第14話 魔女はもう一歩先に進みたい

「本日は席替えを行います」

「おおおおおお! やったぜ先生!」

「やったああああ! これで前の席から解放される!」

「えー! 今の席が良かったー!」

「仲良い子で固まってたのにー!」


 先生の言葉に教室中から喜びと悲しみに満ち溢れた声が広がった。


「ちぇー。折角連続で三人固まってたのになー」

「それなー」

「次も近ければ良いんだけどな」


 対して俺達。俺と渡辺、松林も席が近かった。近くないと絶対に嫌だ、とまでは言わないが。顔見知りが近くに居ると何かと気が楽なのは確かである。


 そこでふと、視線が『彼女』の方に向いてしまった。一体どんな反応をするのか気になったから。席は特にどこでも良いのだろうか。



 席の端。窓際の前の方に彼女は居る。

 こちらからだとほとんど表情は見えないだろうが、と思いながらもそちらを見ると――



 その赤い瞳と目が合った。

 彼女は小さく首を動かし、こちらを見ていたのだ。



 俺と目が合って。彼女の唇がにぃ、と吊り上がった。



 めちゃくちゃ嫌な予感がした。あれは何かを企んでいる笑みだ。


 昔。あんな顔をしていた次の日、朝起きたらベッドに彼女が潜り込んでいた事があった。


 驚いたものの、夢だと思い込んでそのまま二度寝を決め込んだんだったか。二度寝から起きると抱き枕にされていて更に驚いたな。


 この歳になってそこまでする事はないはずだが。


 ……何を企んでいるのかサッパリ分からないな。


「えー、それでは席順にこの箱から取ってください」


 先生が四角い箱を取り出し、そう告げた。席替えはくじ引き式なのである。


 取っていく生徒達が一喜一憂するくらいで、特に何事もなく皆が取っていく。それも当たり前か。何かがある訳ないもんな。


 そして、美空の番が来て――それなりに場が静まった。祈り出す者さえ居た。


 なんせ、美空は顔もスタイルもとんでもない。隣とは言わずとも、近くに居てくれたらとても眼福なのである。


 そしてその結果は――


「【40】か。一番端っこだね」

「はい、40ね」


 それと同時に皆が落胆の声を漏らした。それもそうだろう。


 一番前ならば授業中に盗み見る事も出来たかもしれない。しかし、一番後ろ。しかも窓際の端の方だとそう上手くはいかない。


「任せとけ。一番後ろの良い席かっさらってやるよ」

「おー、がんば」

「興味うすっ!」

「俺も行くわ」


 渡辺と松林は先に向かっていた。行こうか迷ったものの、そこそこに行列となっていたので俺は辞めたのだ。


 本でも読んで時間を潰そうかなと思った時。


 美空が俺とすれ違った。



「箱の隅。天井」

「……え」



 小さく、二つの言葉だけが呟かれた。振り返ると、美空はそのまま教室の外に出て行った。先生が咎めない辺り、御手洗とかだろう。


 しかし、今の言葉はなんだ?

 箱の隅? 天井?


 一つの選択肢が浮かんだ。

 しかし即座にそれを否定する。


 まさか。彼女がそんな事をするはずない。……というか出来ないだろう、そんな細工も。


「おーい! 神尾の番だぞ!」

「あ、ああ! 今行く!」


 渡辺に呼ばれ、思考の渦から解き放たれた。


 そのまま俺は教壇の前まで行って、箱に手を入れた。


 まさか、と思いながらも手を上へと持っていくと――



 あった。



 箱の隅。八時の方向。上の角に挟み込むようにして、一枚の紙が隠されるように置かれていた。


 貼り付けられているのかと思ったが、そうではないようだ。手ですっと取る事が出来た。


「お、何番だ? ちなみに俺はド真ん中の方だからな!」

「俺は廊下側の一番前だ……一緒に地獄に落ちようぜ」

「……【35】」

「……お? おお!?」


 番号を伝えた瞬間、教室がザワついた。それもそうだろう。


 その席は、美空月夜の隣の席だったのだから。


「まーたすげえ豪運だなぁ!」

「いや……」


 運などではない。これは絶対に彼女が仕組んだ事だ。どうやったのかは分からないが。


「ほら、嬉しいのは分かるけどお前ら席戻れ。後つかえてるぞ」

「あ、すんません」


 先生に言われて俺達は席に戻る。それから少しして、皆がくじを引き終わった。

 美空も戻ってきているが、こちらを見ようとしない。


「んじゃまたな。って言ってもクラスが変わる訳でもないしな」

「そ、そうだな」

「にしても俺だけ一番前かぁ。やだなぁ」

「彼女が居るからだろ」

「彼女持ちへの当たりきつくね?」


 やばい。落ち着け、俺。こんな事もあるかもしれないと予想はしてただろ。


「それじゃ。神尾、美空ちゃんと仲良くなれよ?」

「おお、お前も彼女持ちになって渡辺をぼっちにさせようぜ」

「お、お前らな……」


 心が揺さぶられている間に席を移動する時間となってしまう。

 いつまでもここに居る訳にもいかないので、大人しく移動を始めた。


 ◆◆◆



「やあ」



 凛とした声が教室に響く。


 すでに彼女は準備を終え、こちらを見ていた。


 まさか声を掛けられるとは思っていなくて、固まってしまう。


 彼女の声はよく通る声だ。

 小さくともよく響く。生徒の声でザワつく教室の中ですら、聞き漏らす事はないだろう。



「よろしくね、イズ」



 彼女の言葉に。教室全体の時が止まった。頭痛を起こしてしまいそうな空気である。


「……」

「おや、どうしたんだい? 冷や汗が凄いけど」


 普段、彼女は教室ではとてもけだるそうにしている。

 話しかけないでオーラが凄まじく、彼女から誰かに声を掛ける事もまれ。気分で返事を返す事はあるが、非常に淡泊だ。


 そんな彼女は心配そうに……しかし、その唇の端に小さな笑みを作りながら俺に話しかけていた。


 教室では決して見せた事のない表情だ。あの先生ですらぽかんとしている。


「……し、知り合い、なの?」


 それが誰の声だったのかは分からない。

 ただ、女子生徒のものだったという事だけは分かった。


「知り合い、ね」


 その赤い瞳がイタズラっぽく輝く。頭の中が真っ白になって、何も考えられない。



「彼。イズとは幼馴染だよ。ちょっと疎遠だったけどね」



 美空がそう言うのと同時に、教室が一気にざわめき始めたのだった。



 それからはもうてんやわんやである。

 めちゃくちゃ質問攻めにされた。


 美空よりは俺の方が話しかけやすいと踏んだのか、一気に生徒が詰め寄ってくる。

 それはもう過去に類を見ないくらいのやかましさ。先生がすぐに止めに掛かった。


 対して美空はと言えば――どこか楽しそうに俺の事を見ていて。時折質問に来た女子生徒に答えを返していた。


 その日から。彼女の宝石のように赤い瞳は更に輝きを増したのだった。

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