第21話 魔女と神童

「お、おはよう」

「あ、ああ。おはよう、イズ」


 朝。席に着きながら美空へと声を掛けると、どこかぎこちなく挨拶を返される。俺も人のことは言えないのだが。


 理由は昨夜の事があったからだ。

 ツキの部屋に上がり込み、膝枕をして頭を撫でたから……と聞くと、改めてとんでもない事をしてるな俺。


 しかし、彼女はその全てを夢だと思い込んでいる。終始夢現ゆめうつつという感じだったが、この様子だと覚えているようだ。


「な、なぁ……あの雰囲気」

「完全にやってんな」

「目の前で一人の男子が男になった瞬間か……これが」


 なんか周りも凄く勘違いをしているようだが。いやこれどうしようか本当に。眠くてあまり頭が回らない。


 昨日は全然眠れなかった。

 目を閉じる度に、美空のお菓子のように甘い匂いと……その柔らかい声や温もりがフラッシュバックしてきたから。


 いやこれやばいな、本当に。色々とやばい。


「ね、ねえ、イズ」

「な、なんだ?」


 声が上擦らなかっただけでも自分を褒めてやりたい。美空も咳払いを挟み、気分を切り替えようとしていた。


「あ、あのさ……良い天気だよね」

「会話下手か。梅雨だ。絶賛大曇りなんだよ」

「ふ、ふむ。雨で思い出した。雨のPh濃度が低いと……つまり酸性雨がこのまま続けば、将来的に魚類の遺伝子にどんな影響を及ぼすかという研究論文をこの前読んでね」

「俺以外に中々通用しないぞ、その会話デッキ。でも気になるから聞かせてくれ」


 絶妙に気になるラインを攻めてきたな。美空らしいが。


 そして、朝は美空の論文の話から始まったのだった。

 周りの生徒は最初は気になった様子だったが、すぐによく分からない単語が出てきてギブアップしていた。


 ◆◆◆


 それはお昼休みの事であった。


「月夜? あ、居た」

「あ、神子。来てくれたんだね」


 教室の外から中をのぞき込んで来た、一人の女生徒。

 艶やかな黒髪を三つ編みにした、赤い眼鏡を掛けた美少女である。その目つきは鋭いものの、知的な雰囲気を醸し出していた。


 希咲神子きさきみこ

 学会にて活躍している人物の一人であり、天才である。


 大人顔負けの研究成果を幾つも残し、その立ち振る舞いも知的で物怖じしない。

 もし美空が居なければ、希咲神子が魔女と呼ばれただろう、と言われたりもする。最近だと名前も相まって【神童】と呼ばれたりもする。


 彼女は何かと美空と比べられがちである。どちらが凄い、とかで語るのは幼稚な事だと思うのだが。


 それに反して二人の仲は良好である。学会の中でも歳が同じであり、同性という事も影響しているだろう。話も合うらしい。


「どうしたの? いきなり呼び出して」

「いや、なに。そろそろイズにも紹介しようと思ってね」


 夜の帳を下ろしたような黒い瞳が美空からこちらへと移る。


「知ってるだろうけど。改めて紹介するよ。イズ。彼女が神子だ」

、初めまして……で良いわよね。希咲神子きさきみこよ。希咲でも神子でも好きに呼んで」

「は、初めまして。じゃあ希咲で」


 ……初めましてと聞かれれば初めましてなのだが。よく学会で見ていた。反対に見られてもいるだろう。


 彼女は恐らく、俺が学会に居た事は気づいている。なんで美空は気づいてないのに希咲は、と言いたい所だが。それにも理由がある。


 俺は学会ではなるべく美空の傍に近寄らないようにしていた。そこに意識を割きすぎた結果、気づいたら彼女が近くに居たとかザラにあったのだ。


 だから、多分気づいている。俺が学会に来ている事は。


「俺は神尾出雲だ。呼び方は好きに決めて欲しい」

「じゃあ神尾君で」


 その唇が小さく。本当に小さく動いた。



『それとも、因幡の白兎君の方が良い?』



「ッ!?」


 気のせいか、考えすぎか。

 でも、確かに唇はそう動いたような気がした。


「イズ」


 美空に呼ばれ、俺は意識を取り戻す。


「イズにももう話してるけど、神子とは仲良くしていてね。あそこでは唯一の同い年で同性だから、一緒にご飯を食べる事も多いんだ」


 そこまで話し、美空は希咲の方を向いた。


「神子にも話してるけど、イズはボクの幼馴染だよ」

「耳にタコができるくらい聞いたわね。むしろ耳がタコになる勢いで」

「どんだけ話してるんだ……後タコは水棲生物の方じゃないだろう」


