第25話 魔女と狂人

「ううううう! 全然手に着かない!」


 PCから手を離し、ベッドに寝転がる。あまりにも効率が酷かったので、作業から離れたのだ。


 無理。これ今日無理だ。明日も無理かもしれない。


 理由は当然、彼の事があったからだ。


『学会が終わったら、美空に話があるんだ。大切な話だ』


 その言葉が脳裏に張り付いて離れなかった。こびりつくとかそんな生やさしいものじゃない。全然離れてくれないのだ。


 目を閉じようが閉じまいが、彼の顔が頭の中に浮かぶ。


 彼は前髪が長いから暗い印象を持たれがちだ。けど、違う。


 その目は誰よりも優しいのだ。お母さん譲りの目で、凛々しさはお父さん譲りだ。

 

 顔も整っている。本人は否定するけど、目鼻立ちは整っていてかっこいいのだ。内面は言わずもがなである。


 彼の事を考えていると、つい最近の事を思い出して顔が熱くなった。


「だってさあ……もう、色々反則だよ」


 お姫様抱っこで連れ出された時なんて、もう色々と我慢が出来なくなりそうだった。


 つい我慢できなくて抱きついてしまった時も、イズは何も言わないでくれた。

 イズからしてみれば、好きな人が居るのに抱きついてくるよく分からない人だろう。それでも、何も聞かなかった。理由があるのだろうと悟って。


 ……それに。ボクは気づいてた。イズに抱きついた時、その手が頭に伸びそうになっていた事も。


 昔はいつもそうだった。嬉しい事があったらいつもイズに抱きついて。イズはいつも、しょうがないなと言いながら嬉しそうに頭を撫でてくれたのだ。


「また、昔みたいな関係に戻れるのかな……うん。あの頃よりももっと仲良くなる」


 だから――


「も、もし。もしね。イズから言われたら……」



『大切な話』


 そう聞いて、真っ先に思い浮かんでしまった。でも、そう簡単に人生が上手くいかない事も分かっている。


 期待だけじゃなくて不安もあった。


 もしかしたら、嫌われたんじゃないか。嫌われる理由はある。



 彼に――【因幡の白兎】の話をずっとしているから。



 本当にこれで良いのかと、自分自身に何度も問いかけた。神子にも何度も相談した。


『絶対に大丈夫。ええ。私の誇りに懸けても良いわよ。……どうしてもって言うなら良いけど。でも、これだけは信じて。月夜が今までやってきた事はマイナスには向かってないからね』


