第12話 魔女の支え

「やあ、今日も来てくれたね」

「ああ。約束だからな」


 月曜日。生物室に行くと、先週と同じように美空が待っていた。


「さあ、座って座って」

「もう自分の部屋かのように振る舞ってるな。学校だし教室だぞ」

「外から見えない分、どう振舞おうとキミ以外には見られないからね。キミも楽にした方が良いよ」


 ……言いたい事はなんとなく分かるが。


 その言葉に言い返す事もなく対面に座る。おや、と彼女が声を漏らした。


「キミの機嫌を読み取るのは難しいな。ではボクもそこに」


 ひょっとして、俺が気分で座る席を決めていると思われているのだろうか。


 美空がすぐ隣に座り直すのを見ながらそんな事を考えた。


「では早速今日の議題について話そう」

「【因幡の白兎】についてだよな?」

「ああ。しかし、よく考えてみれば、ボクに比べるとキミは彼について知らないと思う」

「そ、そうだな」


 いかん。動揺してしまいそうになった。知らないどころか本人だぞ。


 でも、一度決めた以上口を挟む事は出来ない。というかここまで来たら言うに言えない。


 どうしよう、という気持ちは封じ込め。俺は話の続きを促した。


「という事で、今日は彼の事について知ってもらおうと思ってね。いくつか手紙を持ってきたんだ」

「ほ、本気か!?」

「ん? ほら」


 美空が一つのファイルを取り出し広げた。頬がひくついてしまう。


 え、まじ? あるの? いや、そりゃあるんだろうが。


「まずはこれだね。一番最初のファンレターだ」

「……見るのか?」

「え? うん。じゃないと分からないでしょ?」

「それは、そうなんだが」


 いやきっつい。きつくないか。


 言われて嫌な事とかは当然書いてない。


 だが、これは基本的に学会が終わってすぐに書いたものである。


 つまり。アイドルのコンサート後、熱が冷めないうちに書き記したものと似たような感じだ。


 言い換えると、深夜テンションでラブレターを書いて好きな子に渡したみたいなものなのだ。



 しかも数年前。中学生まっただなかのもの。


 正直に言おう。


 拷問か?


 いや、でも気にならないかと聞かれると……かなり気になる。

 何度も手紙を送ったものの、その反応は美空のお母さん達からしか聞いていなかったから。


「今でも時々読み返すんだよ。彼の文章はとても読みやすいんだ」

「へえ」


 今でも読み返していてくれるのか。ちょっとむずがゆいけど嬉しいな。


「なんと言えば良いのかな。別に詩的な文章ではないが、淡泊な文章でもない」


 彼女がその手紙を俺にも見えるように差し出して来た。書かれている事は何も難しくない。



 あれだけの大人に囲まれながら毅然と振る舞う姿がかっこよかった。



 要約すると、そんな文章。


 ただ、この字は当時の俺らしくない字である。


 あの頃、俺は字を乱雑に書いていた。

 勉強は人に見せるものではなく自分でするものだと思っていたから、字が汚くなりがちだったのだ。


 この手紙は綺麗……とは言えないものの、丁寧に書かれている。


「この字がね。ボクは好きなんだ」

「そ、そうか」

「少し恥ずかしいんだけどね。この字を見てボクはちょっと泣いちゃったんだ」

「そこまで? どうしてだ?」


 字を見て泣くのはさすがに予想外であった、


 そう聞き返すと、美空は目を細めて天井を見上げた。


「ボクはね。あの頃から字を打つ事が好きだった。論文なんて言っても、現代はPCが主流だ。ずっと無機質な画面を見続けて。文献もまた無機質な文字だ。多分、無意識のうちにボクは疲れてたんだと思う」


