。アマテラスさま……聞いていませんよ……。どう考えても勝てる相手じゃない。さすがに無理です……)


 今まで神々に、鬼だ異端だと蔑まれ疎まれたことは何度もあったけど、そんな時に心にどろッと流れ込んできた闇とはまるで次元が違う。


 目に見えるものすべてが漆黒の闇に塗り潰されていくようだ。


 今はっきりと認識した。

 これが……真の絶望であると。

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