 思わずそう返してしまい、希咲がにやりと笑った。


「会う度にイズが話してくれないだの、イズが定期テストで満点を取っただの「わ、わああああああ! ダメ!」」


 希咲の口を美空が手で塞いだ。しかし、聞き逃すには一歩遅かった。


「……知ってたんだな。満点取ってたの」


 中学の頃の話である。美空父母から話を聞いて、俺には基礎が全然足りないと痛感した。

 それから全体的に猛勉強をしたのである。幸い、勉強が大好きな彼女から嫌というほど勉強方法は教わっていたから。


 そしてある時、定期テストで満点を取ったのである。記録としては美空と同率で一位。


「し、知ってたさ。ボクがキミの事で知らない事なんてないからね」

「割とあると思うが」


 がっつり知らないだろ。俺が【因幡の白兎】だって。


 きょとんとする美空の隣で希咲がくすくすと笑っていた。


 そういえば美空――希咲にも恋愛相談をしてるって最初に話していたよな。男の意見が聞きたいから俺の所に来たのだと。


 という事は、希咲は【因幡の白兎】を知ってるはずだ。先程見た事が本当なら【因幡の白兎】=俺だという事も気づいているのだろう。


 ――だとしたら、なぜ美空に言わない? 目的はなんだ?


「どうしたんだい、イズ。そんなに神子に熱い視線を向けて」

「ん? いやいや、違う。少し考え事をしていてな」

「へえ? 神子を見ながら考え事? 是非お聞かせ願いたいものだが」


 なんか怒ってる。

 ……嫉妬? まさか。そんなはずない、よな?


 頭の中に浮かんだ選択肢をかなぐり捨て、改めて希咲を見る。


「じゃあ、よろしくね? 神尾くん」

「……ああ。よろしく」


 裏を返せば、彼女が俺の正体をバラす事はないという事だろう。

 できれば俺から彼女に伝えたかったので、それだけはありがたかった。


 ◆◆◆


 今日希咲を紹介した本当の理由が分かった。

 単純に紹介したかったから、というのはあるんだろうが。


「神子は今月末の方は参加しないんだったよね」

「ええ。私の範囲から外れてるもの。来月にある月夜の講演会は参加するけど」


 朝に比べて随分話がスムーズなのである。潤滑油と言えば良いか。

 このままだと美空とギクシャクしてしまいそうだったので、かなりありがたかった。


「神尾君は参加しないの?」

「俺か?」


 どこまで話してるのか、と目で美空に尋ねると頷かれた。全部話してるな。この様子だと。


「いや……しないぞ、というか参加した事はないからな。見学した事があるってだけで」

「あら、そう? 月夜の助手として悪くないと思ったんだけど」

「んぐむッ!?」


 希咲の言葉に美空が卵焼きを食べながら変な声を漏らした。


「良いんじゃない? この子、よくお菓子も食べてるし。神尾君、お菓子作りもできるんでしょ?」

「あぐふッ!?」


 今度はこちらが変な声……どころかせてしまった。米粒が気道に入ってしまった。


 咳き込んでいると、美空がぽんぽんと背中を叩いてくれる。ありがたいはずなのに、その手の小ささや暖かさがやけにむず痒く感じた。


「ごめんなさい。変な事を言ってしまったみたいね」

「げほっ、ごほっ。……あー、ありがとう、美空。希咲も気にしなくていい」


 これめちゃくちゃ鎌掛けられてるな。美空から昨日の事まで聞いたのか……?


「あと、俺は料理はするとは言ったが。お菓子を作れるなんて一言も言ってないぞ」

「あら、ごめんなさい。こちらの勘違いね。……ちなみに作れないの?」

「か、簡単なものなら作れるが」



 嘘をつく訳にもいかず、そう言ってしまって。美空が目を見開き、赤い瞳を鮮やかに輝かせた。


「つ、作れるのかい!」?

「まあ、本当に簡単なものなら」


 キラキラとした目線に打ち抜かれる。沈黙を貫こうとするも、どだい無理な話だった。


「……今度、何か作ろうか?」

「うん! 食べたい!」


 子供のようにはしゃぐ美空に、辺りの生徒達がぽかんとしていた。

 そんな中。希咲はニコニコと俺達の事を見てた。


 手のひらの上で転がされたようだが、別に邪魔をしてきた訳ではないし……俺一人では美空のこの笑顔を見る事も出来なかったはずなので、何も言わない事にした。

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