第26話 【因幡の白兎】と偽因幡の白兎

「どこに向かうつもりなんだ?」

「屋上だよ」

「……ボク、規則違反をするような人は嫌いなんだけど」


 かなり不快感を織り混ぜて言ったのだが、彼には通用しなかったらしい。


「みんなやってるよ。バレたりしないから心配しないで」


 つくづく彼はボクの嫌いなタイプだな。


 みんながやってるから。

 バレたりしないから。


 それらの言葉に強い不快感を覚えた。


 彼……イズならば絶対に言わないであろう言葉。どうやらボクは、何事も誠実な人の方が好きらしい。


 普段なら着いていく事はしないが、今回ばかりは例外だ。彼がどうして【因幡の白兎】を知っているのか気になったから。


 無理に聞き出しても良いが、少々面倒だ。


 この男からはと同じ――の臭いがしたから。刺激はしない方が良いだろう。


 そのままボク達は屋上へと乗り込んだ。


 校内とは違い、梅雨特有のむわりと湿気のある温い風邪が頬を撫でた。


「ついでにドア閉めといて」

「……分かったよ」


 扉に手を掛け。ボクは閉める……フリをして、ほんの少しだけ開けておいた。何かがあってもすぐに逃げられるように。


「それで、話ってなんだい」

「ああ、簡単だよ。俺と付き合って欲しいんだ」


 頭痛を起こしてしまいそうであった。一ヶ月前の記憶も無いのか、この男は。


「一ヶ月前にその話はしただろう。断ったはずだが……改めて言おう。断る」

「まあまあ、あれは何かの間違いだよ。とりあえず話くらい聞いてよ」


 その言葉すら切り捨てたくあったが、そうも出来ない。


 家の庭を荒らされたような、そんな気分ではあるが。今だけは我慢だ。……今だけは。


 そこで彼はわざとらしくためらった素振りを見せた。一々その仕草が癪に障る。


彼はへらへらと笑いながらも、その瞳に狂気の色を見せながらやっと口を開いた。


「いやー、実は俺、昔から好きな人が居てさ」


 手短にと頼んだつもりだが? という言葉を飲み込む。神経が逆立ち、気が短くなってしまっているな。


 一つ、本当に小さく息を吐きながら続きを聞いた。


「その子、すんごい頭が良いんだよ。それがかっこよくてついファンレターなんて送ってさ」


 凄く、嫌な予感がして。額に皺が寄ってしまう。


「何が言いたい」

「まあまあ、あと少しくらい聞いてよ」


 滲み出している拒絶感にも一切気づいていない。

 続く言葉を予想しつつ、そんなにバカな事は言わないだろうと口を閉ざした。


 しかし、彼は想像を遙かに超えてきた。――悪い意味で。



「その子に元気がなかったら応援したりしてね」



 そこで彼が、改めてボクを見た。


「それが月夜ちゃんなんだよ」


 ――それは。



「つまり、キミが【因幡の白兎】だと。そう言いたいのかい?」



 その言葉は最終通告のようなもの。



 もしここで彼が頷くのならば……ボクは、容赦という言葉を忘れるだろう。



「ああ、そうだよ。俺が【因幡の白兎】だ」



 悠々と彼はその一線を踏み越えてきた。


 規律を反し、モラルが欠如している。自分の事しか考えていない……そんな愚者が【因幡の白兎】だって?


 怒りを通り過ぎると笑いが出る、なんて聞くけれど。ボクの場合、そんな事はないようだった。


 腹が立った。お前が【因幡の白兎】だと?


 それは、彼を侮辱し過ぎではないか。



「ふざけ――」



 ――声を荒らげようとするも、ボクは最後まで言い切る事が出来なかった。



 バン! と。何か固い物が強く打ち付けられるような音に阻まれたからだ。

 あまりにも大きい音に口を閉じ、肩がびくりと跳ねてしまう。



「ふざけるな」

「……え?」


 思わず、間の抜けた声が漏れてしまった。



 そこには、いるはずがない――イズの姿があったから。


 同時に、驚いてしまった。


他人ひとの思い出を汚して楽しいか」



 イズの表情は今まで見たことがないくらい、怒りに満ちあふれていたから。


「な、なんだよ。俺が嘘をついてるって言いたいの?」


 いきなり現れた彼に戸惑い、更にその気迫に今まで話していた彼は目をさまよわせていた。

 誰だ、と聞かない辺りイズの存在は知っていたか。


「ああ、そう言ってる」

「し、証拠がないだろ? 俺は【因幡の白兎】だよ」

「それなら、お前が【因幡の白兎】かどうか確かめよう」


 イズの表情が怒りで歪み、彼へ一歩近づいた。


「美空が初めての学会で発表した細胞の名前は?」

「……え、えーと。なんだったかなぜ、ぜっと……P?」

「ZIIC細胞だ。一番最初の学会で発表され、学会を通り越して世間に大きな衝撃を与えた。【因幡の白兎】なら即答出来たはずだが。……美空をストーカーするんだったらそれくらい調べてると思ったが。所詮見ていたのは上辺だけか」


