第24話 魔女と影
次の週の火曜日。今日も今日とて恋愛相談である。
何度話しても楽しいのか、美空は【因幡の白兎】から受け取った手紙がどれだけ支えになったかを語ってくれた。
……俺にとっても、多少恥ずかしくはあったが。褒められて悪い気はしない。というか嬉しい。
そして、ある程度話した後。美空が手紙を入れたファイルを閉じた。
赤い瞳がじっと。まっすぐと俺を見てくる。
「そういえばね。一つ、決めた事があるんだ」
「なんだ?」
一拍の間を置いて、美空は続きを話した。
「次の学会の時、【因幡の白兎】が来ていたらお父さんに頼んで手紙を渡そうと思うんだ」
「ほう」
そういえば最初の頃に言ったなという事を思い出すと、美空がこくりと頷いた。
「前にキミに言われたからね。今まで一方的に渡されてたし、感謝の意味を込めて手紙を返そうと思うんだ」
「良いと思う。喜ぶはずだ」
めちゃくちゃ嬉しいな。手紙で返事を貰えるというのは。
「なあ、美空」
「なんだい?」
そこで俺は彼女の名前を呼んだ。
美空は軽く返事をしたものの、俺の雰囲気を読み取ってか少しだけ表情が硬くなっていた。
「次の学会は金曜から泊まりがけでやるんだよな」
「ああ。土日にかけて行われるね」
「……そうか」
改めてその事を確認し、考える。
「来週は学校、来れるのか?」
「うん、来るよ。出席日数は余裕を持ってるけど、特に休む理由もないし。……いいや」
美空の顔が緩む。笑顔とともに繰り出された言葉は――
「今は隣にキミが居るからね。前よりもずっと、ずっと楽しいんだよ。だから休みたくない、と言う方が正しいかな」
――強く、胸を揺さぶるものだった。
今日決めたことを全て取りやめ、ぶちまけてしまいたくなるくらいには。
しかし、どうにか理性は保ってくれた。と油断していた。
熱くなる顔を手で覆い隠そうとしたら、美空に手を捕まれた。
「キミの顔が見えなくなってしまうのは嫌だな」
ぽつりと呟かれた言葉に、鼓膜をぞわぞわと撫でられる。
これ以上はないと思っていた頬が更に熱を帯び、心臓は更に強く脈打ち始めた。
心の内で理性と本能が戦い始め、頭の中が真っ白になる。
そこで美空が自分のした事に気づいたのか、ばっと手が離された。
「ご、ごめん! ち、ちょっとつい」
「大丈夫……だ。多分」
ほんの少し彼女から離れ、深呼吸をする。
それでも彼女から甘い香りが脳が漂ってきて、脳が痺れるような心地よさを覚えてしまう。
「そういえばキミの言葉を切ってしまっていたね。何を言おうとしてたんだい?」
彼女の言葉に意識を切り替える。無理矢理に。
「学会が終わったら、美空に話があるんだ。大切な話だ」
美空の目が小さく見開かれ――ボンッと顔が一気に赤くなった。
「た、たた大切な話?」
「……ああ」
「そ、それって今じゃダメなのかい?」
「ダメって訳じゃないが。学会も控えてるし、あんまり精神が揺らぐような話は良くないと思っているんだが」
「……ちょっと待って」
肌に比べてもより一層鮮やかな瞳が揺らぎ、陰った。
「そ、そんな事言われると、良くない想像しちゃうんだけど。……絶縁とか」
「そんな事言うはずないだろ。……まあ、良いか悪いか聞かれるとなんとも言えないが」
俺達の関係性が大きく壊れてしまう事だってありえてしまう。
良い方向にも、悪い方向にも。
だからこそ、言えば色々と彼女は揺らいでしまうかもしれない。学会という大切なものが控えているのにそれは良くなかった。
「ふむ。少し怖いが」
「悪いな。もう少しゆっくり言えば良かったかもしれない」
「いや、大丈夫だよ。これでも切り替えは早いほうだからね」
「でも……まじですまない」
自分の中にとどめておく事が出来なかった。あまりにも自己中心的な考えである。反省しなければ。
「だから良いよって。それと、ボクからも言わせて貰うけどね」
自己嫌悪に陥っていると、美空にそう声を掛けられる。
