その参 ~縁~

 出立を明日に控えた宵の口よいのくち


 あたしたちはスサノオが寝床にしている農作小屋で共に身支度を整えていた。



「それで終いか? 次は出雲いずもに向かうんだろ。それにしては随分と荷物が少ないじゃないか。長い旅になるのだろう?」


 あたしが尋ねると、スサノオは静かに首を横に振る。

 


「いいんだよ。あんまり荷物が多いと忘れてしまう。だから必要最小限でいい。それにその方が身軽だしな。食い物さえ調達できれば何の問題もないってな」


「まったく、お前さんらしいな」


 身支度を終えたあたしたちは戸を開けて外に出る。

 辺りは夕闇に包まれていて、オレンジ色の太陽が眼前にそびえる山の向こうへと沈もうとしていた。



「綺麗だな」


「あぁ」


 どうにも少しセンチな気分になる。


 慣れ親しんだ場所の出立を明日に控えているのだ。

 それはスサノオも同じ気持ちだったに違いない。



「おぉそうだ、この光景もしばらく見納めだ。それなら今から山のてっぺんまで登って周囲の景色を目に焼き付けておかないか」


「うん、いいね。行こうか」


 二人で山の頂上を目指して駆けていく。スサノオの背中を見ながら同じ方へ進んでいく。それだけで十分に幸せを感じてしまう。

 

 あたしたちの目指す場所がずっと同じならいいのに。





「やぁ、着いたな。良い眺めだ」


 山の頂上に着き、巨木の高枝に二人で座る。


 お気に入りの場所。

 以前、アマテラスさまと二人でお話した場所だ。



「あたしはここからの眺めが一番好きだな」


「そうか。なら俺もここからの眺めが一番好きだ」


「真似をするな」


「いいじゃないか。お前が好きな場所なら俺も好きに決まっている」


「何なのその理屈は?」


「理屈じゃない。好きな女が好きなものが好き。そんなこと当然だろ」


「……はぁ? 何を言ってるか、あたしゃさっぱりわかんないよ」


 二人で笑った。

 スサノオの屈託のない笑顔が好きだった。


 それからしばらく黙って沈む夕陽を眺めていた。

 夕日に照らされるスサノオの横顔をチラッと見たりしながら。

 


「どーん!」


 空のほとんどが闇の藍色に落ちる頃。


 突然目の前にアマテラスさまが現れた。

 ご丁寧に効果音を自ら口にしながら。

 


「何だよねえさま! せっかく茨木と二人っきりの時間を満喫していたのに」


「おーおー、それは邪魔して悪かったねー!」


 スサノオの反応が思いのほか冷たかったからなのか、アマテラスさまは口を尖らせて不満を表す。

 


「あ、いえ。邪魔だなんて――こら、スサノオ。アマテラスさまに失礼でしょ」


「いいんだよ。大体姉さまって、実は俺よりも子供っぽいところがあるんだぜ。ご飯の量が少ないと拗ねるし、ちょっとかまってもらえないと拗ねるし、会合で八十神たちに意見を反対された日なんて、腹いせに大雨降らそうとするし」


