第30話 魔女が本気を出すと誰にも止められない

 ツキが居なくなった生物室。俺は机に突っ伏していた。


 なんだこれは。なんだったんだあの時間は。


 予想は出来る。

 ツキはそれなりに怒っている。だから、今までの仕返しをした……というのが一番大きいだろう。かなりフラストレーションが溜まっていたはずだし。


 ……これ、多分あれだな。色々するにしても、一旦彼女のガス抜きをしないといけないのかもしれない。俺の言葉もわざと遮ってきたし。


 そんな風に考えていた時であった。


「あら? もう思考の整理はついてきた所だったかしら」


 扉が開き、唐突にそう言われた。

 誰だと叫びそうになったが、その姿を見て出しかけた声を飲み込む。


「希咲、か」

「ええ、【神童】こと希咲よ」

「自己主張激しいな」

「そういう年頃なのよ」

「それは自分で言う事ではないと思うんだが……まあいいか」


 実際【神童】と呼ばれてるんだしと意識を切り替える。


「なんの用だ?」

「月夜に『様子を見に行って欲しい』って頼まれたのよ。でもこの様子だと大丈夫そうね」


 ツキに言われて、か。一応気を使ってくれたのだろう。



「……それはありがたいが」

「ああ、まだいくつか用はあるわよ」


 なんの用だろうかと首を傾げていると、希咲は――


「ごめんなさい。色々かき乱してしまって」


 そう言って。頭を下げたのだった。


 ……という事はあれか。


「ツキの裏で手を引いていたのは希咲だったか」

「ええ、そうね」


 時折ツキらしくない行動を見せると思っていたが、希咲が吹き込んだ行動であったか。


「という事は今日のツキも?」

「いえ。もう私はアドバイスとか諸々禁止になっちゃったから。ほっぺたも真っ赤になっちゃったし」


 まあそうなるか。……ツキにほっぺたを何かされたのだろうか。


「でもこれだけは言っておくけど、最初は【因幡の白兎】が神尾君の事だって月夜が知ってると思ってたのよ」

「……まあ、俺も最初は変な勘違いをしたし。ツキが気づいてないとは思わないよな」


 しかし、まだおかしな点があった。


「……明らかにそういう素振りを見せていたのに【因幡の白兎】への恋愛相談を俺にしてきた事だけ不可解なんだが」

「ああ……いや、でもこれ言ったら私のほっぺがだるんだるんになっちゃうわね」

「だるんだるん? ……無理に話さなくても別に構わないぞ」


 うーんと悩んだ後、希咲はそうねと口にして続けた。


「じゃあヒントだけあげるわね」

「ああ、助かる」


 希咲は先程までの表情から一転し、ニヤリと笑った。


「私ね。恋愛ものの作品が好きなのよ。特に漫画がね。……だから、案外突拍子もない理由かもしれないわね?」


 希咲の言葉に思わず考え込んでしまった。


 ……これ、あれだよな。




 好きな人の気を惹こうとして嘘の恋愛相談を仕掛けてるパターンしか考えられないんだが。




「あら? その様子だと気づいた? やっぱり頭が良いのね」

「い、いや。本当に突拍子もないし。それにめちゃくちゃアレな理由なんだが」

「アレって何よアレって」


 ツキ一人ならこんな事は思いつかないだろうし、実行もしないだろう。


 しかし、希咲が言った作戦なら……実行してもおかしくない。ちょっと抜けてる所あるし。押せば多分行ける。


 考え込んでいると、希咲が一つ咳払いをした。


「まあそれは後で思う存分考えてちょうだい。……これからどうするの? あ、もちろん月夜に言うつもりは無いわ」


 希咲の言葉にあー、と声が漏れた。まあ、ツキに言う事もないだろうし良いか。


「一旦、ツキの気が済むまでは流れに身を任せようと思ってる。本当は……今日言うつもりだったんだが、仕方ない」


 小さく息を吐くと、希咲が意外そうに俺を見ていた。


「驚いた。てっきりへたれ意気地なしなのかと」

「もっと歯に衣着せるかオブラートに包んでくれ」


 直球が過ぎる。全く言い返す事は出来ないが。


「ツキにも色々言われたからな。今はまだ早いみたいな雰囲気で。……だからまだしないでおく」

「賢明な判断ね。……ああ、そうそう。もうあんなバカは出ないように私がしておくから、そこは安心してちょうだい」

「おお、ありがとう」


 罪滅ぼしのようなものだろうか。いや、違うな。

 あの日、親友の思い出を傷つけたから……とも言っていた訳だし。純粋にツキを思っての事だろう。


「まあ、多分必要ないと思うけどね」

「え? なんでだ?」

「近いうちに分かるわよ」


 そこで彼女が言葉を切って、俯いて何かを考えているようだった。

