第17話 魔女との学校生活

 英語の授業。ペアを作り、先生の前で英文を暗唱する事となっていた。

 席が近い者同士でとなって、当然のように美空がこちらを向いてきた訳である。


 元々席をくっつけていたせいか、膝がくっついてしまう。さすがに向き合うには狭すぎた。一歩離れた場所に椅子を移動させる。


 美空は一瞬だけ教科書を見て覚え。俺は教科書を見つつ一度通した。


「ふむ。発音も完璧だね。読み書きもここまで出来るようになってたのかい?」

「まあな。美空、外国だと英語で学会に出るだろ。その為に……なんでもない」


 早速失言をかましてしまった。今の言い方は非常に良くない。

 ほら、前の席の女子生徒が聞き耳を立ててぴくぴくしてる。


「ほう? キミは外国にまで着いてきてたのか」

「い、一回だけだ」


 これは本当の事である。学会へと向かう際のお金は当然だがこっち……正確には両親が出してくれている。

 幸いにも家は裕福な方であり、一度だけ海外渡航も許してくれたのだ。将来お金は返す予定だが。


「言ってくれれば良かったのに」

「バレたくなかったからな」


 じっと追求してくるように付けられる赤い瞳。それから逃げるように視線を落とす。教科書を読みつつ考えた。


 海外まで見に行ったのは一度だけ。それは本当だ。

 ……海外で行われた学会や講演会は美空のお母さん達から映像で見ていた、という事は話さない方が良いだろう。


「ふーん? まあいいけどね。ふふ」

「なに笑ってるんだよ」

「なんでもないよ。さ、もう一回やろっか」


 授業中という事もあり、その言葉には強く返す事は出来ない。


 大人しくやっている間にも、周りからの声が聞こえてしまう。なんでこういう時だけ俺の耳はちゃんと働いてくれるのだろうか。


「くそ……なんだよあの笑顔。めちゃくちゃ可愛いじゃねえか」

「俺今日告ってこようかな」

「やめとけよ。あの演劇部の超絶イケメンストーカーも断られてたらしいぞ。性格最悪だから当たり前だろうけど」

「あ、それ俺も聞いたわ。自己アピールさせられてそっこーフラレたんだっけ」



 なんか凄い会話が聞こえてきたな。ストーカーも居るのか。あと告白で自己アピールって凄まじい事をしているな。


 聞き耳を立てていたのがバレたのだろう。美空はため息を吐いた。


「それなりに仲が良いのなら話は別だよ。でも、ボクからしてみれば初対面だからね。仲良くする努力すら怠って交際から始めようというのは少々傲慢じゃないかい?」

「まぁ……でもお前、仲良くしようと言われてする気はあるのか?」

「ないね。今はそれどころじゃないし」

「だろうな。ちょっとだけ相手に同情するかもしれない。ストーカーは論外だが」


 と、そんなやり取りをしている間にも周りの声が耳に入ってきた。


「条件満たしてるの神尾しかいねえじゃねえか」

「くそっ。めちゃくちゃアピールされてんな羨ましい」


 多分そういうのではないと思う。そうであって欲しいなとかは思うが。



 それは置いておいて、恐らくそのストーカー以外にも似たような事はしているのだろう。

 しかし、それも当然かという気持ちの方が強い。


 実際、彼女は【因幡の白兎】と仲良くなろうと努力? しているんだし。


「ちなみにストーカーについては大丈夫なのか?」

「大丈夫だと思うよ。最近はあんまり見ないからね」


 果たしてそれは大丈夫と言えるのか。いや、まあ大丈夫か。美空の事だし。

 行き帰りは車で、その上SPっぽい人が時々警護している。大事にはならないだろう。多分。


「なんかあったら言ってくれよ。力にはなるからな」

「ありがとう、イズ」


 まっすぐとお礼を言われて、少しだけ恥ずかしくなってしまう。彼女から教科書へと視線を落とした。


「それじゃあ続きやるか」

「ふうん? イズ、耳赤いけど」

「か、蚊にでも食われたんじゃないか。痒いし」

「おや、そうかい? 最近雨が降ってるからね。増えてくる時期だ」


 美空に言われて耳を隠す。手のひらより熱い。手をひっくり返し、手の甲で冷やしていく。


 分かっているのかいないのか、美空は俺を見て楽しそうにクスクス笑っていたのだった。


 ◆◆◆


「さ、イズ。ご飯食べよ」

「凄く自然な流れで誘ってきたな」

「折角だからね。ここに来て一人で食べるのも味気ないだろう?」


 それはそうだが。渡辺と松林はどうしようかと二人の方を見る。


 二人は俺に向かって親指を立ててニヤリと笑っていた。なんか無性にイラッとしたので、後で校舎裏にでも呼び出そうと思う。


「それに。ボクと一緒に居た方がなにかと都合は良いんじゃないかい?」

「それは……そうだな」


 朝よりは落ち着いているものの、みんな話しかけたそうにうずうずとしているのが見て分かった。俺一人ならほぼ確実に話しかけられるだろう。それで美空を頼るのはどうかとも思うが。


