第37話 魔女と迷いと友人達
「ボクの助手になってくれないかな」
その言葉に俺は押し黙る。
じっと、彼女を見ながら考える。一つの答えがすぐに思い浮かんだ。
「頭は足りても手が足りない、か」
「さすがイズ。よく分かってるね。イズの言う通り、ボクの体は一つしかない。とてもではないが、毎日思いつく事を実践し、論文にまとめる時間はない。という理由もある」
その言い方だと他にも理由があるようであった。
しかし、同時に俺の頭の中では一つ疑問が生まれていた。
「何か聞きたい事があるなら聞いていいよ」
それを悟られてか、ツキに言われる。質問は最後にしようと思っていたのだが……それなら今聞いておこう。
「ツキは助手を取らない主義だったはずだ」
「うん、そうだね。取らない主義だ。その理由は分かるかい?」
「……確か、ツキの研究が高度で理解するだけでも時間がかかる。それに加えて信頼出来る人が少ないから、と言ってたような気がするが」
「うん、正解だよ。さすがイズ」
また頭に手を乗せられ、撫でられてしまう。それは気持ちいいのだが……
「キミの言う通り、そもそもボクの理論を初めから全て理解出来ている者は少ない。そして、理解出来た所で横流しする者も居るだろう。それはボクにとって面白くない。……かといって、神子を助手にはしたくないし。向こうも断るだろうし」
そこで言葉を切って、ツキは赤い瞳を俺へと向けた。
「イズはどうだい? ボクが言ってた理論、理解出来ないのかい?」
ツキの言葉にハッとなる。
最初の頃は全然理解出来ていなかった。ツキの両親に説明して貰わないと何を言っているのかすら分からなかった。
しかし、今はどうだ?
「理解、出来る」
「うん。そして、それは決して簡単な事ではない。集まりにもよるが、学会の中でもボクの話を一回で完璧に理解出来ているのは平均して三割程度だと思うよ」
まさか、と思いながらも……ツキの両親も学者の中ではトップレベルだったという事を思い出した。
「イズは凄いんだよ。やっと理解したのかい? キミは、学者という括りで見ても上の方に居るんだ」
「……」
「もちろん反論したくはなるだろう。確かに、論文や研究の経験値で言えばあの中で誰にも敵わない。だからこそ、なんだ」
ツキが手を握ってくる。じっと、赤い瞳が俺を射抜く。
「キミの伸び代はまだまだある。ボクも想像が出来ないくらいに。――だから、考えてくれないだろうか」
その目は爛々と光っていて、感情が昂っているのだろう。
「キミに足りないのは経験だけだ。それならボクが用意出来る」
それがより、彼女が本気なんだという事を告げていた。
「念の為に言っておくけど、幼馴染だから言っている訳ではないからね。キミにそんな失礼な事をするはずがないだろう」
脳の片隅に置かれていた疑念もその言葉に払拭される。
「キミが居てくれたらボクはより頑張れる……という思いはある。そこは認めよう。でも、それを抜きにしようがボクは近いうちにキミを助手として誘ったつもりだ」
手を握る力が更に強くなる。瞳が一瞬揺らぎを見せた。
「それで……ね。もし、もしキミが助手になって。成果を上げたのなら――」
一つ瞬きをして、彼女はまっすぐに俺を見る。
「――その時は、ボクの研究仲間として苦楽を共にして欲しい。それが、ボクからの願いだ」
そこでツキは口を閉じ、手を握る力を緩めた。
考える。考え続ける。
彼女の言葉を咀嚼し、何度も脳内を駆け巡らせる。
「返事は今じゃなくて良い」
「……それは」
「後で後悔をする、なんて事はして欲しくないんだ。後でまたもう一度考えて結論を出して欲しい」
言葉は遮られてしまったものの、納得のいく理由を突きつけられた。
「だからね、イズ。もしボクの助手から始めてくれるんだったら――次のボクの講演会に来て欲しい」
続く言葉にまた考える。講演会。確か、来週末にあるものだ。
「もしも無理なら来なくても構わない。ただ、そうなったとしても、ボクはもうキミから離れるつもりはないからと言っておこう」
「……分かった。一度考えてみる」
彼女の言葉に頷くと、ツキは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう」
彼女はそう言った後、小さく欠伸を噛み殺した。
「ああ、ごめん。ちょっと講演会関係で昨日は遅く寝ちゃってね」
そう説明を付け加え……ツキはふっと小さく笑みを漏らした。
「ね、イズ」
声は崩れ、どこか甘えるように彼女は名前を呼んできた。
「このまま寝たいなぁって言ったら困るかい?」
「……困る」
「そっかぁ」
さすがに困る。困るんだが――
「嫌ではない」
「……! そっか!」
ツキの手が回される。そのまま俺は抱き枕にされた。
「ふふ。やっぱりここが一番落ち着くよ」
そう呟いた彼女の目はどこかとろんとしている。
そこから眠りにつくまで、数分と掛からなかった。
◆◆◆
「助手、か」
帰ってから、俺はずっと考えていた。
ツキの助手。それが幼馴染としての情け等で言われていたのなら、即座に断っていた事だろう。
しかし、そうではないとツキは言った。だからこそ、迷いが生まれてしまった。
美空月夜。
【魔女】とも呼ばれる彼女は、人類という種をまた一歩進化させるだろうと言われている。
いずれは研究仲間、と言っていたが……俺はそのレベルに立つ事が出来るのだろうか。
もし研究を積んで、やれる事を全てやって……それでも彼女の背中すら見る事が出来なかったら?