 ただでさえ凄く不安になったのだが、続く言葉は更に不穏なものであった。


「一応忠告しておくわね。逃れられる事が出来ない運命なのは確かだけれど」

「怖い怖い。大丈夫かそれ」

「私としては別に言わなくても良いんだけど?」

「……お願いします」


 大人しく聞くことにしよう。聞きたくないが、希咲は厚意で言ってくれてるのだろうし。



 黙って彼女を見ると、その鋭い瞳が俺を射貫いてくる。しかし、彼女は元々目付きが悪いだけで怒っている訳ではない。それどころか楽しそうにも見えた。


「あの子、本気になったら誰も止められないからね。特に、今回に限っては誰も止めないだろうし。覚悟しておくことね」

「……ね、念頭に置いておこう」


 この場合の『本気』とは、多分俺の自己評価を上げるための事だろう。


 【魔女】と呼ばれ、場合によっては畏怖される存在。

 それ程までに常識外な彼女の本気は俺ですらも想像がつかない。


 いや、でも常識は無くとも良識はあるはずだし大丈夫だろう。



 ――このときの俺はそんな甘い事を考えていた。



「じゃあ、私からは本当にそれだけね」

「ああ、分かったよ」

「それじゃあ――」

「あ、待ってくれ。俺からも一つ言いたい事があるんだ」


 そそくさと教室から出ようとした彼女を俺は呼び止めた。


「恨み節、かしら」

「なわけあるか。そこまで器の小さい男じゃない」


 裏で引いている事はやっと分かったが、別に怒る事でもなかった。

 改めて彼女に向き直り、目を合わせた。



「ありがとう」


 感謝の言葉を希咲へと伝える。


 ツキの友人で居てくれて……俺とツキがまた仲良くなれたのも彼女のお陰だから。


「……大人しくお礼は受け取っとくわ。どういたしまして」


 彼女はそう言って、今度こそ教室から出て行ったのだった。


 ◆◆◆


「くぅん?」

「お前はこういうときに癒やしてくれるよな」


 家に帰った俺は庭でハクと遊んでいた。

 顔を撫でくりまわすと、ハクは嬉しそうに手をぺろぺろと舐めてくる。


 ハクと遊んでいる時間はとても精神に良い。落ち着くというか、癒される。凄く。


「はっはっ」

「ああ、おやつが欲しいんだな。ほら」


 クッキー型のおやつをハクへと食べさせる。

 ハクは興奮したようにバクバクと食べ、嬉しいのかくるくる俺の周りを回り始めた。


「……なあ、ハク」

「?」


 それでも、俺が話し始めるとぴたっと止まって顔を覗き込んでくるのだから可愛い。


「なんか大変な事になってるけど。俺、またツキと仲良くなれそうだよ」

「! わふっ!」

「もし遊びに来たらハクも一緒に遊ぼうな……っと」


 ハクと戯れていると、スマホの通知が鳴った。立ち上がって確認をする。

 相手は……ツキのお母さんか。珍しいな。


『今度お家に来ないかしら? 良かったら一緒にクッキーでも作らない?』


「なんでまた急に……?」


 もうツキにバレた事が伝わって……いるだろうな。ツキに会いたいって先週彼女の両親に伝えたし。


『いきなりですね。俺は大丈夫ですけど』

『ほんとう!? 良かった。私ってば、あんまりお菓子作ったことなかったから! 月夜も食べたいって言ってたのよ、出雲くんのクッキー』


 ……そういえば、ツキと約束してたもんな。作るって。


『分かりました。基本休日は空いてるので、都合が良い日があれば教えてください』

『それなら今週の土曜はどう?』

『良いですよ』


 ハクの散歩は日曜だし、時間は作ろうと思えばいくらでも作れるので問題ない。


「ちゃんとツキの家に遊びに行くって何年ぶりだろうな」


 思えば、ツキとその両親と四人で顔を合わせるのはかなり久しぶりだ。前に行った時もツキが部屋に居る時だったし。


 また画面に通知が届いて、スマホを見ようとした時であった。


「やあ。少しぶりだね。元気にしてたかい? ハク」

「わふっ!」

「――へ?」


 いつの間にか、ハクの目の前に人影が座り込んでいた。少し考え込んでいる間に。


 見間違えるはずがない。声だけで――そして、ほのかに香る甘い匂いで誰なのか分かった。



「つ、ツキ!?」

「やあ、イズ。遊びに来たよ。……っとと。ふす、ハク。くすぐったいよ」


 ツキが――ハクの頭を撫で、もう片方の手をハクに舐められていたのだった。



『そういえば月夜がそっちに遊びに行くって言ってたけど、もうそろそろ来たかしら?』


 ツキのお母さんから来た通知に、もう少し早く教えて欲しかったと思うも。時既に遅かった。

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