第40話 神尾出雲の味方
「では、美空様のファンの一部に『同等の頭脳を持つ者と結婚し、優秀な遺伝子を持つ子孫を残すべき』という意見が見受けられますが、そちらについては――」
「質問は一つと聞いていたが?」
記者とツキのやりとりに会場内がシンと静まり返る。
……まさかこの質問をされるとは思わなかったな。
――美空月夜は優秀な遺伝子を持つ者と結婚をするべきだ。
そんな言説は彼女が結果を残し始めてすぐに現れた。
特に海外でそう言われる事が多かった。彼女自身、上流階級に属する要人や……時には王族から求婚される事もあったとか。
自国に美空月夜を取り込みたい、またはその遺伝子を取り込みたい、という思惑が絡んでいたのだろう。
そうした思想は当然現代では
海外では当然、国内でもそうした意見が出る度にSNSやメディアで叩かれ、炎上していた。
彼女を無理やり結婚させようとする過激派も中には居た。主に海外を中心に。
だから、彼女が海外へ行く時や学会に行く時はSPがついているのである。
美空月夜という人物の遺伝子を他国に渡したくないとか、一つ間違えば彼女自身を他国に渡しかねないからなどの理由がある。
こちらも色々と思惑が絡んだものではあるが、ツキにとってそこまで悪い事はないので国に頼っている。利用し、利用される関係という訳だ。
だけど――まさかここで聞く事になるとは思わなかったな。最近だと炎上目的の記事くらいでしか見た事なかったんだが。
というか、俺が助手になるという話からそこまで飛躍するか。
「それにしたって、くだらない質問だ」
ツキはそう切り捨て――しかし、それで場が落ち着く訳でもなかった。
「しかし! そうした声があるのも事実です!」
「……はぁ」
ツキが大きくため息を吐き、会場を一度見渡した。何の為にと一瞬考えたが、同じように見渡して気づく。
これ、この記者が言ってる事に納得している人物が何人かいるな。数は本当に少ないが。
彼らの言いたい事が分からない訳ではない。
ツキは【優秀】という言葉では済まされない程の人物なのだから。……ただ、それが正しいかと聞かれると頷けるはずがない。
その問題をここで彼らと語ったところで答えは出てこないだろうな。平行線になると思う。
そもそも俺は助手だから、遺伝子云々は関係ないと切り捨てる……のはダメだ。俺がツキの事が好きな限り、いつかは直面する問題なのだから。
んー、でもどうするべきか。さすがに思いつかないな、と思っていた時の事だ。
「一つ、そうした一部の
「勘違い?」
ツキがふうと息を吐く。その言葉に記者が眉を歪めた。
「神尾出雲という人物に実績はないからキミ達もそういう事を言えるんだろうね。実際、彼に実績はない。公式なものはね」
「……?」
「非公式なものならあるんだよ。ねえ、イズ?」
ツキの瞳が明るく輝く。
その言葉の意味はすぐに理解する事が出来た。
「いや、でもあれは……」
「良いよ、大丈夫だ。キミが心配する事は何一つない。神子」
「はーい」
迷いを見せている隙にツキが神子を呼んだ。彼女は一つのUSBを持っていた。
何が入っているのか予想が出来ながらも俺は動けない。動こうとしてもツキが視線で制してくる。
「さて。まだ彼に疑問を抱いている人も思う。……非公式にはなるけど、彼の実績をお見せしよう」
ツキがそう言い、希咲がUSBをPCに挿し込んだ。モニターには一つのファイルが表示される。
【偽ZIIC細胞について】
「この言葉を理解出来た者はこの会場内にどれだけ居るのかな?」
そのファイル名を読み上げ、ツキは笑う。
会場内では……ほとんどの学者が訝しげにモニターを見ていた。
「時間は有限だ。結論から話そう。ボクが作り出した【ZIIC細胞】それと、某国が悪用したと言われる【ZIIC細胞】これらは別のものなんだよ」
途端に会場がざわめき始める。落ち着いているのは希咲とツキの両親……そして、俺の事を知っている一部の学者のみだ。
「ああ、そうそう。記者の者達に言っておくけど、この事は他言無用でね。……死にたくないのならば、ボクの言う事を聞いた方が良い。キミ達だけではなく、親しい者にまで被害が及ぶかもしれないからね」
声のトーンが一段階落ちる。それだけで彼女の言葉が本気なのだと悟ったのだろう。メモを取ろうとしていた記者達の動きがピタリと止まった。
