その伍 ~血塗られた景色~
ヤマタノオロチが住むという
しかし、ヤマタノオロチがすでにこちらに向かってきているのであれば、どこかで遭遇するはずだと、クシナダの父アナヅチは言った。
何せ山のように巨大な妖なのだ。
見落とすはずがないという。
昼に出立したあたしたちだったけど、初日はおよそ5里(20km)ほど進んだところで暗くなってきたので、渓流のほとりで野宿をすることに。
周囲に結界を張り、その中でスサノオが焚き火を起こす。
あたしとスサノオに疲れはなかったが、クシナダはひどく辛そうだ。
その様子をちらりと視界に入れたスサノオが焚き火に薪をくべながら声を掛ける。
「なぁ、クシナダ。お前は人間だ。俺たちに合わせて歩くのは大変だろう」
「い、いえ、そんなことは。足手まといになってしまって申し訳ありません」
クシナダの性格ならそう言うだろうと思っていた。
あたしは顎に手を当て、「ふむ……」と口ごもると、スサノオに言う。
「なぁ、それならお前さんの術でクシナダを何かに変えてやればいいんじゃないか」
「それは
「あぁそうだ。クシナダだから……うむ、
「なんだそれは、洒落のつもりか?」
「ふふ……そうかもね。でもいい考えだと思わないか――クシナダはどうだ?」
あたしが目を向けるとクシナダは恐縮しきりと言った表情で胸の前で指の先を突き合わせ、もじもじしている。
「そそ、それはありがたいと言いますか、そこまでお気を遣わせてしまって……その、申し訳ないと言いますか……」
だいぶテンパっている様子が伺える。
突然あの三貴子が一柱、スサノオがやってきて一緒にヤマタノオロチ退治に向かっているのだ。
心が休まる時などどこにもなかっただろう。
「いいんだよ。スサノオなんてこき使ってやるくらいが丁度いい」
「おう、茨木が言うなら俺は構わんぞ」
「バカ! お前さんは少しは反論しろ」
「どうしてだ? 茨木が望むなら俺が反対する理由なんてないだろう」
「まったく、この男は……」
あたしたちのやり取りを見て、クシナダは「お二人、とても仲がよろしいのですね」と口に袖を当てて微笑んだ。
スサノオは「おう、当たり前だ」と言って豪快に笑う。
やっぱりスサノオはどこへ行っても変わらない。
*
翌朝。
出発の前になると、スサノオは
「くく……いいじゃないか。なかなか似合っているぞ」
あたしが言うと、スサノオは満更でもなさそうに口角を上げて親指を立ててこちらに向けた。
その日はおよそ20里(80km)ほど進むがヤマタノオロチの姿はどこにも見当たらない。次の日もただいくつもの集落を越えて進むだけ。
しかし、出立から4日目。山道を歩いていると、スサノオが突然立ち止まり、妙なことを言い出した。
「向こうから血の匂いがする」
スサノオが指差した方向は盆地を挟んだ視界の奥に見える山だった。
「おい、向こうは
あたしが言うと、スサノオは首を横に振った。
「確かにそうなのだが、こんなに血の匂いを嗅がされては放ってはおけんだろ。とにかく行ってみよう」
そう言って、スサノオは山を一直線に駆け下りていく。
何だか妙な胸騒ぎがする。
でも、今はついて行くしかない。
何かがあったらスサノオを守るのはあたしだ。
そう言い聞かせて。
*
山を二つ超えた先にあった集落。
そこはまさに地獄と呼ぶにふさわしい血塗られた景色が広がっていた。
そこにいるほとんどの人間が血まみれで、原形をとどめずに息絶えていたのだ。
眼球が破裂したり、骨が剥き出しになっていたり、首だけが落とされていたりと、様々な形状の死体がそこら中に転がっている。
「なんという……」
スサノオは上手く言葉を発せずにいた。
絶句しているのだ。
確かにこんな凄惨な光景は見たことがない。
人間同士の争いではここまで酷い死体にはならないだろう。
となれば――
「やったのはヤマタノオロチか?」
スサノオに問いかけると、「わからん……」と短い言葉が返ってくる。
