第29話 魔女は昔のように呼ばれたい

「ボク、好きな人が居るんだけどね。どうやったら彼がボクの事を好きになってくれるのか、キミに聞きたいんだよ」



 彼女の言葉に耳を疑ってしまった。



『ボク、好きな人が出来たんだ』



 ここに初めて来た時の事が脳裏を過ぎる。脳がその言葉を理解するまで一瞬掛かってしまった。


「それは――」

「まあ、とりあえず座ろうか。話はそれからだ」

「……分かった」


 美空に言われ、大人しく俺は座る。

 すると、美空が流れるように隣に座ってきた。待て待て。


「近くないか?」

「近くないよ」

「いや、これは近いだろ」

「ふむ。ではまず『近い』の定義づけから」

「近いというかもうゼロ距離だろ! い、色々当たってる!」


 椅子をほぼくっつけてきて、彼女はほんの少しだけこちらに体を傾けていたのである。ぴとりと太ももが当たっていて、やけに甘い香りが近く感じる。


 それと……腕が。腕がやばい。


 美空は笑った。くすりと、どこか妖しげに。


「ふむ? 当たっていたらなにか問題でも?」

「も、問題って……い、色々あるだろ」

「色々とはなんだろう? すまないね、察しが悪くて」


 美空は更に、俺にもたれかかるようにしてきた。柔っこいものが腕に当たってふにゅりと形を変える。絶対に分かってやっている。


「お、俺だって男なんだぞ」

「ボクだって女だけど?」


 そういう意味では、と言おうとして。その瞳に意識を吸い寄せられる。


 違う。これ、そう言う意味だ。


「ふふ。意地悪はこのくらいにしておくか」

「……み、美空」

「あ、それ。その呼び方辞めてくれ。昔みたいに『ツキ』で頼むよ」

「み、美空さん?」


 唐突すぎてすっとんきょうな声を上げてしまい、美空がむっとした顔をした。


「……早速相談なんだけどね」


 その声には有無を言わさぬものがあった。開き掛けた口を閉じようとして――



「ボクの大好きな人には特別な呼び方をして欲しいんだけどさ。全然呼んでくれないんだ」

「げほっ!? ごほっ」

「大丈夫かい?」


 いろいろなものが気管に入り込み、咳き込んでしまった。美空が背中を優しくさすってくれた。それは嬉しいんだが。それ以上に心臓が高鳴ってしまう。


「……だい、じょうぶ」

「無理はしないでくれよ。ボクはキミと一緒に居られるだけで嬉しいんだから」

「……」


 頭を抱え込みそうになった。

 少し深呼吸をし、落ち着く。


「な、なあ。美空」

「なんだい?」


 凄く。かなり迷ったものの、どうにか言葉を紡ぐ。



「……ツキって呼んで良いか」

「うん!」


 朝顔が朝日の光を受けて咲くように。ぱあっとその顔が輝いた。


「……ツキ」

「うん! イズ!」


 その笑顔はとても晴れやかなもので――


「これでボクの悩みは一つ解決したよ! イズ!」



 その言葉に俺は顔を逸らし、心の中で叫んだ。




 どんな状況なんだよ! これ!