「マスコミもそうだけど、この場に居る者達は全員ね。本当に命に関わる事だからやめておいた方が良い。……さて、軽く話していこう」
ツキがファイルを開き、論文を表示させた。
これを見ると少し羞恥心が湧いてくるな。論文の真似事みたいで……いや。実際論文だと思うが。
「これは彼、神尾出雲が書いてくれたものだ。彼の国が使っていた【偽ZIIC細胞】とボクが作り出した【ZIIC細胞】の違いを証明したものとなっている。とても丁寧に。少しでもこの業界に居る者ならば理解出来るだろう。ボクが書く論文よりも遥かに分かりやすいよ」
……気づかれていたか。いや、ちゃんと誰でも理解出来るように作れていたのか。
俺は論文の書き方なんて知らなかった。見よう見まねで書こうと思ったのは良いが、
とりあえずツキの論文を読み直し、ツキの両親や友達の学者の人に聞いた。
その上で、とにかく分かりやすく作るよう努力したのである。いつかの自分が読んでも理解出来るくらいには。
「……んー、まだ納得してない顔も見えるか。神子。頼めるかい?」
「行けるわよ」
「ありがとう。じゃあ会場にいる皆様。今からこの資料を一斉配布します、ただし、神子がコピー妨害と時間経過で完全消失するプログラムを組み込んだものとなる。そこは了承して欲しい」
希咲、プログラム関係にも精通していたのか。その辺ツキは専門外だよな。
そして希咲が配布し終えたと思った数分後……会場からどよめきが起こる。
「見た方は理解頂けるだろう。この論文に突ける穴などないと」
会場の前列に居る……先程色々言ってきた仁会長が唸る。おお、認めてくれるのか。
「ただ、まだ疑問に思う者は居ると思う。この論文は本当に彼が書いたのか、とか。そこはボクや神子を信じて貰うしかないね。神子、これはイズ……神尾出雲が書いたもので間違いないね」
「ええ。私の誇りを懸けて言えるわ。この論文は彼、神尾出雲が書いているってね。私がこんな事で贔屓しない、というのは分かるでしょうけど」
その言葉は自信に満ちあふれている。彼女の人となりを知っている者はさぞ驚いただろう。
希咲は不正の類を人一倍嫌う。今まで見つけた盗作は数知れず……と言うとあれだが。
とにかく、彼女が太鼓判を押してくれるという事はそれだけの事なのだ。
けれど、彼女はそれだけでは終わらなかった。
「他にも居るんじゃない? これを彼が書いたって言い切れる人物。手、上げてみて」
……は? と声が漏れそうになった。
希咲の言葉に、でもあるのだが。即座に手が複数上がった事に対して、である。
ツキの両親は良い。俺が二人に渡したんだし、胸を張って言えるだろう。
けれど――俺がお世話になった、ツキの両親の友人達まで手を上げていたのである。
「そうね。じゃあ何人か、話して貰えないかしら?」
希咲の言葉に複数人が立ち上がった。
「彼は誰よりも【美空月夜】という人物に、そして研究について知り尽くしている。そして、この論文の全てではないが私はこの論文の一部分を見て、書き方を教えていた。今確認した所、その部分は合致していた。出雲君が書いたもので間違いないだろう」
「はい、そうですね。私も同じです。何より、彼の文章の癖がこの論文にも現れています。彼が書いたものとして間違いないでしょう。私の研究人生の全てを懸けても言えます」
「私も――」
次々と声を上げる学者達。……全体で見ると数は少ない。それでも、皆学者の中でも一芸に秀でる者達であった。
『案外神尾君の味方は多いものよ』
同時に、彼女が言っていた事を思い出した。……どうやら、本当にその通りのようだ。
「ありがとう、もう十分よ。……月夜」
「うん、神子も皆もありがとう」
ツキが神子を、俺を見て……立ち上がっていた学者へと深く礼をした。それに
「さて。では改めて問おうか。ボクが罠に嵌められ――それを証明出来た者はこの中にどれだけいるんだろうね」
会場は静まりかえっていた。仁会長ですらも押し黙っている。
記者はと言うと……凄く不満そうな顔をしていた。
ツキはそれを見てにぃ、と笑う。
何かを企んでる笑みだ。
「もう一つ言っておこう。ボクは学者だからね。なるべく大勢に納得して欲しい」
そう前置いて――
「神尾出雲の遺伝子とボク、美空月夜の遺伝子の相性はとても良いんだよ」
――もう完全に助手の発表とは関係がない事を話し始めたのだった。
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