「適材適所だよ。ボクは普段から面倒な輩と相対しているからね。キミにはキミにしか出来ない事がある」

「俺にしか、か」

「分からないならボクが話すけど。聞くかい?」

「いや。凄く目立ちそうだから大丈夫だ」

「ふふ、そうかい」


 美空の唇から笑みが零れた。彼女はいつものように頬杖を突き、俺を眺め始めた。


 普段教室に居る時とたたずまいは変わらない。

 ただ一つ、違う事と言えば――その頬が緩んでいるという事か。


 その赤い瞳には優しい光がともっている。自然と脈が速くなり、それを無視してリュックからお弁当を取り出した。


 話を切り替えようと脳内を探り、口を開く。


「一つ思ったんだが、美空も弁当なのか?」

「ああ、お母さんが作ってくれてるんだ。イズもかい?」

「ああ。俺も弁当なんだが、自分で作ってるんだ」

「本当かい?」


 疑っている、というよりは驚愕の目だ。そうなるのも無理はない。

 俺が料理を始めたのは美空と話さなくなってからだし。


「本当だ。お母さんの手伝いは元からしてたんだけどな。中二の頃から本格的に教わってるんだよ」

「凄いな。というか、仲が良いんだね。反抗期とかは来なかったのかい?」

「反抗期、なあ。やけに反発したくなる時期はあったが、言って後悔する事は言わないようにしてるんだよ」

「キミらしいね」

「そういう美空はどうなんだ?」


 美空が反抗期というのもあまり想像が出来なかった。


 母親も父親も変わり者ではあるが、娘の事を第一に考えている。

 無理に何かをやらせるという事もないはずだし、美空がやるべき事をサボるという事もイメージが出来ない。


 案の定、美空は首を振っていた。


「家族に不満もないからね。それ以上に面倒なのがあそこには山ほど居る、というのもあるかもしれないが」

「あー……なるほど」


 この前本人も言っていたが、美空はあの世界ではかなりの異端児であり、麒麟児である。


 それこそ数々の常識を塗り替え、魔女と言われるほどなのだ。

 彼女の何倍も長く生きている者からすれば、多少疎まれていてもおかしくない。


「ただ勘違いはしないでくれ。一部が目立ちすぎるだけで、マトモ……と呼ぶには不適切かもしれないが。ちゃんと評価してくれている人の方がずっと多いから」

「それなら良いんだけどな。何かあれば相談とか愚痴くらいは乗るぞ」


 美空の唇がうっすらと開き、笑みが零れた。同時に顔が綻ぶのが見える。


「いや、すまないね。そんな事を言えるのはキミくらいだよ。神子ですらそういう事は言わないし」

「どうしてだ?」

「気にするだけ無駄だからね。ノイズとなるものは脳から排除する。ボクも神子も、お父さん達だってそうしている」


 だけど、と続くその声は。とても、とても楽しそうに弾んでいた。


「キミは、ちゃんとボクの事を歳相応に見てくれる。一人の女の子として見てくれる。嬉しいよ」

「そ、そうか」


『一人の女の子として』という言葉に体が意識をし始める。鼓膜の奥から響くその音に気を取られて――


 俺は油断していた。



「……ああ。そういえば。例の彼も手紙で似たような事を書いていたっけ。辛かったら誰かに相談してって。一人で抱え込まないようにってね」



 内臓が全てひっくりかえりそうなほど強い衝撃に襲われた。


 確かに書いた覚えがある。彼女が落ち込んでいると聞いたから。

 美空はこういうのは抱え込むタイプだったから。

 まさか自分になんて言えないしで、せめて家族か友人に相談してと書いたんだった。



 一瞬だけ視線を外し、拳を強く握った。一瞬。彼女の瞬きに合わせての事。


 バレたかという思いが脳を駆け回り、どうにか平静を装う。


「でも、キミがそう言ってくれて嬉しいよ。ボクは」

「そ、そうか。うん。ま、美空は美空だからな」


 声が震えていないか心配で仕方がない。実は全て分かっているんじゃないかとすら思ってしまう。


 それからどうにか意識を切り替え、俺達はご飯を食べ始めたのだった。

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