第15話 魔女の本音と思わぬ反撃

「どういうつもりだ?」


 放課後。学校中から生徒が押しかけてきて、俺は逃げ回る事となった。

 どうにか目を盗んで生物室に近寄ると、美空に連れ込まれたのである。



「キミと学校でも仲良くしたい。理由はそれだけだよ」

「そ、それだけって……」


 美空は俺と視線を合わせる為に机に腰掛け、脚を組んでいた。座るところにハンカチを敷いているのが彼女らしいが。


 そのスカートから真っ白な脚が伸び、その奥には――俺は視線を別の場所へと向けた。


 危ない……色々と見えてしまう所だった。


「では、キミと仲良くする事に理由を付けろと?」

「今まではお互い無視してただろ」

「ふむ。ボクからは何度か話しかけようとしたんだけどね。キミがいつも逃げてて無理だったけどさ」

「ぐっ……」


 た、確かに言われてみればそうである。

 だけどなぜ……なぜ今。


「ほ、放課後、一緒に居たから良いのかと思ってたんだが」

「ボクも最初はそう思ってたよ」


 苦し紛れの言葉には、意外な事に同意の言葉が返ってきた。


「人間って意外と欲深い生物なんだよ、イズ。だからボクは悪くない。悪いのは人間という種だ」

「急に話と言い訳の規模がでかくなったな」


 しかし本気で言っている訳ではないのか、美空はクスリと笑った。


「嫌だったんだ。学校でキミと他人のフリをするのは」


 表情に反してその言葉からは、酷く色が抜け落ちていた。


「ボクもね。結構しんどかったんだよ。キミと話したくても話せないから。神子は別のクラスだし」

「……悪い」

「ううん、キミは別に悪くないよ。こんな事態になるってボクも分かってたからね。少々荒業あらわざになってしまったのは申し訳ないと思うよ。ごめんね」

「いや、それこそ美空が悪い事はないだろ」


 美空の言葉を耳に入れながらも俯く。


 美空はこう言ってくれるものの、圧倒的に俺が悪い。

 今まで、俺のわがままで彼女の事を遠ざけてしまっていたのだから。


「……あーもう!」

「い、イズ!?」


 強く。強く、自分の頬を叩いた。パァン! と想像以上に良い音が響く。


「非は俺にある。美空は優しいからそうやって言ってくれるが」

「ほ、ほんとに気にしなくて良いよ」


 少しだけ自分の事が許せなかった。


 けど、それを引きずりたくもなかったから。切り替える意味を込めてやったのである。


「学校でもまた昔みたいにしよう」

「……! 良いのかい!?」

「どっちにせよ受け入れるしかないからな。……でもいつか、誰かにバレるくらいなら。今日で周りに知らせた方が俺も良かったと思う」

「ありがとう!」


 ぴょんと美空が机から飛び降り、笑った。


 向日葵が咲いたように明るい笑み。


 その笑顔を見て、俺は全身を硬直させてしまった。



 美空は可愛い。それは俺も分かっていた。

 アイドルやモデル、女優にも負けないくらい可愛く、その道からは何度もスカウトが来ている。



 だけど。この笑顔は――少し、反則だと思う。



 気がつけば心臓が早鐘を打ち始め、全身の熱が一箇所に集められている。頭が沸騰でもしたかのように、一気に熱くなった。


 とん、とんと。弾むような足取りで美空は近づいてくる。

 しかし、その笑顔や足取りとは裏腹に。彼女は少しだけ怒った雰囲気を見せていた。


「でも、それは少し関心しないな」

「ちょ、まっ」

「待たないよ」


 美空が近づいてくる、俺は慌てて顔を背けようとした――が、それが叶う事はなかった。


「あーあ、もう。叩いた所が赤くなってるよ」


 美空に頬をがっしりと捕まれたから。


 その赤い瞳が俺をしっかりと捉える。その優しげな笑みから逃げる事は出来ない。


「熱も持ってる。相当強く叩いたね、イズ。……ほんと、ばかなんだから」


 美空がそこで、やっと手を離してくれた。それも束の間の事だった。



「ボク、手が冷たいんだよ。冷え性とまではいかないけど。覚えているかい?」


 手がひっくり返され、手の甲を頬に押しつけられた。少しだけひんやりとしていて、心地よかった。


