第10話 魔女の攻撃

 やっばい。なにがやっばいって、全部がやばい。


「あ、あの? 美空さん?」

「なんだい?」

「いや、なんだいじゃなくて。いつになったら離れてくれるんですか」

「あとちょっとだけ」


 すぐ後ろで、美空が背中に顔を埋めていたからである。


 え、やばいが。なんでそんな事するんですか。いや、多分恥ずかしがってるだけという事も分かってるんですけど。



 先程は彼女が勘違いしていた事もあって、少々熱くなってしまった。美空が恥ずかしくなっても無理はないが……いや。


 俺の方が恥ずかしい事になってるんだが。

 めちゃくちゃ見られてる。顔が見えなくても銀髪がめちゃくちゃ目立ってるからだ。


 そして。どちらかと言えばこちらの方が問題なのだが……当たっている。


 何がとは言わないが、女の子らしい部分が凄く背中に当たっている。


 五分ほどしてやっと、彼女は離れてくれた。


「さて、お昼を食べに行こうか」

「お、お前な……良いんだが。別に良いんだが」


 めちゃくちゃかき乱されてしまった。

 しかし、当たっていた事を言う訳にもいかないので一人悶えておく。


 美空がそんな俺を見て笑った。


「なんだよ」

「なんでもないよ」


 その笑顔は無邪気なもので、別に不快感を覚える事もなく。俺は彼女と歩いたのだった。


 ◆◆◆


「午後からも時間はあるのかい?」

「ああ。空けてるぞ」


 お昼。二人でハンバーガーを食べつつ話をする。結局ジャンクフードへと辿り着いたのだ。


 ただ、美空はここに来る事自体かなり久しぶりらしい。本当に美味しそうに食べていた。



「良かった。じゃあこれからどうしようかな。ちゃんと決めてなかったけど」

「今言うのも何だが、学会の方は大丈夫なのか?」


 確か、今月末にあると言っていた。論文やら研究は大丈夫なのだろうかと思うも、それは杞憂らしい。美空はふふんと自慢げに笑っていた。


「大丈夫。お父さんに丸投げしてきたから」

「それは大丈夫と言えるのか……」

「大丈夫だよ」


 美空があーんと口を開けてハンバーガーにかぶりつく。


 しっかし、口小さいな。あとソースが口の周りに付いている。


 んぐんぐと咀嚼し飲み込んでから、彼女が続けた。


「イズとデートに行くって言ったら『全部お父さんに任せなさい』って言われたから」

「待て待て待て待て。それめちゃくちゃ勘違いされてないか」

「そうかな?」

「はぁ……どう説明すれば良いんだよ」


 次会ったときになんて問い詰められるか気が気でない。怒られはしないだろうが。


 それと同時に、脳裏を疑問が掠めた。


「……かなり今更になるが、デートなんてして良かったのか。【因幡の白兎】さんにバレたらどうするんだ?」


 自分で自分のPN言うの、少し恥ずかしいな。美空が開きかけた口を閉じ、一瞬押し黙った。


「……考えてなかった」

「おい人類の歴史を一歩進めた女子高生」

「その肩書きはちょっとくすぐったいな。事実だけど」


【魔女】だなんだと言われているものの、彼女も人間である。一つや二つくらい抜けた事もあるだろう。


「でもまあ、大丈夫じゃないかな。うん、大丈夫だと思うよ。どこかキミと似てる節あるし。二人が会ってみたら気も合うんじゃないかな」


 それはそうだろう。俺だし。気は合うと思う。というか同一人物だし。



「……だからこそだと思うんだが」

「ほう? それはボクが男の子と遊んでいたら妬いてくれると解釈しても?」

「んぐ……」


 その言葉に喉を詰まらせそうになった。水を流し込んで落ち着く。


「お、お前な」

「ふふ、違ったかい?」

「……多少、思ってしまう所はあるだろうな」


 美空がきょとんと目を丸くした。


 俺自身、今の言い方はちょっとガチ感があったと思う。でもそれは事実であり……頬に熱が集まっていくのが自分で分かった。


「へ、へえ、そっか。……そうなんだ」


 彼女の顔を見る事が出来ず、俺は目を逸らしてまた水を飲んだ。内側から冷える事を願いつつも、しばらく熱は引いてくれなさそうである。


「……でも、それならさ。もし。もしの話だけど」


 視線を落とし、ハンバーガーを見つめる。でも、美空の言葉は耳に入ってきた。


「もし、彼がイズと遊ぶのを制限してきたら。ボクは嫌だって思うよ」


 呼吸を止めてしまった。その言葉の真意が分からず、冷や汗をかく。


「だけど、反対に。キミが嫌だって言うのなら、ボクは――」


 途中で言葉を切られた。

 美空は何かを考えているようだった。続く言葉を予想して、俺も口を開いた。


「俺は美空を縛り付けたくない。だから何も言わないぞ」

「……キミらしい答えだね」

「褒め言葉と受け取っておくぞ」

「褒め言葉だよ」


 そこでハンバーガーの包み紙が擦れる音がした。俺も一口食べ、ポテトをつまんだ。


「……はぁ。まだまだ掛かりそうだね」

「何の話だ?」

「いや、ボク個人の話さ。気にしないでくれ」


 キリッとした顔で言う美空だが、唇の端には茶色いソースが付いている。


「美空。ソース付いてるぞ」

「え!? いつから!?」

「さっきからだな」

「ど、どうして教えてくれなかったんだい。イズの意地悪」


 美空がポケットティッシュから一枚取って……じっとそれを見つめた。


「い、イズが拭いてくれ」

「美空?」

「キミの方がよく見えるだろう。それに、意地悪したお返しだよ」


 押しつけるようにティッシュを渡してきて、美空はむー、と目を瞑った。

 その仕草の一つ一つが可愛らしくて、言葉に詰まってしまった。



 もし、彼女が好きだと言った相手が【因幡の白兎】でなかったら、断っていただろう。相手に悪いから。そして、美空に本気で注意もした事だろう。


 そこまで考えてやっているのかと疑いたくすらなってしまう。


 そこで思考を止めて、美空の口の周りのソースを拭いた。


 ……少しだけ。その無防備な姿にデコピンをしたくなる衝動に駆られたが、どうにか抑える。


 その何倍も重い仕返しが来そうだ。それも、物理的にではなく精神的に来るやつが。


「ありがと、イズ」

「……どういたしまして」


 そしてまたあむっとハンバーガーを食べる美空。彼女を見つつ、こちらも平らげた。


「ふふ」

「どうした?」

「なんでもないよ。ただ楽しいなって。キミとご飯を食べるのは」


 細められた目からは宝石のように赤い瞳が覗いている。

 本当に楽しいようで、その頬も自然と緩んでいるようだった。


「またキミと一緒に居られて嬉しい」

「……前も言ったが。そういうの、あんまり言うなよ。勘違いさせるぞ」

「おや、キミは勘違いしてくれないのかい?」


 ふっと目を逸らし、ポテトをかじる。


「……しない」

「それは残念」


 どこまで本気で言っているのか分からない。

 いや、全部からかってるだけなのだろう。そうでないと――以前の妄想が現実味を帯びてしまう。


「本当に、その辺の男子なら勘違いさせるぞ」

「それなら安心してくれたまえ。キミ以外に言うつもりはないからね」


 またからかって、と思い彼女を見てみると。違った。


 その表情は楽しそう、とかではなく。単純に事実を伝えているように見えたから。


「……そうか」


 それは好きな人に言えと、美空に伝えなければいけないのに。



 手紙の送り主でもある俺は、何も言えなかったのだった。

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