第32話 魔女と悪ノリ家族

「お帰り、お父さん」

「おひさしぶりです、お父さん」


 部屋でゆったりした時間が終わり、夕食の時間が近くなって。お父さんが帰ってきたのでツキと出迎えに行った。


 我が家の家訓、というと大げさだが。自然と誰かが帰ってきたら家に居る誰かが玄関で出迎えるという事になっていたのだ。


「……お父さんもついにおじいちゃんになっちゃうのかな」

「お父さん、飛ばしすぎ。確かにツキが来るのは久しぶりだけども」


 その目に光るものがあり、頬が引き攣ってしまう。


 すると、お父さんに肩を掴まれた。


「出雲。お父さんは覚悟したからね。おじいちゃんになる覚悟を」

「しなくていいから。恥ずかしいから早く手洗ってきて」

「ふふ」


 ツキの笑い声にお父さんがハッとなった。


「いや、ごめんね。久しぶりだね、月夜ちゃん。出雲の事を末永くよろしく頼むよ」

「なんで謝りながらアクセル踏みっぱなしなんだよ。ツキが困惑してるだろ」

「ああ。彼の事は末永く幸せにします」

「そこは困惑しててくれ……」


 このままだと俺までペースに飲み込まれてしまう。


「お父さん。そろそろ怒るよ。早く手洗ってきて」

「おお! これが噂に聞く反抗期! やっとうちの出雲にも!」

「本当に反抗期になるぞ」


 笑いながら洗面所へと向かうお父さんを見つつ、大きく息を吐く。


「悪い」

「謝る必要なんてないよ。楽しいし」


 楽しそうに告げてくるツキ。しかし――


「とんでもない事を言ってくれたな」

「ふふ。神子から聞いていなかったのかい?」


 ツキの目が細められ、その薄い桃色をした唇がにい、と笑う。



魔女ボクが本気になったら怖いんだよ?」


 ――唇も目も笑っているはずなのに。なぜか、俺の背筋には冷たいものが走っていたのだった。


 ◆◆◆


「美味しいです!」

「あら、良かったわー。口に合ったみたいで」


 お父さんも無事手を洗い、みんなで夕食を食べていた。


 ハクもお風呂に入ったので室内に入る事が許可されていた。毛並みがふわっふわである。

 ハクにカレーを食べさせる訳にはいかないが、ご飯を美味しそうにはぐはぐと食べていた。


「ちゃんとカレーの作り方は出雲にたたき込んでるから、将来食べたくなっても安心してね」

「は、はい!」

「げほっ……ごほっ」


 食べている時に変な事を言われたせいで噎せてしまった。ツキが優しく背中をさすってくれる。


「お、お母さん」

「あら、良いじゃない? あんなに頑張って料理も覚えたじゃない」

「月夜ちゃんのために頑張ってたもんな?」

「ふうん? ボクの為に?」


 さすってくれた手が一変し、背中を指でつうっとなぞられた。


「う、うるさいなあ」

「キミは本当に可愛いね」


 少しだけ懐かしさと嬉しさが混じってしまい、それが読み取られた。

 ……昔からこんな感じなのだ。俺達家族とツキは。


 その赤い瞳がニヤニヤと見てきて、俺はそこから目を逸らすようにカレーを口にするのだった。


「しっかし、月夜ちゃんは大成すると思ってたけど。まさかこんなに早く手の届かない人になっちゃうとはなぁ」

「そんな事ないですよ」


 ツキが一口カレーを食べ、お父さんを見た。


「……ボク自身、遠くなったかなって思ってましたけど。ずっと、彼は傍に居てくれましたから。ね、イズ」

「……背中を追うので精一杯だったよ」

「それでも追いかけてきたのはキミだけだよ。……ううん。追いついてくれたとすら思ってる」


 ツキの言葉に乾いた笑いが漏れた。

 勉強すればするほど理解出来るのだ。彼女がどれだけ凄いのか。


「出雲もたくさん勉強していたからね。お父さんも本当に凄いと思ってるよ」

「ええ。それに加えてお料理もだからね」


 お父さんとお母さんがそう言ってくれるも、つい苦笑いを返してしまう。


 近いように見えて、ツキは遠くに居るのだ。それも遥か遠くに。