「昔さ。ボクが手が冷たくて悩んでいた時。言ってくれたよね。『手が冷たい人は、心が暖かいんだ』って」

「そ、そんな事もあったな」

「嬉しかったんだよ。ボクの知らない事だったから。迷信に過ぎない、と言えばそれまでだけど」



 これは――まずい。



「あの時のボクは、すっごく嬉しかった。帰ってすぐお母さんとお父さんに言っちゃうくらいにはね」

「べ、別に。そんなたいした事じゃない」



 これ以上は本当に、良くない。

 色々なものが膨れ上がってしまう。


 彼女の言葉に割り込むように、真っ白な頭に浮かび上がってきた事をそのまま口にする。


「あ、あれは昔……お父さんがお母さんに言ったって聞いたから。お母さんが冷え性でな」

「――」

「だ、だから、ついその時の事を思い出して言ったんだ……美空?」



 美空が元々大きかった目を更に大きく見開いて、ばっと手を離した。



「どうしたんだ?」

「……な、なんでもないけど」


 完全になんでもある言い方である。しかし、聞くのは藪蛇やぶへびなのかもしれない。


 それに、あのままだと彼女の顔が近くて大変な事になっていたから。結果的にこれで良かった……のか?


「な、なんでもないよ! 本当だよ!」

「分かった分かった」


 美空が背を向け、恐らく頬に手を当てている。本当にどうしたのだろうか。それほどまでに言わない方が良かった事――


 ――あれ? 俺、さっきなんて言った?


 確か、あの言葉は昔お父さんから聞いたものだと……あ。



 その時やっと俺は気づいた。が、それと同時に美空が強く声を上げた。


「とりあえず! 明日からはいつも通りって事で良いよね!」


 その言葉を聞いて、俺は意識を無理やり変えた。今は、今は考えるな。考えたら色々とダメになってしまう。


「あ、ああ。となると、ここに集まるのも終わりか?」

「それはまだ続けて貰うよ。まだまだ一緒に話した――こほん。相談したい事はあるからね」

「そうか。分かった」


 確かに教室で相談する事でもない。冷静を装って、俺は頷いた。


「それじゃ、ボクはこの辺で。今日はちょっと忙しくてね」

「ああ。じゃあ、明日からはいつも通りだな」

「ん。よろしくね」


 なんかやけに淡白な返しであったが……いや、それも当然だろう。


 そのまま生物室から出る美空を見送り、俺は机にもたれかかるのだった。


 同時に。先程の自分の言った事を思い出す。


 あの言い方だと、まるで――


 ◆◇◆


 頭の中から離れてくれない。


 帰ってる途中も。帰ってからもずっと、離れてくれない。


 論文を書いていても、ご飯を食べている時も。忘れられなかった。



 明日から彼とまた仲良く過ごせる。それはとても、とても嬉しくて楽しい事だ。



 その事で頭がいっぱいになるのなら、まだ良かった。



『あ、あれは昔……お父さんがお母さんに言ったって聞いたから。お母さんが冷え性でな』

『だ、だから、ついその時の事を思い出して言ったんだ……美空?』


 昔、『手が冷たい人は、心が暖かいんだ』と言われた時。凄く、凄く嬉しかった。


 嬉しくてつい、帰ってからお父さんとお母さんに言って。一緒に喜んで貰ったくらいだ。


 ただ、嬉しかっただけの記憶。そのはずなのに。



 あんな事を言われては――



「お父さんがお母さんに言ってた口説き文句を、改めてボクに言ったようなものなんだぞ」



 つい言葉にしてしまって。ベッドの傍に置いていたくまのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめてしまう。

 小学生の頃、彼にゲームセンターで取ってもらった大切なぬいぐるみだ。



「ばーか。イズのばーか」


 こんな事言われたら、意識しちゃうじゃないか。


 今よりももっと、ずっと。



「好きになっちゃうじゃないか」



 ぬいぐるみをイズに見立てて、ボクは強く抱きしめたのだった。

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