 まっすぐとそう言われれば――なにか、理由があるのだと考えずにはいられなかった。


 それに、もしイズに言ったとして。その後彼に想いを告げられるかと言われれば――頑張りたい所だが。


 つい、夢見てしまうのだ。



『イズはずっと、ずっとボクの傍に居てくれるよね』



 あれは確か、ボクが同級生……いや。初めて『友達』を失った瞬間だったか。小学校に上がってまだ間もなかった。


 今でも鮮明に覚えている。小学校ではボクばかりが褒められていた。

 あの子も頑張っていたと言うのに、その活躍が霞んでしまっていたのだ。いや、イズもそうだったのだが。


 彼女はボクの前から居なくなった。転校していったのだ。


 あれは堪えたな。しばらくボクは誰も――誰も信じられなくなった。家族は疎か、イズですらも。


 いつか、ボクを見限って彼が居なくなるんじゃないかって怖くなった。

 だけど、彼は閉じこもろうとするボクの手を引いて起こしてくれたのだ。


『ぜったいにいなくならない。ずっと、おじいちゃんおばあちゃんになってもいっしょだよ』


 その言葉が嬉しくて、同時に凄くドキドキして。


『そ、それって。ボクと結婚してくれるってこと……?』

『お、おっきくなったら! おれからまた言う! や、やくそく!』

『……! うん!』


 幼い頃の約束。もう彼も覚えていないのかもしれない。

  ――否。覚えていても、子供の頃の戯言だと思うだろう。それを強く願っているボクの方が異常なのだ。


 それでも、何度も夢見てしまう。


「……寝るか」


 もうずっとイズの事しか考えられない。もう資料の見直しはお父さんに任せて寝よう。


 もしかしたら、今ならイズと遊ぶ夢を見られるかもしれない。


 そう考えて、ボクは眠りにつくのだった。



 ◆◆◆


 木曜日。今週は忙しかったから、今日がイズと集まる日だ。


 帰りのSHR中、自然と心臓の音が上がり始めていた。


 今日はあくまで手紙のおおまかな内容を相談するだけ。他にどんな事を書いた方が良いのかな、とかそれだけだ。


 だけど、ドキドキしてしまう。


 彼にはたくさん、たくさんお世話になった。

 すっごく励まされたし、あの時食べたクッキーは本当に美味しくて。おまけにとても良い夢を見させてくれた。


 だからこそ――彼を利用してしまった事を謝罪しなければならない。


 渡すのは感謝の手紙であり、謝罪の手紙だ。

 神子には相談して許可を貰った。もう、この胸を突き刺す罪悪感を消す事は出来なかったから。


 同時に神子から凄く謝られたけど。神子のお陰でまたイズと話せるようになったのだから、彼女が謝る事は何一つないのだ。


 イズにそこまでは相談しない。

 だけど、彼にこの手紙を渡したら近いうちにイズにも言うつもりだ。イズの大切な話が終わった後が良いかな


 そんな事を考えているうちにSHRが終わる。

 同時にボクは立ち上がり、イズへと一旦の別れを告げて教室から急いで出た。二人での逢瀬おうせを邪魔されたくないから。


 歩きながらも脳内で資料を思い出し、漏れがないかの確認を行う。癖のようなものだ。


 マルチタスクは得意だ。しかし、脳のリソースを完璧に二分割出来る人間など存在しない。


 だからこそ。ボクは生物室の前にいた彼に気づくのが一瞬だけ遅れてしまった。


「ん……?」


 生物室の前に一人の男子生徒が居た。見覚えのある生徒。


 脳内を検索する間でもない。彼の事は強く印象に残っていた。……悪い意味で。


 彼は一ヶ月前、ボクに告白してきた三年生である。演劇部の生徒で、イケメンだと評判も……いや、評判は悪いんだが。


 あくまで噂であり、確実性のある情報ではないと前置かせてもらう。

 彼は中学生の頃、破局した彼女をストーカーし、ノイローゼにさせたという噂があったのだ。


 ちなみにボクはその噂を信じている。……理由はボク自身がストーカーの被害者となったからだ。


 学外では基本問題なかった。車で移動していたから。問題は学校内である。


 彼をフッてから、常に視線を感じていた。そこに目を向けると、時折目が遭ったのである。ホラー映画かと思ったね。


 ……あと、熱烈なラブレターが机の中にぎっしり詰まっていた事もある。あれは正直驚いたな。いつ入れたんだか。



 こういう輩は構ってしまえば調子に乗る。無視あるのみで、予想通り最近は視線を感じる頻度が減ったのである。


 そんな彼は一部の層から人気があるようだが、その層も所詮顔で釣られているだけに過ぎない。

 いくら顔が良くても、順序以前にモラルの問題である。

 それに、彼よりイズの方がずっとかっこいいからね。


 付き合うどころか親しくなりたくもない。もっと言えば視界に入れたくない。



 一瞬のうちに思考をまとめ、どうしようかなと考える。

 生物の先生に用事があるのならば、五分ほど時間を置くべきか。イズとも連絡を取らないとと考えていた時。


「ああ、今日も来たんだね、月夜ちゃんは」


 その彼の目はボクを射貫き、そう言った。

 彼に名前を呼ばれると、背中を虫が這い上がってくるような不快感に襲われた。


「すまないが、生物の先生に用があるんだ。日を改めてもらえるかな」


 、という言葉が気になりつつも。嫌な予感がし、即座にボクはそう帰した。しかし――彼は薄ら笑いを浮かべるのみだ。


「まあまあ、そう言わないでよ。月夜ちゃんに大切な話があったんだけどなあ」

「すまないね、ボクは忙しいんだ。日を改めて欲しい」


 退く気はなさそうで、ため息を吐きそうになる。

 これは先生を呼ぶべきだなと考えた時――


「【因幡の白兎】」


 吐きかけたため息は飲み込む事となった。


「着いてきてくれるかな?」

「……」


 眉をひそめ、考えてしまう。

 否。考えるという選択をしてしまった時点でボクの負けだ。


「予定があるんだ。手短に頼むよ」


 今度こそため息を吐いて、そう返す。


 彼とは関わりたくない。だけど。


 ボクと、ボクの家族。そして、神子とイズしか知るはずの無いその言葉。

 どうして知っているのか気になったからだ。


 ◆◇◆


「ん?」


 生物室の扉に手を掛け、俺は想わず首を傾げてしまった。


 鍵が閉まっている。


「まだ来てない……訳ないよな」


 お手洗いに行っている可能性もあるが。なんにせよ、遅れるなら連絡の一つくらい入れてくるタイプだ。


 なにかあったのでは、という思いが胸中に渦巻く。


 彼女なら大抵の事はどうにか出来る……とおもうものの、彼女だって人間である。出来ない事だってたくさんある事を知っている。


「探しに行くか」


 長らく使っていなかった美空の連絡先を探し出してチャットを送りつつ、他に知ってる人が居ないか友人に送る。ポケットにスマホを入れようとした時、スマホが震えた。




 渡辺から『ん?今日お前ら一緒にいねえの?』と連絡が来ていたから。

 そこから二、三分経って、渡辺から『ストーカー先輩が魔女と歩いてるとこ見たってよ。悪いがどこにいんのかは分かんねえ』と返された。


 それと同時に。別の人物から連絡が来た。――誰から聞いたのかは知らないが、希咲からであった。


『屋上。早めに行ってあげて。万が一はないと思うけど、念の為』


 同時に俺は走り出していた。なんとなく嫌な予感がしたから。



 ――屋上の扉が開いていた。とても薄くではあるが、光が差し込んできていたのだ。


 普段、屋上は立ち入り禁止である。誰かが鍵が開いてない事を知ったらしく、それからは告白スポットとして使われがちだった。


 一応屋上は高い柵で囲われていて、めちゃくちゃ危険という訳ではない。バレたら封鎖されるとは思うが。


 普段の美空なら、ここに呼び出されても行かないだろう。もしここに居るのなら……なにか、理由があるのだと想う。



 足音を立てないよう慎重に近づくと。声が聞こえてきた。



「いやー、実は俺、昔から好きな人が居てさ」


 聞こえてきた言葉。思わず俺は息を潜め、扉に耳を近づけたのだった。

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