第34話 魔女と独占欲
「珍しいね、イズ。ここ計算間違ってるよ」
「ちょ、ツキ、近い。近いから」
椅子を寄せ、ノートを覗き込んでくるツキ。クッキーのように甘い匂いで心臓がバクバクと高鳴ってしまう。
そして、こちらに彼女に匂いが漂ってくるという事は……つまり、そういう訳で。
「ふふ、キミは本当にいい匂いがするね。昔から変わらない」
その甘い吐息が鼓膜をくすぐり、心がゾクゾクと撫でられるような感覚に襲われる。
「おっと、このままじゃまた先生に怒られてしまうね」
理性ゲージを削るだけ削って、彼女は席に座り直した。
最近、ツキがやばい。いや、もう語彙力を失ってしまうぐらい……かわいくなってしまっているのだ。
一度そちらを見ると、その赤い瞳と目が合う。その桃色のぷるぷるした唇はにんまりと笑っていて、手をひらひらと振ってくるのだ。
こうした時間は、座学の時だけではなかった。
◆◆◆
「イーズー! がんばってー!」
授業中、ずっこけそうになってしまった。
現在は体育の授業中である。本当はグラウンドでの授業なんだが、雨が降ったので急遽体育館となったのだ。コートの半分を使わせて貰い、バスケをしている。
この聞こえてくる声援だけでもかなりやばいのだが。
「な、なあ。あのジャージ、神尾のだよな」
観戦席から聞こえてきた声に俺は目を逸らしてしまった。
『いやあ、ボク今日ジャージを忘れちゃってね。……ほら、ジャージがないとさ。色々嫌じゃない? 視線とか。イズが良ければ貸して欲しいんだけど。どうかな』
その彼女の言葉に俺は気づけばジャージを貸し出していたのである。魔女の魔法は恐ろしい、本当に。
「神尾許すまじ」
「俺だって……俺だってなあ! あんな可愛い彼女にジャージ貸したかった! 潰すぞ!」
「腕と足、好きな方を選べ」
「まさか体育の授業で殺気を感じる事になるとは思わなかった」
相手チームからの睨みがやばい。ため息を吐こうとした瞬間――バシンと背中を叩かれた。
「なーに辛気くさい顔してんだ、彼女持ちが」
「そーだぞー。いいとこみせないとな?」
「……渡辺。松林。あと彼女持ちじゃないぞ」
「うるせえ。実質彼女だよあほんだら」
友人二人が俺の隣に立っていたのだ。
「ほら、チャンスだぞ出雲。ボールがんがん回すから点決めてくれよ」
「手伝うぜ! 潰し返してやんよ!」
「渡辺……? なんで?」
松林はともかく、渡辺はあっち側なのかと思った。渡辺は高らかに笑う。
「同族嫌悪だよ」
「思っていたより俗な理由」
「あと、まああれだ。俺に彼女が出来たらこういうときに手伝ってくれよ? って気持ちもあんだよ」
渡辺の言葉に思わず笑ってしまった。
「お前らしいな」
「おうよ。だから今日だけはお前が主役だ。次は俺の番だからな!」
「ははっ。なら俺にも見せ場が来たら頼むぜ、二人とも」
本当に俺は良い友人を持ったようである。
「ああ。任せてくれ」
そのゲームでは、無事相手とダブルスコアの差をつけて勝つ事が出来たのだった。
◆◇◆
体育を終え、ボクが着替えていると周りから色々な言葉が聞こえてきた。
「凄かったねー、神尾君達」
「シュートぽんぽん決まってたね」
ふふん、そうだろう。
君たちが気づいてなかっただけでイズは元々かっこいいし凄いんだ
「渡辺君達も凄かったね」
「縁の下の力持ち? みたいな。松林君も渡辺君もかっこよかったね」
ふむ? そういえばイズが言っていたな。渡辺君は恋人が欲しいと。
この様子だと、そこまで時間はかからないんじゃないだろうか。
「でもやっぱり神尾君凄かったよねー」
「バスケ部でもないんだよね、確か」
うんうん、やっぱりイズだよね。イズが誰よりもかっこいいんだ。
……でも、ちょっとおかしいな。なんか少しだけもやもやする。
「ねー。あのちらちらこっち見てきたところとか可愛かったよねー」
「すっごい意識してたよね。あの子の事」
あー。これ、多分ボクあれだな。
独占欲が湧いてるな。……これが独占欲か。
◆◇◆
「つ、ツキ? 近くないか?」
「近くないよ。ほら、早くお弁当食べよう」
お昼時間となったのだが。すんごく近い。生物室で二人になった時と同じくらい近い。
