その肆 ~出雲の娘~

 出雲へと向かう道中。

 スサノオの口数はこれまでと比べて極端に少なくなった。


 いつも喧嘩ばかりしていたが、心から信頼を寄せていた最愛の姉がこの世から消えてしまったことが原因であることは明らかだった。


 最後は笑顔で見送っていたが、そのショックはあたしが思うよりもよほど大きかったと見える。


 

 さらに数日歩き続けると、葦原あしはらなかくにの出雲エリアに足を踏み入れる。


 もちろん初めて訪れる場所だった。


 この地であたしたちが果たす役目とは何なのだろう。

 アマテラスさまはそこまでは教えてはくれなかった。


 言い知れぬ不安に駆られながら、なおも歩みを止めず、あたしたちはただ神や人の気配を探し続ける。



 出雲の鳥髪峰とりかみのみねに到着する頃にはすっかり夜も更けてきた。

 空からポツポツと雨が降ってきて、やがてそれはどしゃ降りとなった。



「今夜はどこかで雨宿りをさせてもらうとするか」


 あたしが言うと、スサノオは黙って頷いた。

 ちょうど視界の向こうに集落が見えたので、そこにある家を順に訪ねてみることにしたのだった。



「もし、誰かおらぬか?」


 どの家も中は暗くてよく見えない。

 何度か戸を叩いても反応がないので次の家へ。


 同じことを繰り返した5軒目。

 雨音に交じって中から微かに女のすすり泣く声が聞こえてくる。

 


「おい、スサノオ」


 声を掛けると、スサノオはあたしの目を見て頷き、コンコンと戸を叩く。

 


「もし、中にいるのだろう? すまぬが戸を開けてはもらえないだろうか」


 スサノオの呼びかけにしばらく間があった後で戸が開く。

 


「夜分に失礼する。外から女の泣き声が聞こえたのだが、一体どうしたと言うのだ?」


 戸の向こうには頭に白いものが混じった人間の男が立っていて、神妙な表情を浮かべてこちらを見ている。

 


「あ、あなたさま方は?」


「俺はアマテラスが弟、スサノオ。こいつは茨木。俺の連れだ」


「そのお姿。言い伝えの通り、まさしく天下にその名を轟かす三貴子が一柱、スサノオさま。それに黎明の鬼、茨木童子さま。おぉ、神は私たちを見捨てなかった――」


 あたしたちを見て涙ぐむ人間の男。

 あたしとスサノオは頭に「??」を浮かべて見つめ合う。


 すぐに中へと招かれて、土間に蝋燭ろうそくが立てられた。

 ゆらゆらと浮かび上がる炎の向こうには3人の親子が泣きはらした顔で俯いていた。


 父親はアナヅチ。母親はタナヅチ。

 そして娘はクシナダと紹介される。



「お前たち、一体なぜ泣いている?」


 スサノオが尋ねると、アナヅチが一度こちらに視線を向けて、再び俯くと静かに語り出す。



「私には元々8人の娘がおりました。しかし、毎年この地にやってくるヤマタノオロチにこのクシナダ以外の7人の娘は皆食べられてしまったのです。今年もそろそろこの地へとやってくる頃。そうなったら残ったこの子も――」


 絞り出すように言うと、3人の親子は顔に手を当てて、堪えきれずに嗚咽を漏らす。



「そう言うことか……」


 あたしが呟くと、スサノオはこちらを振り向いて「何がだ?」と聞いてくる。



「アマテラスさまがあたしたちを出雲の国へとよこした理由だよ。きっと、そのヤマタノオロチとやらを退治して、この地に平和をもたらせということなんじゃないか?」


 あたしの言葉に反応して、スサノオの目に光が戻ったように見えた。



「なるほど。鋭いなお前は。確かにそうとしか考えられぬ――よし分かった! お前たち、ヤマタノオロチのことは俺たちに任せておけ。必ずやそのあやかしを退治して、出雲の国を守ると約束しよう」


「そんな……本当によろしいので?」


「もちろんだ。俺たちはそのためにここまでやってきたのだからな」


「あぁ……何とお礼の言葉をお伝えすればいいのか。本当に、本当に……ありがとうございます……」


 父のアナヅチがそう言って土下座をすると、それに倣ってタナヅチとクシナダも土下座をして床に額をこすりつけた。



 スサノオは「頼むからそんなことはやめてくれ」と言い、「その代わりと言っては何だが、今晩ここに泊めてはくれないか?」と続けた。


 やるべきことを見つけて、すっかり憑き物が落ちた様子。

 そこにはいつものスサノオの朗らかな笑顔が戻っていた。


 話がひとまず落ち着くと、「長旅で腹も減っているでしょう。晩御飯を食べていってください」との打診があり、ありがたくいただくことにしたのだった。


 そして食事を終えると、スサノオは父アナヅチに思い出したように尋ねる。



「なぁ翁よ。そう言えば、ヤマタノオロチは今どこにいるのだ?」


 白湯を飲んでいたアナヅチは、湯呑を床に置くとゆっくりと顔を上げた。



「おそらくは、越国こしのくにからこちらへ向かってきている最中かと……」


「すでに動き出しているのだな。わかった。それなら早速明日出立しよう」


 スサノオの言葉に娘のクシナダがすぐさま反応する。



「そ、それなら私も連れて行ってくださいませぬか?」


「お前を? それはダメだ。あまりにも危険すぎる」


「でも、道案内は必要だと思うのです。大丈夫です。ヤマタノオロチが現れたならすぐに避難しますゆえ」


 クシナダは一歩も引かない。その表情からも決意が伺える。

 責任感が強い娘なのだろう。

 そう思ったらほとんど無意識に口添えしていた。



「確かに道案内は必要だろうな。それに何かがあったらお前さんが守ってやれば問題はないんじゃないか」


「ふむ、茨木がそう言うのであれば……。よし、いいだろう」


 クシナダは「ありがとうございます!」と、丁寧に何度も頭を下げていた。


 見た目も美しいし、性格も素直で責任感も強い。

 こういう娘がきっとスサノオには似合いなのだと思ってしまう。


 純粋無垢なその少女が羨ましかった。





 翌日。

 朝方まで降り続いた雨もすっかり止んで、外は快晴に包まれていた。


 朝食をご馳走になると、すぐに支度を始める。

 あたしとスサノオ、そしてクシナダの3人は昼前には出立の準備を終えていた。



「では、これよりヤマタノオロチの討伐に向かう」


 家の前でスサノオが言うと、「クシナダをどうかよろしくお願いいたします。ご武運を」と父アナヅチが深々と頭を下げた。


 その後ろに隠れるように控えていた母タナヅチは3人分の握り飯をクシナダに渡していた。


 スサノオは握り飯をクシナダの手から強引に奪うと、腰袋にさっと仕舞う。



「お前は何も持たなくていい。身軽にして、危険を感じたらいつでも逃げられるようにしておけ」


 この男はいつもこうだ。

 ぶっきらぼうだが心根が優しい。

 クシナダに目をやると、俯いて頬を赤らめていた。


(ふ~ん。この二人やっぱりお似合いじゃないか)なんて、つい二人を見守る姉のような心境になる。


 無事に戦いを終えることができたなら今度こそあたしは身を引こう。

 それがきっとスサノオのためには一番いい。


 スサノオと共にヤマタノオロチを討伐できれば、アマテラスさまもきっと許してくださるだろう。


 しかし、この時のあたしは全然わかっていなかった。

 何もかもが思い通りに行かないのが世の中の真実リアルなんだってことを。

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