第16話 魔女と忘れ物
「お、おはよう、イズ」
「……おはよう」
今朝までは美空にどう会話をすれば良いのかとか緊張していたが。学校に来るとそれどころじゃなかった。
「おや? 朝なのにかなり疲れているようだね」
「色々あってな」
ほんのりと頬を赤く染めている美空。彼女の隣にある机へとリュックを下ろし、座り込む。そのままリュックを枕にして頭を乗せた。
「もう質問三昧だよ。学校の近くに来た瞬間からな。知らん生徒とか先輩に絡まれて大変だった」
「それは……お疲れ様。お茶飲むかい?」
「一口貰いたい」
「ん、ほら」
美空がペットボトルの緑茶を机の上に置いてくれた。ありがたく一口飲む。
「お、おい、見たか?」
「なんか普通に間接キスしてるぜ……」
「やっぱり幼馴染なのね!」
その言葉に頬が引き攣ってしまった。
言い訳をすると、俺と美空は昔から緑茶が好きなのである。どちらかが持ってきた緑茶を飲むなど日常茶飯事であった。
しかし、よくよく考えれば間接キスなのである。周りが騒ぐのも当然だ。
同時に意識をしてしまって、つい肌に熱が溜まっていくのを感じた。
「わ、悪い」
「い、いいよ。飲むか聞いたのはボクだし。昔からの癖でつい」
「きゃー! ねえ聞いた!?」
「いつもあんな事してるんだ!」
余計な火種が生まれてしまった。これは早いところ話を切りかえた方が良いだろう。
美空も同じ考えをしていたらしい。
こほん、と彼女は一つ咳払いをして。その目が再度俺を捉えた。
「しかし、この様子だと本当に大変だったようだね。よく遅刻せず間に合ったものだ」
「ああ。渡辺と松林が助けてくれたんだよ」
「二人が? いや、失礼した。意外という訳ではない」
「気にしなくて良いぞ。俺も驚いたからな」
二人には今まで黙っていた事だ。糾弾されると思っていたし、めちゃくちゃ問い詰められると思っていた。
しかし、実際そんな事はなかった。
『けっ! 結局ぼっちは俺一人かよ! ……俺も彼女さがさねぇとなぁ』
『なんとなく話したくなかった気持ちは分かるぜ。こうなるって予想出来たもんなぁ』
渡辺も松林も……渡辺は多少恨み節を言ってきたが、想像よりずっと優しかった。
「いい友達、持ったんだね。お互い」
「となるとそっちは希咲か?」
「うん。ちょっと面倒なのに絡まれそうだったけど、助けてくれたよ」
彼女と同じ学者でありながら、こちらも同じ高校に通っている。俺は話した事がないが、仲良くしているとメディアが報じていた。
「うん。神子しか友達は居ないからね」
「……その割には学校では話したりしないよな」
「会ったらつい話が難しくなってしまうからね。学校に居る時くらいは学生らしくあろうって話したんだよ」
美空の言葉になるほどと頷く。彼女ともなればそういう話が楽しくもあるのだろうが。職業病みたいなものか。
「お互い、友人は少ないながらも恵まれたって感じなんだな」
「そうだね」
そこで言葉を切り、改めて辺りを見渡した。
「……にしても想像以上だったね。ごめん」
「だから、美空が謝る事じゃないだろ。あと何日かすれば収まると思うし。それまでの辛抱だろ」
「ん、ありがと」
美空の言葉を耳に入れながら、俺は教科書を仕舞い始めたのだった。
◆◆◆
「さて、イズ。頼みがある」
「急にどうした」
朝の
しかし、そこはかとなく嫌な予感がした。俺の嫌な予感は割と当たるのである。
「教科書を忘れてしまってね。見せて欲しいんだ」
「別に良いが。何の教科だ?」
「全部」
「全部!? 逆にカバンに何入れてきたんだよ!」
「つい癖で論文セットをね」
美空がカバンを開いて中身を見せてきた。ファイルに閉じられた紙の論文がぎっしり入っている。