その時は彼女との全てが崩れ去ってしまうのではないだろうかと、そう思ってしまう。
ただ、それが怖かった。
「……? 誰だ?」
無言で天井を眺めて考えていると電話が鳴った。ツキかと思ったが違う。渡辺だ。
「渡辺? ……どうした?」
『おお、神尾。いやよ。今度三人で遊ばねえかと思ってな』
「いつだ?」
『来週末はどうだ? 今週は松林が彼女とデートらしくてな。けっ』
「……来週末、か」
渡辺の言葉に考えてしまい、渡辺が疑問の声を漏らす。
『ん? 用事でもあったか? それならそっち優先して良いぞ』
「いや、あるにはあるんだが。少しな」
もし――ツキの講演会に行かないのならば、行けるだろう。
『ちょっと待ってろ神尾。今松林入れてくる』
「え?」
『グループ通話にするから一旦待っとけ』
「わ、渡辺?」
彼の名前を呼ぶも、返事は返ってこなくなる。いきなりどうしたんだと思っていた数十秒後。
『なんだなんだ? いきなり呼ばれたが』
「松林……いや、俺もよく分かってないんだが」
グループ通話に招待され、そこに松林と渡辺が入っていた。
『よーし、集まったな』
「わ、渡辺? どういうつもりだ?」
『なんか悩んでんだろ。お前』
渡辺の言葉に目を見開いた
『という事で松林! 惚気るのを許可する!』
『は?』
「はい?」
続く言葉に首を傾げてしまう。向こうには見えていないというのに。
『俺にはお前が何で悩んでんのか分かんねえ! でも、美空ちゃん関係っぽい気がしたからな!』
「……また思い切ったな。全然関係ない悩みだったらどうしてたんだ」
『そんときゃ二人で松林をいじめてストレス発散するだけよ!』
『とんでもない事言い出したなお前』
ケラケラと笑う渡辺に苦笑が漏れる。
『そんじゃ松林。彼女が出来て変わった事とかねえか?』
『ん? そりゃもう全部だよ。生活の何から何まで。一番変わったのは、そうだなぁ……人生が楽しくなったな』
唐突に始まったやりとり。その言葉にどうしても耳を傾ける事となる。
『毎日が楽しくなった。もちろん辛い事もあるけどな。彼女が居るってなったら全部どうでもよくなる』
『羨ましいな! 潰れろ!』
「清々しいまでの妬み」
『ははっ。とか言いつつも協力してくれたもんな、お前は』
松林の言葉に驚く。協力?
『けっ』
『こんなんだけどな。俺、こいつに恋愛相談して上手くいったんだよ。なんだかんだ本気で考えてくれるからな』
『けっ!!!』
「すげえ敵対されてるけど」
『こいつなりの愛情表現みたいなもんだ』
渡辺と松林は中学からの友人と聞いている。確かにそれなら気にしないのかもしれない。
『でもな、感謝してるんだぜ。毎日が楽しくなったら、今度は全部のパフォーマンス上がったんだよ。勉強にせよ何にせよ。彼女の為に……って訳じゃないけどな。今まで出来なかった、やろうとしなかった事がやれるようになった』
「やろうとしなかった事が……」
自然とその言葉に自分を重ねてしまった。
出来ない、ではなくやろうとしなかった。
『キミに足りないのは経験だけだ。それならボクが用意出来る』
彼女の言葉を思い返し、俺は目を瞑った。
『ま、そういう事だな。楽しいし、彼女には感謝してる。それは彼女も同じ感じだ。毎日頑張るようになった分、毎日お互い甘やかしてるしな』
『右半身だけ爆ぜろ!』
『ははっ。過去一の暴言出たな』
感謝、か。……そうか。
『神尾が何に悩んでるのかは分からないけどな。実際、そっちは色々面倒で大変だろうし。周りの目とかしんどいだろ』
「……」
『でもな、これだけ言っとく。彼女は良いぜ』
『けっ! ……でもまあ、そうだな。俺からも言っとくぜ』
渡辺が続く。その言葉は――
『おめえを爆発させんのは俺だけだ! もし神尾にとやかく言うような奴が居たら俺がぶん殴っとく! 安心しとけ!』
「……何もかも安心できない言葉だが。ありがとう。二人とも」
人と話せて、少しだけすっきりしたような気がする。
うん、そうだな。
「助かったよ。二人と今話せて良かった」
『おう! 俺に好きな人が出来たらその時はよろしくな!』
『ああ。もし何かあったら相談してくれ。良いデートスポットとか教えるからな』
思えば、恋人とかではなく助手になるかどうかで悩んでいたんだが。……そう遠い事でもないか。
『そういえば来週末はどうなったんだ?』
『ん? あ、そういやそれは……』
「悪い。用事があるからまた今度にして欲しい」
二人へそう告げた。
『おお、りょーかいりょーかい。そんじゃ再来週以降にな』
『おう。日程管理は任せとけ』
「……ああ」
二人の言葉に笑みが漏れた。
「ありがとな――
俺は名前で呼んだ。
渡辺と松林の名前を。
『おう! バッチリ決めてこいや!
『
◆◆◆
次の週の土曜。ふう、と息を吐いて俺は玄関の扉を開いた。
「行ってきます、お母さん。お父さん」
「行ってらっしゃい、出雲」
「気をつけてな」
「ああ。行ってくるよ、ハク」
「わふっ!」
しっぽをぶんぶんと振るハクを一度軽く抱きしめ、頭を撫でてから。
俺はツキの講演会が開かれる会場へと向かったのだった。
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