顔を上げると、その赤く綺麗な瞳がじっと俺の顔を見つめてきていた。
「ボクはもう、イズから離れるつもりはないからね。そのつもりでいてよ」
「ッ……あ、ああ。分かった」
その言葉はまっすぐ俺の心に突き刺さる。
心をじくじくと抉っていた黒いもやは霧散した。
「じゃあ、来週の月曜は楽しみにしていようかな」
「……そうしてくれ」
そう返し、俺は眼を瞑って息を吐いた。
緊張した。来週はもっと緊張しそうである。
「俺から言いたかったのはこれだけだ」
「分かったよ。そういえば一つ、【因幡の白兎】について気になる事が出来たんだった」
「なんだ?」
未だに強く脈打つ心臓を落ち着けようと、そちらに意識を向けたのだが。失敗であった。
「どうやら、【因幡の白兎】はそう遠くない場所に居るみたいなんだ」
ドクン、と。鐘を打ったように強く、体の中で心音が響いた。
「ど、どうしてそう思うんだ?」
「キミに言おうか迷ってたんだけどね。この前、彼から差し入れを貰ったんだ。クッキーをね」
「そ、そうだったのかー」
知ってるが? なんなら家まで行ったが?
「ああ。それで貰ったクッキーなんだけど、まだ温かかったんだ」
ぐむっ、と変な声が出そうになった。どうにかそれを飲み込み、目を逸らす。
「お父さんが取りに行ってくれたんだけどね。本当に作ってから三十分も経っていないようだったんだ」
「そ、そうかー」
やべえ。温かくて美味しいのを食べて貰いたかったというのと、あの時全部言うつもりだったから後先の事を何一つ考えていなかった。
「ああ。……もしかしたら、この高校に居たりするかもね」
「そ、そそそそそうかもな」
「あはは、冗談だよ。そんな偶然あるはずないだろ?」
あるが? 目の前に居るが?
そうだった。絶対忘れちゃいけない事だが、美空の頭の良さは常人と比較にならないのだ。
「まあ、それが気になっただけだよ。まさかこんなに近くに居るとは思ってなかったからね」
「と、灯台下暗しだったな」
「視野は意外と広く持ってるつもりだったが、やはり難しいものだね」
やっばい。
……これ、時間の問題なんじゃないか?
来週までにバレるんじゃないか?
冷や汗が流れてしまい、ポケットに入れていたハンカチで汗を拭いた。
「あ、今日は持ってるんだね」
「この前言われたからな」
持っていなかったら、 以前のように拭かれていたかもしれない。さすがにそれは恥ずかしい。というか今の状況でそれをされると、表情から読み取られる恐れもある。
「今日はこんな所かな。資料の見直しもしないといけないし」
「ああ。そっちを優先してくれ」
「でもあと一回は集まりたいかな。手紙の内容を確認したくてね。他に書いた方が良い事とか」
「あー……分かった。そんなに時間もないだろうから、大まかにでな」
「うん、そのつもりだよ」
【因幡の白兎】としても受け取っておきたい。
恐らくそれが、彼女との最後のやりとりになるから。
俺も手紙の用意、しておかないとな。
「じゃあ解散しようか」
「分かった。戸締りはしておくから帰って大丈夫だぞ」
「ああ、ありがとう。また明日ね、イズ」
「また明日な」
ひらひらと手を振ってくる美空に手を振り返し、生物室に一人となる。
「んじゃ、戸締りするかな」
とは言っても、既に窓は閉められているだろう。確認だけして――
「あっ」
廊下側の窓の方を見て、思わず声が漏れた。
僅かに窓が空いていたのだ。
「危ないな。先生に見られたら一大事だぞ」
生徒達だけで何をしているのか問い詰められれば大変な事になりそうだ。美空が居るのでどうにかなるかもしれないが。
学校で……だと周りの目があるからあれだな。放課後は忙しいだろうし。
またここに集まる時にでも言っておこうと、俺は戸締りをして帰ったのだった。
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