第19話 幼馴染からの差し入れ

 それは唐突に思い立った事である。


『最近、ラムネの味に飽きてきてね。糖分補給には最適なんだけど、薬のように思えてしまってきたんだよ』


 今日、彼女が帰る前に言っていた。それを思い出したのが夕飯を食べた後である。


 彼女は論文やら資料やらで夜更かしが多く、美空母がよく夜食を作ってると言っていた。その際ラムネを食べて脳をリフレッシュさせるとか。


 さすがにこの時間からクッキーを作るのはダメだろう。


 試しに母さんに聞いてみると、別に良いんじゃない? と言われた。実に寛容な母である。


 許可が降りたのなら作るしかない。


 渡すのは明日でも良いかなとの思いで、俺はクッキーを焼き始めたのだ。


「うん。美味い」


 早速出来上がったので味見をすると、予想通りの味となっていた。美味しく作れた。


 しかし、美味しいものが出来ると誰かに食べて貰いたくなってしまう。料理を始めてからの癖となってしまった。


 さすがに家族に食べて貰うにしても、時間としては不適切過ぎる。


 ……美空には大人しく、明日渡すべきだろうと思いながらも。


『夜遅くにすみません。ツキってまだ起きていますか?』


 気がつけば、美空母に連絡を取ってしまっていた。


 めちゃくちゃ非常識な事は分かっている。もし既に寝ているのなら、そして寝る予定ならば大人しく引き下がるつもりだった。


『全然良いわよ。まだ起きて資料の作成してる所かな。夜食でも作ってあげようと思っていたの』


 しかし、すぐにレスポンスが返ってきて。その上かなりタイミングも良かったようだった。


『実はふと思い立ってクッキーを作ってしまったんです。良ければ持って行っても良いですか?』


 すぐに反応はなかった。さすがにダメかなと思い始めたときに返事が来た。


『お父さんが向かってくれるって。折角だし月夜にも会う? それなら家族の誰かから許可を貰っておいてくれると助かるわ』


 少し考えて。俺はお母さんから許可をもらいに向かったのだった。


 美空の両親には色々と世話になっていたので、一時間以内に帰ってくる事を条件に外出は許してもらえた。



 美空のお父さんを待ちながら――俺は考えた。



 彼女にそろそろ言うべきではないのだろうか。俺が【因幡の白兎】なのだと。


 もういつバレてもおかしくない。


 タイミングも良いだろう。場所も学校よりは全然良い。



 よし、決めた。



 今夜言おう。俺が【因幡の白兎】だと言って、謝ろう。



 そして、これからは【神尾出雲】の事を好きになって貰えるように努力しよう。



 ◆◆◆


「久しぶりね、出雲君。元気してたかな?」

「お、お久しぶりです。お陰様で、元気にしてました」

「あら? お父さんも凄く嬉しそうね」

「久しぶりに話せたからな。とても有意義な時間だった」


 美空宅に着いた。家までの距離はかなり近いのだが、その間美空父に質問責めにされていた。近況の事を特に。


「クッキーはこれになります」

「あら、ありがとう。とっても美味しそうね」

「良ければお二人も食べてください」

「それならちょっとだけ貰いましょうか」


 ニコニコとしながらお皿に盛り付け始める美空母。


 美空のお母さんはとても綺麗な人だ。……二人の前だとややこしいので、少しの間だけ昔の呼び方に直そう。


 ツキのお母さんはとても綺麗だ。目鼻立ちは整っていて、スタイルもモデル顔負けといった所である。


 そして、ツキのお父さんはとても荘厳な人だ。白髪混じりなものの、それがより風格を漂わせる事となっている。


 しかし、それは見た目だけだ。めちゃくちゃ優しく、俺もよくお世話になっている。あと本人は老け顔だと悩んでいるので、決して口にしてはいけない。


「はい、お父さん」

「ありがとう、お母さん」


 ツキのお母さんがお父さんに食べさせた。この夫婦はとても仲良しなのである、


「おお! 本当に美味しいな!」

「すっごく美味しいね。ありがとう、出雲君。月夜の為に」

「い、いえ。そういう訳では……」


 ないとは言いきれない。

 ツキは昔からクッキーなどの甘いお菓子が大好きで。いつか作ってあげたいなとか思っていた。


 ……お母さんから料理を習うようになったのも、彼女があまり料理をしないからというのもあった。ちょっと気持ち悪いと思われそうなので言えないけども。


「そ、そうだ。それ、【因幡の白兎】からと言って渡してもらえませんか?」

「あら? 月夜に会いに来たんじゃないの?」

「ええと、その。そろそろ言わないとな、と思いまして」


 当然だが、ツキの両親は【因幡の白兎】について知っている。ほとんどの場合、ツキのお母さんかお父さんからツキへと手紙を渡してもらうからである。


 ちゃんと俺の意図は伝わったようで、ツキのお母さんは大きく頷いた。


「分かったわ。じゃあ今から持っていくから……どうする? 五分くらいしたら向かう?」

「あ、ありがとうございます。そうします」


 快く許可も貰えてしまった。夜遅くに娘の部屋に同級生の男子を入れるのは、と言われる覚悟もあったのだが。


「ふふ。きっと驚くでしょうね。それに、喜ぶはずよ」

「喜びます、かね」

「もちろん。辛いときに出雲君に寄り添ってもらえていたって分かるんだもの。すっごく嬉しいはずよ」


 そうだったら良いんだが。怒られるのは覚悟しておかねばならない。

 あと、クッキーも口に合えば良いな。ツキが好きな感じに作れた……はずだし。


「それじゃ、行ってくるわね」


 ツキのお母さんがツキの部屋へと向かう。ふと気になって、俺はツキのお父さんを見た。


「あの、一つ聞きたいんですが」

「なんだ? なんでも聞くと良い」


 ツキの教えたがりは両親からの遺伝だ。

 ツキの発表や講演会などで分からない事があれば、聞くと二人が懇切丁寧に教えてくれる。


「……ツキって俺の事、気づいてると思いますか?」

「ふむ。それは【因幡の白兎】と君が同一人物だと、という解釈で合ってるか?」

「はい」


 少しだけ、ツキのお父さんが考え込んだ。

 数秒後、彼は首を横に振った。


「普通に考えれば、月夜が気づいてると言うだろうが。お父さんから見れば気づいていないと思う」

「どうしてそう思うんでしょうか?」

「月夜の知識は私と妻が学んだ事を中心にしているんだよ。たとえ、少し囓った程度の事でもね」


 なるほど、と思わず声が漏れそうになった。

 言われてみれば確かにそうだ。


「これでも私はそこそこ有名な学者だからね。専門分野以外にもかなり多くの事を学ぶ必要があった。それは妻もそうなんだが……」

「その中に、日本の神話を含むものがないと」

「その通り。出雲、という名前が地名だという事くらいは知っていると思うけどね」


 その言葉に頷き、俺は改めて考える。


 もし、本当に気づいていないのだとしたら。不可解な事が数多く残されていたから。


 ◆◆◆


「ふー」


 長く息を吐き、暴れ狂う心臓を落ち着ける。

 目の前にはツキの部屋があった。


 何度も深呼吸を繰り返し。


 俺はコン、コンとその扉をノックをしたのだった。








 ――――――――――――――――――――――


 あとがき


 18時頃に次のお話を更新します

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