第39話 神尾出雲と【悪意】
たくさんの目に見られている。
値踏みするように観察する目。
面白くなさそうに見つめる目。
好奇心で満ち溢れた目。
しかし――そういった視線は少ない方だ。これだけならまだ良かったんだが。
疑い、憎悪、嫉妬が込められた視線。こちらが会場の半分以上を占めていた。
……凄いな。本当に。
小中、そして高でも嫉妬やらなんやらの視線は向けられていた。時には害意が込められたものもあった。
それでもここまでではなかった。
【美空月夜】という存在は色々あったものの、評価されている事に間違いはない。
だからこそ、不愉快なのだろう。その彼女の力となっていた存在がただの高校生だという事を。
ただ、一部、本当に一部だが、周りとは違う目を向ける者も居た。
まずは希咲。彼女はじっと俺の事を見ていた。楽しそうに、何かを期待するように。
次はツキの両親。二人ともぎゅっと手を組んで、『頑張って』とでも言いたそうに視線を俺に向けてきていた。
最後に――俺の事を知って、何かと手伝ってくれた人達。
彼らはツキの両親の友人で、俺がツキにバレずに学会の見学をしたいと言った時に隣に居る事を許してくれた人達だ。何かとお世話になったものである。
彼らはうんうんと頷きながら腕を組み、俺の事を見ていた。みんな癖のある人ではあるが、俺の事を認めてくれていたのかもしれない。……いや、そうなのだろう。
――最後に。客席ではないが、隣に居るツキ。
その口が小さく。本当に小さく動いた。
『任せるよ』
小さい頃、ツキと一緒に読唇術を覚えた事があった。
『お話ができない時でもお話ができるから』と。遊びの一環としては割と本気で覚えて……どうやらまだ俺は使えたようだ。
彼女が伝えたい事を察して、大きくため息を吐きそうになった。ツキの言いたい事は分かる。
恐らく……いや、現に今起こっている事だ。俺が助手だと公表すれば、世間は荒れるだろう。
ツキや希咲ですら当たりが強かった。二人とも実績で黙らせていたのだが。
俺の場合、ツキの実績に乗っかろうとしているだけだと思われるだろうな。
それに加え、ツキは物凄く美人である。その容姿に対するファンも少なくない。というか多い。
間違いなく荒れるし、そこら中で罵詈雑言も飛び交う事だろう。
それでも。
『任せろ』
小さく唇で描き、俺は一歩前に出る。
そんな事で、ツキの隣を諦める訳ないだろうが。
「みなさま、初めまして。美空月夜の――そうですね。肩書きで言えば幼馴染……いえ」
そこまで言葉を紡ぎ、反応を見つつ……頬が緩んでしまった。
「美空月夜の幼馴染であり、これから助手となる予定の神尾出雲と申します。以後お見知り置きを」
そう言い終えた瞬間、会場がざわめき始めた、目線を隣へ向けると、彼女は驚いたように目を見開き――その中に
会場へと目を戻す。
ツキの両親は微笑み、頷いていた。
希咲は『やるじゃない』とでも言いたげに俺を見ていて、両手の指を立てた。九十点、という所か。
百点の回答もなんとなく予想がつくが……彼女の了承もないのにそれを名乗る事は許されないだろう。
そして最後に、俺を知っているツキの両親の友人達。
少し驚いた表情をしていたものの、少し経つと皆納得したように頷いていた。一人ではなく全員が、だ。
……目を逸らしていたが、こちらも見ておかないといけないな。
呆然。
焦燥。
激怒。
それらに加えて――殺意。
それぞれの視線、表情はより苛烈なものへと変わっていた。
それもそうだろう。彼らからすれば、俺は『【美空月夜】の助手として甘い蜜を吸う予定だ』と宣言したも等しいのだから。
実際そんなつもりはないが、彼らに伝わるはずもない。俺の事を知らない人がほとんどだろうし。
だが……これから何を話すべきだろうか。何も考えずに言ってしまったが。
その時一つ、手が挙がった。
「一つ良いかな」
それは最前列の老爺。優しげな顔つきをしている人だった。
――けれど、ツキの顔つきが変わった。その理由は俺でも分かる。
「どんな取引があったのだね?」