 その赤い宝石のような目が下を。手紙を見た。


 淡い光が灯った瞳は優しげにそれを見ていて。指が書かれている文字をなぞった。



「暖かかった。彼が書いた文字って、なんて人間らしいんだって思った」

「……!」


 その言葉に、目を見開いてしまう。美空は俺に気づく事なく続けた。


「多分、彼は字がそんなに得意じゃないんだと思う。ほら、この文字の曲線。少し震えてるだろう? 緊張している証拠だ。文字だって、よく見ると大きさがバラバラだ」


 その指が文字を指し示し。次に、美空が文章全体を見た。


「丁寧に書くと言っても限度はある。多少は妥協しても良いと思うよ。……それなのに、この手紙は一切妥協されていない。よく見てごらん」


 美空が紙を取り、俺の目の前に差し出した。



「消しゴムが使われた形跡、ないだろう?」

「……」


 俺は思わず言葉を失ってしまった。


 気づいて、たのか。


「消しゴムを使ったのなら、どこかしらに形跡が残るものだ。ボクは何度も読み返したし、だけど見つける事は出来なかった」


 その紙がまた置かれ。彼女は優しく微笑んでいた。


「下書きと清書を繰り返したんだよ。それで、渾身こんしんの出来のものを送ってくれたんだと思う。そんなの、嬉しくないはずがないだろう?」


 その目は優しく、暖かい。親が子を見るような視線であった。


「彼の気持ちが全部伝わったような気がしたんだ。また頑張りたいって思えたんだよ」


 ああ、そうか。


 バレてたんだな。全部。


 字が汚いから、何度も書き直して。

 気持ちを言語化するのが難しくて。辞書を開いたり、美空のお母さんに聞いたりして。


 それでも上手く書く事が出来なかった。字が汚なくなったり、書き直すために消そうとすると、紙自体が破れたりした。


 出来る事なら綺麗なものを渡したかったから、何度も何度も書き直した。結局その日は徹夜してしまった。


 別にそれに気づいて欲しかった訳ではない。……ないんだが。



 気づいてくれて、嬉しかった。

 凄く嬉しかった。


「これだけじゃない。ここにある手紙……もっと数は多いんだけどね、それが全部そうなんだよ。凄いだろう?」

「……ああ。凄いな」

「気持ちがこもっている。これほどこの言葉が似合う物はないよ」


 頬は薄く緩んでいて、どこか自慢げにしていた。



 ああ。本当に嬉しいな。


 もし、この手紙を出したのが俺では誰かだったとしたら。さぞ嫉妬した事だろう。


 良かった、俺で。

 手紙を書いていて良かった。


 ちゃんと彼女の支えとなっていたのだ。


 しかし。


「だから――いや。やっぱり辞めておくか」


 美空がそう言って、いきなりそのファイルを閉じてしまった。


 唐突の事に固まる。次に首を傾げた。


「どうした?」

「いや。あまり面白くない話かと思ってね」

「何をどうしてそう思ったんだ……」


 美空はファイルを置き、小さく息を吐いた。その姿は少しだけ不機嫌そうに見える。


 本当にどうしたのだろうか。


 少しだけ考えてみるも、彼女が何を考えてそうしたのか分からない。

 聞いても多分、教えてくれないような気がした。聞くなというオーラが出ていると言えば良いか。


 それでも別に良いのかもしれない。

 黒歴史とまでは言わないが、多分聞けばそれなりにダメージは受けると思う。


 だが、それでも。


「……聞きたかったんだけどな」


 あの時掛けた言葉は、本当に彼女に響いていたのか。心の支えとなっていたのか。


 俺は美空月夜みそらつくよの幼馴染である。


 だけど、俺は彼女について……特に、彼女が【学者】となってから、知らない事が多い。多すぎる。


 彼女の悩みも、痛みも。表層しか知らない。だから知りたかった。


「え?」

「美空が嫌だったら別に話さなくて良い。でも、出来れば――俺は聞きたい」

「き、キミは、嫌じゃないのかい?」

「ん?」


 嫌? 何が? と思いつつも、そこで俺はやっと察する事が出来た。



『ほう? それはボクが男の子と遊んでいたら妬いてくれると解釈しても?』

『……多少、思ってしまう所はあるだろうな』



 以前のデートでそんなやりとりをしてしまったから。気を使ってくれていたのだ。


 少しだけ考え、言葉を選んでから俺は呟いた。


「嫌かどうか、と聞かれると言葉に困るが。俺が気になるんだよ。美空が嫌ならいいんだが」

「ボクはいやじゃ、ないが」

「なら、教えて欲しい。【因幡の白兎】がどんな人物だったのか」


 美空月夜から見て、彼がどんな人物だったのか。


 美空は目を丸くした後。小さく笑って、またファイルを開いたのだった。

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