「そんなことはないってばー。適当なことを言うのはやめてちょうだい」


「まぁまぁ、二人とも落ち着いて」


 まったく、この姉弟は仲がいいのか悪いのか、今でもよくわからない。でも、1つだけわかっていることがある。二人は互いを心から信頼していると言うことだ。



「で、突然やってきて何の用だ?」


 スサノオが尋ねると、アマテラスさまは何かを思い出したように手をポンと叩いた。



「おぉそうだった。そなたらに伝えなくてはと思ってな」


「ん、何を?」


「この度、我は人間に転生することにしたから」


「「はぁぁぁぁぁぁ!?」」


 アマテラスさまは艶然えんぜんと微笑んでいる。

 あたしたちは驚きを隠せずに顔を見合わせた。



「お、おい。ちょっと待て。話の前後がまったく見えないんだけど」


「そうですよ。一体どう言うことなんです? 大体、八十神やそがみたちは知っているのですか?」


 矢継ぎ早に問い詰める。

 アマテラスさまは最高神だ。その存在が人間に転生するなんて、他の神々がお許しになるはずがない。



「まだ言ってない。言うのはそなたたちが初めてだよ」


「冗談……ですよね?」


「冗談ならもっと面白いことを言うよ」


「……理由を聞かせてもらってもいいですか?」


 あたしが言うと、アマテラスさまは笑みを携えたままコクリと頷く。

 ふわりと浮いて、あたしたちの正面に向き直すと交互に視線を合わせてから話し出した。



「嫌な話を聞いた。この地に潜む邪神の話さ」


「邪神? それはどういう」


よこしまな神さま。つまり悪い神ってことだね」


「神さまに悪いものなどいるのですか?」


「いるんだよ。神だって千差万別。そこに感情があれば悪い方に傾くものも当然出てくるさ」


 スサノオは何も言わず、目を閉じ腕組みをしながら聞いている。

 あたしはアマテラスさまの目を見て頷いてみせる。



「では、その邪神とやらとアマテラスさまの転生には関係があるんですね」


「そういうこと。邪神自体はすでに存在している。でも、まだ脅威と言うほどではない」


「と、言いますと?」


「八十神たちがいれば対処可能ってことだよ。でも、このまま邪神が増え続けたり、他の国から強大な力を持つ邪神に攻めてこられたらこの国が滅ぼされてしまうかもしれない」


「アマテラスさまのお力を持ってしてもですか?」


「ああ、この世には想像もつかない力を持った邪神がいるらしい。この世は広いからね、そういう存在がいても不思議ではないと思っていたけど……」


 言葉尻が小さくなっていく。悲しそうな表情だった。

 アマテラスさまだってお辛いのだ。


 どんな思いで今回の決断を下されたのか。

 お気持ちを想像するだけで胸が押しつぶされそうになる。



「姉さま」


 それまで黙って聞いていたスサノオが口を開いた。



「なぁに?」


「俺はそんなに頼りないか? 俺だっていつまでも悪ふざけを続けるつもりはない。国の危機とあらばこの身が朽ち果てても守ってみせる。だから、姉さまばかりが犠牲になる必要なんてない。『お前に任せた』ってその一言で俺は命を張れる。だから今すぐにそう言ってくれよ」


 スサノオは目に涙を浮かべている。

 泣き虫の神。それは感情が豊かである証だとあたしは知っている。



「やぁねぇ、泣くんじゃないよ。これは修行のようなもの。後ろ向きに捉える必要はないわ」


「……修行なら今でもできるじゃないか」


「できないよ。もうステータスはカンストしちゃっているもの」


「……でも、姉さまは今でも十分に強い。この国で一番は姉さまだ」


「いいえ、強くない。だからもっと強くなりたいの。スサノオにはわかって欲しいな」


 横にいるスサノオに目をやると、唇をかみしめていた。

 いくつもの感情が絡み合って苦悩している様子が伺える。



「でも、どうして人間なんです? 人間には寿命もあるし力も弱い。わざわざそのようなものに転生する必要などないと思うのですが」


 代わりにあたしが尋ねると、アマテラスさまは「いい質問!」と言いながら目をキランと光らせた。



「人間は確かに弱い存在だよ。でも、彼らには無限の可能性があるの。それこそ修練次第では神をも超える存在にだってなれると思う」


「人間が神を超える?」


「そうだよ。我はそんな存在になりたい。だから転生するのさ」


 そう言い切ったお顔に迷いは一切ない。

 このお方は最高神。考えも無しに何かを決めることなどありえない。

 あたしたちが何を言ったところで決意が揺らぐはずもないのだ。



「嫌だ……俺は姉さまともう会えなくなるなんて、絶対に……嫌だ」


 スサノオが絞り出すように声を出す。

 涙が頬を伝い、身体も震えている。



「スサノオは泣いてばかりだな。これは今生の別れじゃないよ。どんなに離れていたって我とそなたはずっと家族だ。それこそ来世でだってまた姉弟になるかもしれないし、ひょっとしたら親子になっているかもしれない」


「……家族? 親子?」


「そうだよ。そなたの存在を必要とする時がきっと来る。その時がまた我らが再会する時だ。そして、もちろん茨木。そなたとも強い縁があるはずだよ」


「あたしもですか?」


「ああ、縁ってのは未来永劫、繋がっていくものなんだ。。想いが残っている限り、縁は消えない。だからさ、結局は自分次第ってことなんだよ。大切な相手を想い続けられるかどうか、さ」


 その言葉はあたしの中に染み入ってきた。

 気づけばあたしも目から涙がこぼれていた。


 もう大丈夫。そう思えた。



「姉さま。俺、絶対に姉さまのことを忘れない。だから、また絶対に――」


「うん、また必ず会おう。約束だ。さ、スサノオも茨木も小指を出して」


 あたしたちは三人で指切りを交わした。神々と交わした契り。

 アマテラスさまもスサノオも涙を流しながら、無理やり微笑みを浮かべていた。


 そして、スサノオが落ち着いたことを見届けると、アマテラスさまは去り際に言い残す。


「〈赤い神〉に気をつけなさい」と。


 何のことかはわからなかったけど、あたしもスサノオもしっかりと頷き記憶に留める。



 翌日、アマテラスさまはあたしたちの前から姿を消した。

 以来そのお姿を見た者はいない。


 同日、あたしとスサノオはアマテラスさまのお告げに従って出雲いずもへと旅立ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る