第18話 魔女と差し入れ
「ふっ……く、ああ」
PCから一度離れ、腕を伸ばして伸びをする。全身の凝り固まった筋肉がごきごきと音を立ててほぐれていき、その心地よさに思わず声が漏れてしまった。
「もうこんな時間か」
時計を見ると、すでに時間は十時を過ぎている。あと数時間もあれば終わるかなとまた座り直そうとした時だ。
こん、こんと。扉がノックされた。
「月夜? ちょっと良いかな?」
「ああ、大丈夫だよ。お母さん」
許可に合わせて扉が開き、一人の女性が入ってきた。ポニーテールにされた金髪が歩く度に揺れた。
背が高く、とてもスタイルが良い、西洋的な顔立ちをした美人な女性。クォーターだからそれも当たり前か。
部屋に入ってきたのはボクのお母さんだ。
スタイルが良いとか美人という評価は身内贔屓でもなんでもない。今でもよくナンパをされるくらいなのだ。娘としては複雑だが。
「やっぱりまだ書いてたのね。早く眠らないとお肌に良くないわ」
「今日でなるべく終わらせておきたいんだ。これで終わりだからね。明日からはちゃんと寝るよ」
「もう……そう言うと思ったけど。そんな月夜に差し入れがあるの」
このやりとりも恒例のものとなっていた。体が資本という事も理解しているので、決して無理はしない。
しかし、お母さんが『差し入れ』と言う事。そして、その表情がいつもと違う事に違和感を覚えた。
お母さんが夜食とかホットミルクを入れてくれる事は時々あった。
それでも、『差し入れ』という言い方は初めてだ。顔もにやにやとしていて何かを隠しているように見える。
「差し入れってなんだい?」
「ふっふっふ。じゃじゃーん!」
お母さんが扉を開いた。
扉の近くに置かれていた小机からお膳を取り、見せてくる。
「クッキー?」
「そう! ラムネも糖分補給には最適だけど、たまにはこうしたのも食べたいかなって言ってたの」
「お母さんが作ってくれたんじゃないのかい?」
お母さんがニコニコとした顔で首を振る。
お父さん……は壊滅的に料理が下手だから。クッキーを作ろうとしたら炭が錬成されるだろう。
なら誰が? と思っていると、お母さんがニコニコと笑いながら口を開いた。
「【因幡の白兎】さんよ」
「ッ……!?」
言葉を失ってしまった。
どうしてその名前がここで出てくるのか。
頭の中では様々な可能性が生まれ、一つ一つを否定をしていく。
いくつかの選択肢が残った。それらを頭の中に置きながら、お母さんにバレないように口を開く。
「し、知り合いだったなんて初耳なんだが。彼と」
「ふふ。月夜の事、すっごく心配してたのよ」
「それは想像に
返事は誤魔化されたような気もするが、恐らくこの様子だと知り合いなのだろう。
となると、だれだろうか。二人の知り合いにボクと同い年の子が居ると聞いた事はないが。
……一度置いておこう。彼が信頼出来る人だというのはボクもよく理解しているのだから。
しかし、それはそれとして家族以外の者が作った物だ。忌避感が全く無いと言えば嘘になる。
「まさか家まで来てたのかい?」
「いえ。お父さんが取りに行ってくれたのよ。ちなみに毒味済みで、変な物は入ってなかったわよ」
表情に出ていたのだろうか。しかし、家族の前で取り繕う必要もない。
「騙されたと思って一つ食べてみて。美味しいのよ、すっごく」
「……お母さんが、そこまで言うのなら」
わざわざ部屋まで入ってくれて、机の上にお皿を置かれる。
お皿の上にはチョコレートクッキーとプレーンのクッキーが盛り付けられていた。甘い香りが鼻腔をくすぐってくる。
クッキーのように甘いお菓子はボクの大好物だ。
しょっちゅう食べてたせいで、昔はよくイズから『ツキからはお菓子みたいに甘い匂いがする』と言われていた。食べてるもので体臭が変わるはずもないのに。
少し話が脱線してしまっていたな。