 すると。ツキがちょんと手を触れさせてきた。


「本当に凄いんだよ、イズは。……キミはまだ理解してないようだね」

「理解してるよ。自分の事は自分が一番分かってる」

「いや、それは違うね」


 俺の言葉を一言で切り伏せてきた。強い言葉に困惑してしまう。


「自己評価というのも大切だ。しかし、それは『自分』という主観でしか語られない」

「……自分の事は他者の方が評価出来ると?」

「客観的評価も大切にされるという話だ。もちろん自己評価だって大事だけど、色んな視点から見る事が大切なんだよ。ボクで例を示そうか」


 ツキの表情が切り替わる。一度スプーンを置いて、一つ咳払いを挟んだ。


「ボクは世間的に【魔女】と呼ばれ、時に畏怖される存在だ。人間扱いされない事だってよくあるよ」

「……よくあるのか」

「うん、あるんだよ。それで、キミに一つ聞きたいんだけどさ」


 その赤い瞳に柔らかい光が点った。


「イズはボクの事が怖いかい?」

「怖いはずないだろ」

「どうして?」

「どうしてって……」


 単に怖くないから、という答えを彼女は求めてないだろう。

 しかし、怖くない理由を言語化するのはそう難しくない。


 だって――


「ツキは【魔女】である以前に一人の女の子だからな」

「……ふふ。本当にキミって奴は。ボクが欲しい言葉をくれるね。でも、そうだ。ボクは【魔女】である以前に女の子なんだよ」


 ツキの指がつん、と腕をついてきた。


「という感じで、人によっても対象者の評価は大きく変わるんだよ、イズ。たくさんの人から【魔女】だと言われるボクですらね」

「……なるほど」

「イズの視点はボクや神子に寄りすぎている節がある。一度、自分を客観的に見てごらん。……答え合わせ、ではないが。ちゃんと客観的に見られたかどうかは明日ボクが判断しよう」


 そこでさて、とツキがスプーンを持った。


「話していて冷めてはいけない。とりあえず食べようか、イズ」

「……分かった。ありがとう」


 少しだけ頭が冷えたかもしれない。

 それと同時に、お父さんとお母さんがニマニマと俺を見ている事に気づいて、俺はカレーをまた食べ始めたのだった。



 それからご飯を食べた後、ツキは少しだけハクと戯れてから家へと帰ったのであった。

 家まで送っている間も、彼女の口から夕食時の会話が持ち出される事はなかった。


 ◆◆◆


 ベッドに入り込んで、俺は自分の事を考えていた。


 ツキに少しでも追いつこうと、俺は今まで頑張った。


 まずは勉強。中学の定期テストでは、ツキに続いて二番を取る事がほとんどだった。最後の方は全教科満点でツキと並んで一番を取るくらいだ。


 客観的に見てみる。二番、もしくは一番。これは凄い事だ。他の生徒達、二百人以上と競っての二番なのだから。


 次。学会。

 ものにもよるが、専門的な知識が必要となる。若くても大学生、もしくは大学院生がほとんどを占める。十代後半から二十代に掛けて、五年や六年の差は大きい。

 それでも、俺はツキ達が何を話しているのか理解出来た。凄いと言えるだろう。


 加えて、肉体作りと料理まで覚えた。一般的に見て、かなり頑張っているだろうと思う。



 うん、俺めちゃくちゃ頑張ってるな。ここ数年で出していい成果ではない。


 だが、同時にツキや希咲とも比べてしまった。


 あの二人は規格外だと分かっている。特にツキはとんでもない。



 客観的に見ても、釣り合わないという事は分かっている。



 


「ツキが好きになってくれたのは俺なんだもんな」


 曲がりなりにも世界のトップが好きになってくれたのだ。



 改めて、思う。

 釣り合うとか釣り合わないとかは関係ない。


 ツキとの差は理解している。理解している上で。


「俺は、俺に出来る事をやるだけだな」


 改めて、自分にそう誓うのだった。

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