「つか論文セットってなんだよ」
「参考文献とかグラフデータとか。その他諸々だよ。紙の方が都合が良くてね」
「絶妙にありえそうなラインを攻めてきたな……」
学校に行くよりも、とは言わないが。彼女が学会に行く日はかなり多い。海外に行く時なんかは特に、連日で……という事もある。
少し考えたものの、そもそも答えは一つしかない。
「良いよ。見せるよ」
「ありがとう、イズ」
教科書の中身も彼女の頭の中に入っていそうだが、だからと言って見せない選択肢もない。
それから程なくして事件は起きた。否。起こされた。
◆◆◆
「なあ」
「なんだい?」
「近くないか?」
「でもこうしないと良く見えないよ。教科書だけならまだしも、なんせノートとか問題集とかも忘れたからね!」
「威張るな」
ふふん、と鼻を鳴らす美空。その距離はとんでもなく近い。
机をくっつけ、間に教科書を乗せる、それまではまだ良い。
現在は問題集を解く時間なのだが、美空が身を乗り出して見に来ているのだ。
「うんうん、全問正解だね。さすがイズ」
「その自信は見習いたいな。美空が言うって事は合ってるんだろうが」
「自信はあとからつくものだよ。そのうちイズもつくって」
美空も何度もトライアンドエラーを繰り返してその自信を身につけたのだろう。いつか俺もつけば良いんだが。
そこでふと、美空が更に身を乗り出してきた。ふわりとお菓子のように甘い匂いが香ってくる。
それと同時の事である。
――左腕にふにゅんと、マシュマロのように柔らかいものが当たった。
「ちょっと次の問題も見て良いかい?」
「か、構わないが。近いぞ」
「すぐに終わるから」
左腕に幸せな感触が訪れるのと同時に、座る位置が反対でなくて良かったと安堵する。
右利きという事もあって……この距離だと文字を書こうと腕を動かす度に当たっただろう。何がとは言わないが。本当に恐ろしい。
恐ろしいと言えば、この集まってくる視線もかなり恐ろしい。
「羨ましい……」
「教室でいちゃいちゃしやがって……神尾許さん」
「あんにゃろう。見せつけやがって」
この怨嗟の込められた視線。地味に辛い。
「ほらそこ、うるさいぞー。授業中は静かに」
「ああ、すみません。先生」
そこで先生に注意され美空が謝った。他の生徒達からの恨み節も同時に消えた。
ホッとしつつも隣に目をやる。その赤い瞳と目が合った。
『なんだい?』
その薄い桃色をした唇が小さく開き、音の出ない言葉が紡がれる。
なんでもない、という意識を込めて首を小さく振った。美空は一瞬きょとんとしたものの、問題集へと視線が落とされた。
「じゃあこの問題。神尾、出来るか?」
「あ、はい!」
先程美空が注意されたせいか、俺が呼ばれた。美空だと簡単に解いてしまうと分かっているからだろう。
……まあ、俺も解けると分かっているだろうが。
黒板に書かれた問題を解いて席に戻る。
「はい、正解だ。ちゃんと理解はしてるみたいだが、周りの邪魔はしないようにな」
「気をつけます」
そう言いながらも気をつけろと美空に視線を向けるも……本当に分かっているのか満足そうに彼女は頷いていた。
「それと。次は問題集を解くフリすらしなかった生徒達に当てるからな」
先生の言葉に、先程強い視線を向けていた生徒達がうぇっと変な声を漏らした。
それからは美空も落ち着き、視線も減って。無事に授業は進んで行ったのだった。
それにホッとしつつも――これが今日一日続くんだよなと考え直す。
ちょっとだけ嬉しいという気持ちに蓋をし、小さくため息を吐いたのだった。
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