それからしばらく二人で呆然と立ち尽くしていたが、あたしはあることを思いつき、スサノオに尋ねる。
「なぁ、お前さんの
「能力の付与? 例えば?」
「うむ、あたしたちは二人とも索敵が苦手だろう? 今だってこうして立ち往生してしまっているくらいだ。だから、そういう能力を付与した存在を生み出すことが出来たらこの場で役に立つのではないかと思ってな」
「そういうことか。試したことはないが、俺の能力の範囲を超えないのであれば可能かもしれぬ。何よりお前の頼みならやってみよう」
「あぁ、頼む。いいか。付与するのは『敵の能力がわかる』という
「何だかややこしいな。で、元の素材は?」
「それならこれでどうだ?」
あたしは言うなり、ぶちぶちと耳を引きちぎってスサノオの前に突き出した。
「な、お前! 何を!?」
「いいから早くしろ。この耳にまだ血が通っているうちに」
「く……わかった。
スサノオが印を結んで手をかざすと、あたしの耳がゆっくりと人の形になっていく。
「……うう~ッ、ぷはぁ。生まれたのですねん」
手の上には人間の幼子くらいの大きさの鬼の精霊が寝転がっていた。
あたしはその精霊を地面に下ろすと、一仕事終えたような顔をしているスサノオに言う。
「おい、スサノオ。何だコイツは?」
「ん、何って、敵の能力がわかる
「いや、コイツ、角が生えているぞ」
「まぁそりゃあ、お前の耳が素材な訳だから、鬼なんじゃないか?」
「そういう仕組みなら最初に言っておいてくれ。それなら簡単に鬼の仲間を増やすことができるってことになるじゃないか」
あたしの足元でじゃれてくる鬼の精霊の頭に、屈んでからポンと手を乗せて言うと、その様子を見ていたであろうスサノオは少し黙考してから口にした。
「まぁそうなんだが、物質強制変化は俺がいないとできないことだろう? でも、おそらくはお前の身体の一部を人間や他の生き物に食わせても鬼化はすると思うが」
「なるほどね。覚えておくよ。おそらくもう使うことはないと思うけど――それより……」
この状況だ。
こんな真似を平気でできるのはおそらく
それもかなり強力な上位クラス。
「なぁ、お前さん」
あたしはさらに屈んで腰を落とすと、鬼の精霊と目線を合わせて声を掛ける。
「なんですのん?」
「これをやったのがどこの誰かはわかるかい?」
鬼の精霊は唇に人差し指を当て、う~んと声を漏らしながら空を見上げる。
「それはよくわからないのですねん。強い、とても強い妖」
「うん、それくらいはあたしたちもわか――」
「その中に転生者が入ってますねん」
あたしの言葉を遮って、鬼の精霊は口にした。
その言葉にハッとして、精霊の小さな肩に手を置き、ゆすりながら問いただす。
「なぁ、転生者だって? お前さん、何でそんなことがわかるんだい?」
「だって、アチシの
転生者?
それって、この間アマテラスさまが言っていた『人間に転生する』と言うアレのことだろうか。
「その転生者の情報ってどこまでわかるの?」
鬼の精霊に尋ねると、自信ありげにこう答えた。
「アチシは転生前の正体までわかりますねん」
「……それって、これをやった化け物の中身がわかるってことだよね? 一体誰なの、その中に入っているという転生者は?」
「……
「剣豪……宮本武蔵……そいつがこんな酷いことを?」
鬼の精霊はコクリと頷く。
スサノオは険しい表情の中で目に炎を宿すと、眼前にそびえる山々に視線を向けたまま、鬼の精霊に尋ねた。
「おい、鬼の子。その化け物はどの方角にいるかわかるか?」
「ん~、向こうですねん」
鬼の精霊が指を差す。
あたしはすぐにその子を肩に乗せるとスサノオに言葉を投げかけた。
「行こうスサノオ! 猶予はない」
「あぁ、急ごう!」
無数の亡骸を越えて、あたしたちはまだ見ぬ妖を探して走り出した。
それは永遠の別れの始まりの一歩だとも知らずに。
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