第31話 魔女が家に遊びに来た

「あらあらあらあら、久しぶりねー! 月夜ちゃん!」

「お久しぶりです、お母さん」

「やだもうお義母さんだなんて。もっと呼んでちょうだい」


 ツキとお母さんのやりとりを庭から見つつ嘆息する。俺の隣でハクが嬉しそうにぶんぶんとしっぽを振っていた。


「な、なあ。ツキ。なんで俺の家に?」

「ん? 昔もよく遊びに来ていただろう? それの延長だよ」

「それは……そうなんだが」


 確かにツキは昔からよく遊びに来ていた。家ではなく庭からというのも昔からである。


 俺がハクと遊んでいたら、気がついたら一緒に遊んでいた。また、俺がいなくとも気がつくと庭でハクと遊んでいたなんて事もあった。

 そういう時はお母さんから許可を取っていたらしいが。


「まあまあ、良いじゃない。それにしても月夜ちゃん、会ってないうちに女の子らしくなったわね-。すっごく可愛くなってるじゃない」

「ありがとうございます」


 お母さんとやりとりをする間もニコニコと微笑み続けるツキ。楽しそうである。


「でも良かった。出雲が最近また仲良くなれたって嬉しそうに言ってたから。来てくれて嬉しいわ」

「お母さん!?」

「ふぅん? ……へぇ、そうなんだ」


 ツキのニコニコとした笑みががニヤニヤした笑みへと変わる。とんでもない爆弾を落としてくれたな、お母さん。


「あらあら、ごめんなさい。お母さんがいつまでも邪魔するわけにもいかないわね。そうだ、月夜ちゃん。今日カレーをたくさん作るつもりだったの。良かったら食べていかない?」

「本当ですか!? 是非お邪魔したいです!」

「分かったわ。お父さんもきっと喜ぶわよ」


 流れるようにツキが誘われ、夜まで居る事となってしまった。それは別に構わない……というか嬉しいんだが。


「ツキ、忙しくないのか?」

「まあ、忙しいと言えば忙しいよ。今月は講演会もあるからね。でも細かい事はお父さんがやってくれるらしいんだ。だから、今は意外と暇――いや」


 ツキが近づいてきた。ニヤニヤと、何かを企むように。



 庭に置かれたすのこの上にツキは立つ。背の差が少し縮む事となった。


 そのまま、ツキが顔を耳へと寄せてきて――


「忙しかったとしても、キミと一緒に居たい……と言った方が適切だね」

「ばっ――」


 その柔らかく、綺麗な声音が鼓膜を大きく揺さぶった。


 その言葉を理解すると同時に、どんどん熱が顔へと集まってきた。


「あらー」


 お母さんの声にハッとなる。ちょっとここでやりとりをするのは色々とまずい。


「……部屋で話は聞こう」

「うん! ボクも久しぶりにイズの部屋に行きたいと思ってたんだ! ハクもまた後でね!」

「わふっ!」


 とりあえず、場所を変えようと。俺は手洗い場に向かうのだった。


「出雲。意外とこの家、防音性高いから安心してね」

「お母さん! 反抗期になるぞ!」

「今まで来てなかったから逆に安心するわよ。じゃんじゃん反抗期になってちょうだい」

「じゃんじゃん反抗期になるってなんだよ……」


 顔を引き攣らせつつも、これ以上余計な事を言われる前に急ぎ足で俺は向かったのだった。


 ◆◆◆


「イズの部屋。昔きた時と大きく変わってるね」

「あー……まあ、そうだな」


 掃除をしておけば良かったと思ってももう遅い。別に散らかっている訳ではないのだが。



 ツキが本棚をじっと見て、大きく頬を緩めていた。


「全部、ボクの論文とか載ってるやつだ」

「……ストーカーみたいなことして悪かったな」

「ううん、嬉しいよ。すっごく嬉しい」


 その中から一つの雑誌をツキが取り出した。


「これなんて、ボクのインタビューが載ってるやつだよね。でも、この頃のボクはまだ全然有名じゃなくて。一ページの八分の一くらいしか載ってなかったんだよね」

「つ、ツキの両親から聞いて買ってたんだ。ツキが載ってるものは」

「……買ってる? 貰ったとかじゃなくて」

「それだとあんまり意味ないだろ。売り上げ的な意味でも」


 ツキの論文が載っている、またはツキのインタビューが載っている雑誌の売り上げが悪いと色々と良くないだろう。

 好きな作品なら売り上げに貢献する、のようなものだ。


「ふうん……へえ。安くない買い物なのに」

「お小遣いを貯めてな。……将来親には返すつもりだが」


 ツキが雑誌を戻し、その唇から笑みが漏れた。


「ふふ、そっか」


 そのまま後ろに下がり、ツキがベッドの上に座る。


「まあ、キミも座りたまえよ」

「俺の部屋だぞ」

「ふふ。知ってるよ」


 俺もベッドへと歩き――少しだけ、迷った後に。


 そのすぐ隣へと座った。


「……! キミから隣に座ってくれたのは初めてだね」


 ツキがまた笑う。その笑みが目に心地よくも、少し恥ずかしくなってしまった。


「それにしても……キミもボクと話せて嬉しかったんだね?」


 先程の事を思い出してか、唐突にそう言われる。言葉に詰まってしまった。


「あの言葉を聞けただけでもキミの家に来た甲斐があったと言えるね」

「い、家を出て経った数分だろ」

「それもそうだね。それじゃあこれからは頻繁に来るようにしようかな」


 その言葉の一音一音が弾んでいて、とても楽しそうだ。

 何がそこまで楽しいのか、と口を開こうとするも……今日の事を思い出して黙ってしまう。



 ――そう、なんだよな。ツキ、俺の事好きなんだよな。


 自分で考えると、改めて妄想なのではと錯覚してしまう。そんな事を考えているから彼女にああ言われたんだぞと自省した。


「しかし、本当に凄いね。あそこの本棚にある文献ってボクが書くときに使った参考資料だろう?」

「あ、ああ。データで置けるものはそうしているが、無理なものはツキのお母さん達を通してな」

「ふうん、そっか。そうなんだね」


 彼女は笑う。そして。



 後ろに倒れ込んだ。大きく揺れるそれから目を逸らすように、俺は天井を見上げた。


「ベッド。イズの匂いがする」

「さ、最近雨続きであまり洗濯とか出来なかったからな」

「誰も臭いだなんて言ってないよ。むしろ、ボクは大好きだよ。この匂い」


 ツキがごろんと転がって、俺の枕を取った。


「ちょ、ツキ!?」

「いいじゃないか、減るもんじゃないし」


 枕にぐっと顔を押しつけ、思わず声を上げてしまう。俺の精神値がぐんぐん削れてるんだが。


 そんな言葉はけれど出てこず、場に沈黙が訪れた。


 ちく、たく、と。時計の針が動く音のみが場を支配した。

 だけど、気まずいという事もなかった。


 こうなったら俺も横になってやろうかと思った時。彼女のくぐもった声が聞こえた。


「ねえ、イズ」

「なんだ」


 枕越しだろうとその声はしっかりと聞き取れた。


 幾ばくかの沈黙の後、彼女は語りかけてくる。


「あの日の夜は……夢じゃなかったのかい」


 また、沈黙が訪れた。

 この世に俺とツキの二人しかいないのかと錯覚してまう時間。


「……ああ。夢じゃなかったよ」


 その言葉を最後に、ぽつりぽつりと紡がれていた会話が途切れる。



 ただ、彼女の耳が蚊に食われたように赤くなっている所だけ、見えていたのだった。

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