第35話 魔女の家族は癖が強い

 ……緊張する。


 俺は今、ツキの家の前に居た。彼女の家はかなりの豪邸だ。


 昔はよくここに来て遊んだものである。最近も来たには来たが、正式な訪問という訳ではなかったし。


 何度か深呼吸をし、呼吸と心臓を整える。


 何も緊張する事はない。ツキは当然、ツキの両親とも仲は良いのだから。


 そう分かっているはずなんだが……どうしてこんなに心臓がうるさいんだ。


 しかし、いつまでもここで立っている訳にもいかない。



 覚悟を決めてぴんぽん、とチャイムを押すと――それと同時に門の奥から扉が開いた。


「やあ、イズ! よく来てくれたね」


 ツキはかなりラフな格好をしていた。


 黒い無地のシャツに膝丈もないショートパンツ。……真っ白で綺麗な肌を惜しげも無く晒していた。


「……? どうしたんだい?」

「……いや、なんでもない」


 そのシャツを押し上げる、とてつもなく存在感を放つものから全力で目を背ける。ツキは気にすることなく近づいてきて門を開けた。


「そう? じゃあ行こっか」


 ツキはニコリと笑いながらそう言って、


 そう。のである。……組まれた腕は柔らかいものに沈み込んでいく。


「ちょ、つ、ツキ。近いから」

「近い方が良いだろう? ……お互い、さ」


 日に照らされていたからかと思ったが……その頬は朱色に染まっていた。恥ずかしいのはお互い様とでも言いたげに。


 そして、捕縛されてしまった腕は抜け出す事が出来なさそうであった。



「わ、分かった。分かったから」


 そうして――俺の長く、大変な一日は始まったのだった。


 ◆◆◆


「……えっと。これどういう状況なんだ?」

「凄く恥ずかしいんだけど。お父さん、お母さん」


 俺とツキの目の前では成人男性&女性が泣いていた。

 言わずもがな、ツキの両親である。


 ツキの家に入って数秒後の事である。ツキのお母さんとお父さんが来て、改めて挨拶をしたのだが。いきなり二人が泣き出してしまったのである。


「だって……やっと、やっと月夜が出雲君と一緒に」

「出雲君……娘の事を来世までよろしく頼む」

「気が早いですお父さん」

「ああ……お義父さんと呼んでくれ。パパでも良いんだよ」

「俺も人の事は言えないが、ツキの両親って癖が強いよなほんと」

「学者は変人が多いからね」


 しかし。ツキと一緒に居る所を二人に見せるのはかなり久しぶりである。何かクるものがあってもおかしくないとは思うが……どうしようか。


 そう思ってツキを見るも、彼女はくすりと笑っていた。


「じゃあボクの事は来世までよろしくね、イズ」

「つ、ツキまで冗談を言わないでくれ」

「来世、たとえ地球の反対側で生まれたとしても探し出すつもりだよ」

「ツキならやってしまいかねないのが恐ろしいなほんと」


 ツキの事だから、来世でも前世の記憶とか普通に持ってそうである。そもそも来世があればの話にはなるが。


「あ、ごめんなさい。とりあえず中に入ってね。今お茶と婚姻届用意するから」

「サラッととんでもないものを用意しないでくださいお母さん。耳がおかしくなったかと思いますから」

「出雲君は名前と印鑑を押すだけで良いからな。ああ、印鑑は出雲君のお父さんから借りてるから安心してくれ」

「早い早い気が早いです。何もかもが早い。あと法律という壁を簡単に破壊しないでください」


 というか昔から変わらなさすぎるなこの二人。思春期の子をからかったりしたら普通嫌われるぞ。反抗期になるぞ。


 ……ツキに反抗期が来るかどうかは分からないが。


「ちなみにイズ。ボクが本気で法律を変えようと思ったらどれくらいかかると思う?」

「そうだよな。恥ずかしがるどころか普通に悪ノリしてくるもんなお前。というか過去一怖い質問をしないでくれ。出来る前提なのが一層怖い」

「出来ないと思ってるのかい?」

「出来そうだから怖いんだよ。ツキだけ特例で許されるとか普通にありそうなんだよ」


 はあ、と息を吐きながら靴を脱ぐ。さすがに冗談……冗談だよな?

 ツキの両親は微笑み、俺を向いた。


「さあ、ゆっくりしていくと良い」

「家にいるみたいにリラックスしてね」

「……ありがとうございます。おじゃまします」


 そして、俺は改めてツキの家におじゃまする事になったのだった。


 ◆◆◆


 現在俺はツキのお母さんとクッキーを作ってる最中である。後ろでツキがひょこひょこと動いて作るのを見ていた。


「すっごく手際が良いのね。ほんとに凄いわ」

「まあ、何度も作ってますから」

「本当に凄いよ、イズ。ボクなんてレシピを見ながらでも出来るか分からないのに」


 別に凄くは……と言おうとして、俺は口を噤んだ。そんな事を言ってはまたツキを怒らせてしまう。


「ふふん、凄いだろ?」

「ああ、凄い。凄いよ、ほんと」


 試しにツキの真似をしてみたのだが、まっすぐと受け止められてしまった。

 少し恥ずかしくなって、まあ生地をかき混ぜていると。すぐ隣にツキが来る。


 今漂っている甘い匂いが生地から発せられたものなのか、それともツキから発せられているものなのか分からない。


「……ツキって甘い匂いするよな」

「おや、そうかい? 自分では気づかないものだけど、やっぱりまだしてるんだね」


 思わず口にしてしまったものの、本人は気づいていないようだった。めちゃくちゃ甘い匂いがするんだけどな。


「ああ。クッキーというか、お菓子みたいな匂いがする」

「ふふ。それは月夜を食べちゃいたいって事かな?」

「お、お母さん?」

「……そういう意味メタファーだったのかい」

「ちょ、待て。誤解だツキ」


 さすがにそんな事はおも……っても言えない。というか、そんなガラでもない事を言えるはずがない。


「シャンプーとかその辺がお菓子の匂い……みたいな事でもないのか?」

「違うよ。シトラス系のものを使ってるね」

「じゃあ本当になんでなんだろうな」


 不思議なものである。ツキも不思議に思っていたのか、じっと考え込んでいた。


「ちなみにイズはその甘い匂いが嫌だったりしないのかい?」

「好きだけど。じゃないとクッキーとかも作らないしな」


 そもそも俺は甘いもの自体が好きだ。クッキーも元々好きだから作ってた節があるし。


「……ふうん、そっか。でもそうだね。今度調べてみるかな。協力してくれるかい?」

「別に良いけど」

「……へえ、良いんだ」

「ちょっと待て。どう調べるつもりだ」


 ツキの口元が何かを企んだようにニヤリと笑う。嫌な予感がしてそう聞くと――楽しそうに彼女は口を開いた。


どこからその匂いが出ているのか、だね」

「おまっ、それは、まずいだろ。色々」

「おや? 嫌なのかい?」

「嫌とかそういうのじゃ……ないが」


 ツキから顔を逸らす……とツキのお母さんと目が合った。


「ふふ、お母さん席外した方が良いかしら?」

「一緒に作りたいって言ったのお母さんでしょう……」


 そろそろペースが乱されそうなのでクッキー作りに戻ろう。


「じゃあ次の工程行くので、とりあえずお母さんは懐から婚姻届を取り出さないでください」

「くっ……バレたわね」


 くすくすと笑うツキを横目に、俺は一つため息を吐いたのだった。


 ……でも、昔に戻れたようでその時間は少しだけ楽しかった。

 少しだけ、な。

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