あれも二人きりだから問題なかった訳だが……教室という場所を考えればかなり近い。
「な、なんか怒ってる?」
「別に怒ってないよ」
怒ってるっぽいな。今回はまじで心当たりないんだけど。
頭の中で記憶を洗ってみるも、本当に心当たりがない。いや、これが一番まずいんだが。
まだ自分に非があると分かると分かるのならば簡単だ。謝罪し、これから改めれば良い。
しかし、『分からない』のは問題である。俺が知らないうちに彼女を不快にさせていたという事なのだから。
そして、それを怒らせた本人に聞くこともまた失礼である。どうしても分からなければ土下座とともに教えて貰うつもりだが。なるべくそれは避けたい。
天井を見上げ、必死にここ数日の記憶を何度も繰り返す。
「ねえ」
その時、袖をちょんちょんと引かれた。
隣を見ると、ツキがじっと俺を見ていた。耳を指さし、貸してと訴えかけていた。
耳をそちらに傾けると、ツキが手で筒を作って耳に当てた。
「キミが悪い訳じゃないからね」
その、とてもよく通る声が――鼓膜を、脳みそを直接撫でてくる。
声が小さい分、吐息が多い。全身を駆け巡ってくる何かに身を震わせそうになった。
くすぐったいという感情の中に――続けて欲しいという欲求が出てきてしまって。色々とまずいぞと言葉の方に意識を集中させる。
しかし、それもまた良くなかった。
「キミのかっこよかった所がたくさんの女の子に賞賛されていてね。それが嬉しかったんだけど……同時に、ちょっとだけ嫌だったんだ」
吐息が多くとも、その声は。言葉はしっかりと聞き取れた。
「どうやらボクは、キミの事を独り占めしたいらしい」
聞き取れてしまった。
次の瞬間、顔に一気に熱が上ってくる。熱いお湯にでも浸かったかのようだ。
「そういう訳だから。ちょっとだけ牽制に付き合ってくれたまえ」
「――つ、ツキ?」
「今日のお弁当にはね。唐揚げが入ってるんだ」
ツキがお弁当の箱を開けながら続けた。
「昔、キミが家に夕ご飯を食べに来たときにさ。お母さんの唐揚げ、すっごく美味しそうに食べてただろう? あれからお母さんの得意料理が唐揚げになったんだ」
少し早口で彼女は説明をした。そのお弁当を開けた。ごはんに唐揚げ、ほうれん草の和え物に卵焼き。そしてプチトマトと、色とりどりで見栄えが良い。
彼女はふう、と息を吐いて。唐揚げを箸でつまんだ。
「ほら、イズ。あーん」
「……はい?」
「あーん。口、汚れたらボクが拭いてあげるからね」
口を閉じるという逃げ道を塞がれてしまった。大人しく口を開くと、唐揚げが口へ飛び込んでくる。
……ん。
「少し味付け変わったか。でも俺、こっちの方が――」
美味しい、と言おうとして。ああ、と納得した。
「なるほど、ツキが作ったのか。美味しいな」
ツキは俺を見て、大きく目を見開いた。そして。
「まったくキミは。とんだボクたらしだね」
口元を大きく緩めた。
「どうして分かったんだい? 味が落ちてる、と言われると落ち込むけど」
「丁寧な味付けだと思ったんだ。ほら、ツキのお母さんって料理に関しては感覚派だろ?」
直感というのももちろんあるが、理由はそれだけではなかった。
「あと、最近ちょこちょこおかずの交換してただろ? なんとなく好きな味付けを理解されてるような気がしてな」
「……キミは相当ボクの事を買ってくれてるね」
「ツキの事は知ってるからな。昔から」
ツキは俺の言葉を受け、くすりと笑う。
「ああ、そうだね。ボクもキミの事は昔から知ってるよ。色んな事をね」
「……知らない事もあったけどな」
「もう、意地悪だねキミは」
ツキがもう一つ唐揚げを取った。
「当てたご褒美だよ」
「ツキのおかずがなくならないか?」
「イズのをちょっとだけ貰うから大丈夫」
それなら良いのか? と思いながらも大人しく食べる。
「次はボクにも食べさせてね」
その言葉で喉に詰まらせてしまいそうになった。
――多くの生徒に見られる中、お互い食べさせ合う事となったのだった。
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