第33話 魔女と唯一無二の存在
「さて、ちゃんと考えてくれたようだね」
「……ああ」
生物室。
そこに居た彼女はいつもより穏やかな表情をしていた。
「それじゃあここ座って」
ツキがぽんぽんと隣の席を叩く。今日は大人しくそこに座ると、ツキが満足そうに何度も頷いた。
「じゃあ今日は昨日話した通り、ボクの大好きな人の良い所について語ろうか」
「あー。ツキ? 昨日の夜ちゃんと考えたんだが」
「うんうん、じゃあ話していこう」
「ごり押しが過ぎるな。割り込む余地ゼロか」
ツキは早く話したいと言いたげに頭をこつんこつんと肩にぶつけてきた。
「分かった、分かったから。頭突きしないでくれ」
そう言うとやっとツキが離れ……てはくれないが。肩を寄せ、楽しそうに上目遣いで俺を見てきた
……いや、サラッと流してしまいそうだったが。めちゃくちゃ近いが?
そう言葉を発する前に、ツキは話し始めてしまった。
「まずね。彼は凄いんだ。努力はもちろん、才能がある」
……才能か。まさかそれをツキに言われるとは思わなかったが。
「英語を聞いて話せるという所がまず凄いね。小中高と英語を学んできても、それだけで流暢に話せるという人物は一握りだ。ネイティブに読む書く言う聞くとなると、更に少なくなる」
「……まあ、それはそうだな」
ただ学校で英語を学ぶだけではとても足りない。いや、日常生活や旅行で役立つんだろうが。ツキが海外で行う学会や講演会となると話は別だ。専門用語の英語を覚えなければいけなくなる。
海外の学者の発表ともなれば、訛りなんかも出てくる。めちゃくちゃ癖が強い訳ではないが、それでも聞き取りにくい事はあった。
「いくら教えてくれる人が居るからって簡単な事じゃない。それだけでも『彼』は日本人の上位十%以内には入るだろうね」
「そう、かもな」
「そうなんだよ。これらに加えて、だ」
ツキが断言し、俺の手を掴んだ。
「高校生で生物学に精通している。それも学者と比べてもその知識は遜色ないレベル。その時点で高校に一人いるかどうか……いや、居ない所の方が多いだろうね。中学生の頃なんて余計そうだ。十万人、百万人に一人とか。そういうレベルだろうね」
「統計を取ってみない事には分からんが……まあ、そうだと思う」
興味がある、知識があるレベルならばまだ居るだろう。
しかし、学者の論文や発表の内容が理解出来るレベルとなると一気に減る。
「そして、彼はそれだけに飽き足らず料理と肉体作り……筋トレと言った方が良いか。それも行った。一つ一つで見れば、出来る者は少なくないだろう。しかし、今までのものと組み合わせたらどうなる?」
そこでツキが言葉を紡ぐのを辞めて。小さく笑った。
「――ああ、ごめん。一つ、とっっっても大事な事を忘れていたよ」
赤い瞳に見つめられて。柔らかな声が紡がれた。
「彼はボクの事をずっと支えてくれていた。正体を隠しながらもボクを心の底から支えてくれていたんだ。彼が居たから今ボクは学者をやれていると言っても良い」
笑い声とともに吐き出された吐息が胸を、心をくすぐる。
その言葉が少しだけ恥ずかしくも、それ以上に嬉しくかった。
「彼は唯一無二の存在なんだよ。代わりなんていない。いるはずがない。……今思えば、彼が書いた手紙だからこそボクは惹かれるものがあったんだろうね」
――今までやってきた事全てが報われる気がして。心にじんわりと暖かいものが染み込んでいく。
「だから、彼は凄いんだよ」
「ああ……そうかもしれないな」
「うん、そうなんだよ」
唯一無二の存在、か。
「彼から貰ったクッキーは美味しかった。彼に抱きかかえられた時、嬉しかった。昔の事を覚えていてくれて、暖かかった」
手が近づいてきて、手の甲をくすぐられた。ツキは俺の手をじっと見ながら小さく呟く。
「正直、ね。彼とはもう話せないのかなって思っていたんだよ」
「……どうしてだ?」
「中学の頃、よく彼はボクと比べられていてね。生徒だけじゃない。先生からも比べられる事すらあった」
ツキの言葉にその時の事を思い出した。
彼女が学会で活躍するようになって。俺はよく比べられた。『金魚の糞』と揶揄される事が日常茶飯事だった。
テストで高得点を取ろうが、ツキが毎回満点を取っているから、
「恨まれてすらいるんじゃないかと思っていたよ」
「そんな事、あるはずないだろ」
「ああ、そうだね。ボクは彼の事を過小評価していたよ」
ツキが目を細めた。その目はしっかりと俺を見ている。
「彼は想像以上にずっと、ずっと強くて。気高い存在だったんだ。嬉しくないはずがないだろう? 大好きな人が、自分が想像していたよりずーっとかっこよかったんだから」
「……そ、そうか」
あ、やばい。凄く嬉しいけど照れくさくなってきた。
「な、なあ、ツキ。そのくらいに」
「嫌だ」
「つ、ツキさん?」
「まだ彼の魅力の十%も伝え切れてないよ」
頬がひくつきそうになる。
「彼にはたくさん、ボクにはない……誰にもない良いところがあるんだからね。ふふ、逃がさないよ?」
及び腰だった俺の手をしっかりと掴んで。彼女はニコリと笑うのだった。
◆◇◆
「気になる……すっごく気になる」
生物室を見ながら思わず言葉が漏れてしまった。
そこでは恐らく月夜が神尾君の事を褒めちぎっているはずだ。
すっっごく見たい。なにそのラブコメ展開。今頃神尾君顔真っ赤で月夜の猛攻に耐えてるでしょ。
気になるーーーー!
盗聴したいーーーー!
でも、そんな事したらあのストーカー先輩と同じになってしまう。
ちなみに生物室を見張っているのは二人の事が気になるからだけではない。
あのストーカー先輩みたいなのが来ないか見張っているのだ。月夜なら第二第三のストーカーが居てもおかしくないし。
親友の大事な思い出が汚されるのは嫌だから。ああいうのが一番嫌いなのよね。
そういえばストーカー先輩、退学するって噂が出てたわね。その辺も後で調べておかないと。
……透視で生物室の中が透けて見えたりしないかな、なんて非科学的な事を考えながら張り込みは続いたのだった。
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