その理由に加え、脳を酷使していたも相まって。はしたない事にごくりと生唾を飲み込んでしまった。
一つ、手で取る。まだ暖かい事に驚いてしまった。恐らく、作ってすぐお父さんが取りに行ったのだろう。
となるとそこまで家も遠くない……? と邪推しながらも、食欲が上回ってしまう。
クッキーを口に含み、かじる。
ボクは口が小さいのが悩みではあるが、丁度二口サイズのようだ。
砂糖とチョコレートの優しく、しっかりと甘い味が
ほんのりとあるカカオの苦味も丁度よく、甘くはあってもくどくなかった。
次にプレーンの方を食べる。カカオの風味や苦味がない分、しっかりと砂糖と小麦を感じられた。
温かいお陰か、市販のクッキーと比べても頭一つか二つ抜けた美味しさがある。
サクサクという食感も心地良く、飲み込むと次が欲しくなってしまう。後味まで良い。
「――美味しい」
「ふふ、でしょ?」
「ああ。悔しいけど美味しい」
正直に言うと、期待していなかった。
違うな。この表現は不適切か。
期待したくなかった、と言う方が合っているな。自分でも狭量だとは思うが。
今日、彼から料理が出来る事を聞いた。彼のお弁当を実際に見て、とても美味しそうだと思った。
味は分からないが……分からないからこそ、彼の料理を一番に食べてみたかった事もある。
今日は勇気が出せなかったが、明日は一口だけ貰いたいと言うつもりだった。
このままだと――もし、彼の料理が食べられたとしても。このクッキーと比べてしまうんじゃないかと危惧してしまう。
もちろん、普通の料理とお菓子作りで求められるものは違うと理解しているが。理解しているつもりなんだが。不安に思ってしまう。
それに――彼には例の件で負い目を感じてしまっていたから。
「良かったわ。きっと喜ぶわよ」
「……ああ」
でも、美味しいのは事実だ。ボク好みの味付けでもある。
「じゃあ残りも頑張ってね。でも無理はしない事」
「分かってるよ。お母さんもありがとう」
「ふふ。食べたらまた外の机の上に置いといてね」
お母さんが部屋から出て行くのを見送り、ボクはふうと息を吐いた。
とりあえず、これを食べて資料の作成に戻ろう。話はそれからだ。
そう考えてクッキーを食べ続ける。
美味しい。とても美味しい。
二種類あるので食べ飽きる事もない。一種類だったとしても食べ切る自信はあるけど。
しかし、同時に頭の中は彼の事でいっぱいになっていて。食べ終わる頃には、資料の事を考えるスペースが狭まっていた。
「ご馳走様でした。……しかし、これだとダメだな。効率を考えると徹夜になってしまうかもしれない」
指を拭き、PCに手を置こうとして辞めた。ふう、と長く息を吐く。
「五分だけ寝てから続けるか」
椅子から立ち上がり、ベッドに座る。
ボクの特技は短時間で深く効率の良い睡眠を取る事だ。
でも、それを過信しすぎて一度寝過ごしてしまった事があった。
それからはどうしてもという時だけ座りながら寝るようにしていた。姿勢が悪いまま寝た方が起きやすいからである。
そのまま眼を瞑る。脳内の中心は彼が占めていた。その周りで、あの彼が渦巻いている。
それでもどうにか、ボクは眠った。嫌な夢を見ないと良いなと思いながら。
◆◆◆
「んぅ……五分、経ったか」
うとうとと、浮き上がり始めた意識。睡眠という名の海へと沈み込もうとするも、ボクは意識を無理矢理釣り上げた。
そう。釣り上げたはずだったのに。
「……あ」
隣から声が聞こえて。そちらを見る。
どうやらボクは起きる事に失敗したらしい。だって、そこには――
目をゆらゆらと、慌てたようにさまよわせているイズの姿があったから。
ふむ。ボクは夢をみているようだ。
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