 イラついたように彼は詰め寄る。その瞳は鋭く彼を睨みつけていた。


「じゃあ次。一つレベルを落とす。美空の研究結果で救われたであろう人間の数は?」

「さ、三十万人!」

「さすがに知っていたか。それなら、これから救われるであろう人間の数は?」


 押し黙る彼を見て、イズが呆れと怒りの籠った息を吐き出した。


「その細胞の発見によって、将来的に命が救われるであろう数は百万人を超すだろうと海外の学者が最近発表した。美空月夜が生きている限り、その数はその何倍にも何十倍にも膨れ上がるはずだとも書いてあったな」


 驚いた。イズがそこまで調べ上げていた事に。


 どれだけの人を救う、とかはテレビやネット記事に書かれていたはずだ。

 しかし、将来的にという話はイズが言う通り、つい最近ボクについて調べあげた学者が発表したものだ。確か発表されたのは先々週とかだったかな。


 ……いや、でもイズは学会まで来てくれていたのだ。知っていてもおかしくない事なのかもしれない。


「最後の質問だ。去年の秋、ZIIC細胞が世間で波紋を起こした。某国がその細胞を悪用し、とても人道的とは呼べない研究を行ったからだ。そのせいで彼女まで倫理観を疑われた。……その時【因幡の白兎】は彼女に手紙に何と書いた?」


 ――え?


「そ、それは……あ、悪用する奴が悪いだけで、美空ちゃんは悪くないって」

「違う」


 その言葉を一蹴し、イズは彼の目を見て。



「そもそも、某国が使っていた細胞自体が美空が発表した細胞とは違う。似て非なるものだったんだ」


 ……なんで? どうして?

 その言葉が脳内に溢れる。


「学会の中でも気づいた者はほとんど居なかった。それほどまでに、完璧に偽装されていたんだ。某国が【美空月夜】という人物を危険視したからだと思っているが……実際の事は分からないから置いておこう。【因幡の白兎】は手紙にこう記した」


 何も考えられなくなって、ボクはただ彼の言葉を聞いていた。


「『メディアに持ち込むべきだと思う。テレビでも、週刊誌でも、インフルエンサーでも良い。なるべく多くの人目がつく場所に。美空さんなら知識が無い相手にも分かりやすく説明出来るはずだ』と」

「で、でまかせだ! そんなのネットで一回も見た事――」

「いや、合ってるよ」


 一言一句、その言葉は間違っていなかった。


「結局ボクは持ち込まなかったからね。世間に公表はしなかったんだ。国際問題に発展しかねないという事と、マスコミに振り回されるのはもうごめんだったというものが主な理由だ。個人的に対処はしたけど――それはそれとして」


 あの時はあの時で大変だったけど。一つ、とてもおかしな事があった。


「イズ、どうして知っているんだい。ボクはその手紙を持ってきていなかったはずだ」


 手紙どころか、その事件の事すらイズに話した事がなかった。

 あれで落ちた評価もすぐに戻ったし、既に終わった事だったから。


 何より、イズに心配を掛けさせたくなかったから。だから話していなかったし、そもそもあの手紙はボク以外誰も見ていない。お母さんとお父さんも、神子だって知らない。


「そして、どうしてボクが作った細胞と違うと分かったんだ。お母さん達に聞いたのかい?」


 その細胞が違うものだと知っているのは、ボクとお父さんお母さん。神子と【因幡の白兎】くらいだ。他に知っている者は居るかもしれないが、おおやけに言う事はなかった。


 お父さんとお母さんですら自分では気づけなかったと言うくらい偽装は精巧だったのだ。

 実験の過程を全て微細まで記憶し、数十回は論文を読み込んでようやく違和感に気づけるかどうか、というレベル。


 お母さん達も確か【因幡の白兎】に言われて気づいたと言っていたが。



 それを脳内で考えるのと同時に、彼が首を振った。


「いや、違う……というか、美空の両親に言ったのは俺だ」


 ――え?




「俺が、【因幡の白兎】なんだよ。だから全部知ってるんだ」




 その言葉に。ボクの頭は過去に類を見ないほど早く回転を始め――





 同時に、カチリと。全てのピースが噛み合った。





 噛み合ってしまった。




「ふぇ?」



 頭の中とは正反対に、口からはとても、とても間の抜けた声が飛び出していた。




――――――――――――――――――――――


※細胞の名称は実在していないものを使用しております(2023年11月14日現在)

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