 ◆◆◆


「な、なあ、ツキ」

「なんだい? ツキだよ。イズだけのツキだよ」

「テンション高いなおい」

「ふふ、当然じゃないか」



 美空――否。ツキはとても嬉しそうに身を揺らしていた。とても緩慢な動きだと言うのに、胸についた大きな塊がゆさゆさと揺れていた。


「いや……なあ、ツキ。これってどういう」

「そうだ、イズ」


 ツキが言葉に割り込んで来た。絶対にわざとである。


「ボクの大好きな人がどんな人なのか気になったりしないかい?」

「いや、別に……」

「そうだよね。気になるよね」

「いつにも増して話聞かないな?」


 ふふ、とツキは笑う。話を聞く気はなさそうである。


「彼はね、意地悪なんだよ。すっごく意地悪なんだ」

「……それなのに好きなのか?」

「惚れた弱みってやつだね。そんな意地悪な所すら愛おしく思えてしまうんだから、人間って不思議だよね」


 その言葉に俺は何も返せない。その好きな人、というのは――



「彼はね。いっつも隣に座ってって言うのに対面に座るんだよ」


 俺じゃねえか。


「しかも隣に行ったらいつも近いって言うんだ。ボクはただ近くに居たいだけなのにね」


 俺じゃねえか。


「しかも全然ボクが好きだって気づいてくれないんだよ。抱きついたり背中に顔を埋めたり、おっぱい当てたりしてるのにさ」


 俺じゃ……うぐっ。なんか凄い心に刺さった。


 ……これ、あれか。多分あれだな。



 今まで黙って聞いてた仕返しだ。


「普通気づかないかな? 気づくでしょ。こんなに好き好きオーラ出してるのに気づかない訳ないでしょ」

「色々吹っ切れてるな?」


 攻撃に全振りである。めちゃくちゃ心が痛くなってきた。心臓にも悪い。


「……ってちょっと待て。おかしい事があるぞ」


 同時に俺の中に一つの疑問が生まれた。


「ツキ、他に好きな人が居たって言ってなかったか?」


【因幡の白兎】=俺となり、色々吹っ切れてしまったのはまだ理解出来る。


 しかし。この言い方はまるで、それより前から――



「……イズのばか」



 ツキはほんのり拗ねたように口を尖らせ、俯いた。


 ……え?


 その時一瞬、脳裏をありえない考えが過ぎった。いや、まさか。そんなみたいな事あるはずないよな。


 ……そうなると全ての辻褄が合ってしまうが。さすがに、さすがにないだろう、うん。


 一旦【因幡の白兎】の事は忘れよう。


「さ、さっきツキが言いかけた事になるが。一応言い訳……じゃなくて。あ、あれだと思うぞ。隣に座らなかったのは気恥ずかしかったとか」

「ふうん? ボクは恥ずかしくなかったとでも?」

「それは……ごめんなさい」


 何も返す言葉が思い浮かばなかった。


「キミはどう思う? どうして伝わらなかったのかな?」

「……僭越せんえつながらお答えさせていただきますと。その。まさか自分の事を好きになるとは思っていなかったんじゃないのかなと」

「ふうん? それは自己評価的なものかい?」

「は、はい。一概には言えないではありますが」


 なんかどんどん話し方が変になってきたな。


「まあ、一理あるか。ああ、彼とは二年近く疎遠でね。その間、ぼくは人類で一番人類に貢献してきたから」

「間違ってないの凄いなほんと」


 ここ数年の功績だけでも十分教科書に載るレベルだ。まさに生きる偉人である。本当にとんでもない。


「ボクは彼の事を誰よりも評価してるつもりだけど?」

「それは……さすがに過大評価じゃないか?」


 そう返した瞬間。彼女がはぁぁぁ、と息を吐いた。


「このボクが言ってるんだぞ? この、【魔女】と言われたボクが。ボクが失敗するとでも?」

「あー……割と? 気づいてない事とかあったし」

「ぐうの音も出ないね! つい最近まで気づかなかったのは本当にバカだと自分でも思うね! うん!」


 ちゃんと認めるんだと驚きつつ、笑ってしまった。


 こんな時でもツキはツキなんだな、と思ったから。


「全く……でも、こうして意地悪な所ばかり言うのも印象が悪くなるね」

「いや、全部事実なので返す言葉もございません」


 はあ、とツキがまたもやため息を吐いた。


「どうやらボクの大好きな人は自己評価がとっても低いようだ」

「いや、そんな事は――」

「あるね。本当に自覚した事はないと思うかい?」


 口を開くも、言葉は出てこなかった。何も言えない。


 自覚、か。


「……あるだろうな」

「でしょう? このまま彼と――もし、付き合えたとしても、どこかでが起こると思うんだ」

「綻び、か」

「ああ。綻びだ。だから、ボクは考えた」


 なんとなーく背中に冷たいものが走った。嫌な予感がする。



「彼がどれだけ凄いのか、キミに語ろうと思ってね……ああ、もうこんな時間か。そうなると明日からになるね」


 その嫌な予感は現実のものになりそうであった。……明日まで猶予は出来たっぽいが。

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