死ぬほど性格が悪い人物である。
当然かのように何か取引があったのではと聞いてくる老爺。頬がひくついてしまった。
しかし、それでも実績はツキと同等……と聞くと、様々な反応がみられそうだな。
天才だと持て囃されながらも、努力を怠る事なく五十年研究を重ねた学者。
……対してツキは、僅か数年で並ぶ程の実績を叩き出している。それは彼女が規格外過ぎるというだけで、
そして、向こうからすれば当然ツキは当然面白くない存在だ。多分これは狭量だとか、そういう問題ではないと思う。……それは良いのだが。
この人はツキに何かと難癖をつけてくるのだ。しかも、ちょっと無理があるレベルのものが多い。
そんな彼の目の前で、見るからに実績も能力も無さそうな男が【
ツキが一つため息を吐いて、彼に向かって話し始めた。
「別に何も取引なんてありませんよ、仁会長」
「しかし、君は助手など要らないと言い続けていただろう」
「条件を告げていましたよ。ボクの足でまといにならない、そして心から信頼できるような人でないと助手にはしないと」
「この少年が助手となるに値すると?」
仁会長が怪訝な目で俺の事を見てくる。それでも尚ツキは毅然とした表情を崩さなかった。
「ボクがそう判断しましたから」
「身内贔屓ではないかね?」
「ないですね。そもそもまだ身内じゃないし」
「はぁ。この年頃の娘はすぐ盲愛する。人生経験を積むと分かるだろうが」
「くくっ……盲愛ね。ボクに一番合わなさそうな言葉だ」
ツキが仁会長の言葉に笑いを堪え、俺へと目を向けた。
そして、再度会場全体を見渡した。
「一つ言っておこう。彼は将来、ボクや神子に並ぶ存在となる」
会場のざわめきが更に大きくなった。……言い過ぎだと言いたいが、この中でそれを言い出す勇気はない。
いや。
ツキにそこまで言われて尻込みするような男にはなりたくなかった。
「一つよろしいでしょうか!」
その時また声が上がった。そこを見ると……取材の記者が集まっている席で、一つ手が伸びていた。
「なんだい?」
ツキの表情が変わる。彼女は記者……というかマスコミに強い嫌悪感を抱いているからだろう。
ツキは容姿も良く、世間受けが良い。だから、彼女はよくマスコミの標的にされていた。
記憶に新しいのは、彼女の研究が某国で悪用されたと報じられたものか。
あの頃は凄まじかった。ツキの両親がどうにか沈静化させたものの、嫌がらせのような事やストーカー紛いな事が普通にあった。
「言ってみると良い」
ツキの言葉は冷たく鋭い。常人なら気圧されて言葉を紡ぐ事は出来ないだろう。……しかし。
「一部から非難的な声が上がると思われますが、その辺りについてはどうお考えでしょうか!」
彼らの仕事は、良くも悪くも豪胆でなければ成り立たないのである。
それも理解していたからか、ツキは淡々と返していた。
「気にしないね。これがボクの最善だ」
「しかし! その非難の声は貴方だけでなく神尾さんにも上げられるはずです! そこはどう考えているのでしょうか!」
「覚悟の上だ」
それはツキが答える質問ではない。割り込む形になってしまったが、俺が答えた。
「美空月夜という女性が今まで世間からどう扱われたのか理解している。当然俺にも様々な意見があると思う。そこも覚悟して、俺は彼女の助手となる事を決意した」
「一応付け加えておくよ。目に余るような誹謗中傷は法的措置も検討する予定だ。好き勝手させる訳ではない」
俺の言葉にツキが付け加え、彼女の時も何人かが法的措置をされていたなと思い出す。
……しかし、俺とツキの答えでは満足出来なかったのだろう。
「では、美空様のファンの一部に『同等の頭脳を持つ者と結婚し、優秀な遺伝子を持つ子孫を残すべき』という意見が見受けられますが、そちらについては――」
「質問は一つと聞いていたが?」
記者の言葉をツキが遮る。
会場内には不穏な空気が立ち込めていた。
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