第9話 魔女、堕ちる(すでに堕ちてる)

 お昼はどこで食べようかという話をイズとした。


 まだ少し時間が早く、その辺を歩きながら探そうという結論になった。


 だからボク達は今、ぶらぶらと歩きながら話をしていたのである。


「それでだね。見つけ出した理論が医学にも応用されて、この前臨床実験に成功したんだ。これからたくさんの人を救えるかもしれない」

「へえ! 凄いじゃないか。そういえばこの前、ニュースでもやってたもんな。本当に凄いよ」


 彼はとても聞き上手だ。


 昔のように……というのは難しいと正直思っていた。デートの時間も、気まずい時間が続くんじゃないかって不安だった。


 でも、話してみるとそんな事はなくて。昔のように話せて嬉しかった。


 そう、思っていたのだが――



 ふと気づいてしまった。


 イズからしてみれば、これはボクが延々と自慢話をしているようにしか見えないだろう。


「あ、あ。そう……だね」

「どうした。顔色悪いぞ」

「なんでもない」


 ボクは彼が知らない事を沢山っている。それは紛れもない事実だ。


 だけど、だからと言って。ボクの話が楽しい保証など一つも――否。不快にさせる要素しかないじゃないか。


 ただの自慢話を楽しく聞ける人間など少ない。しかも、ボクが話しているのは一高校生には難しすぎる話だ。


 彼が聞き上手なのをいい事に、ボクは退屈な話をし続けてしまった。



 同時に、それなら何を話せば良いのかと不安が胸中を満たしていった。



 ボクには普通の高校生がするような世間話は持っていない。

 女の子の間で何が流行しているのかも、好きなマンガやアニメの話も分からない。


「美空」

「……ごめん、ボクばっかり話して」


 ようやく喉から絞り出されたのは、謝罪の言葉だった。


 自分で自分を殴りつけたくなった。

 こんなの、過去の栄光について話し続けるあの人達と何も変わらないじゃないか。



 ボクは――世界を揺るがすような発見は出来たとしても、好きな人一人を楽しませる事も出来ない。



「バーカ」

「……そうだね。バカかもしれない」

「おい、ほんとにバカか。良いからこっち見ろ。顔上げろ」

「ふぎゅ」


 立ち止まって俯いていたら、彼の手が滑り込んできた。

 ボクよりずっと大きくて、ゴツゴツとした手。


 気がつけば。その黒曜石のように黒く、綺麗な瞳がじっと、ボクを射抜いていた。


「なんか勘違いしてるみたいだけどな。俺は美空の話聞いてるの、すっげえ楽しいぞ」

「……嘘をつかないでくれ。つまらない、話だろう。意味の分からない理論を捏ねくり回した自慢話など」

「あのなぁ……はぁ。分かった、白状する」


 その手が離れた。それでももう俯かないボクを見て、彼は耳を赤くしながら話し始めた。


「理解してるよ。お前が提唱した理論は」


 その言葉を理解するのに、ボクは刹那の時を要した。


「え?」

「言っただろ。お前のお母さんに学会に連れて行って貰ったって。一回だけじゃないんだよ。……その度に、美空のお母さんかお父さんに聞いてたんだ。俺がちゃんと理解するまで、二人は何度も美空がどれだけ凄い事をしたのか噛み砕いて説明してくれた」


 どうして。


 その言葉が頭の中を駆け巡った。


 ものにもよるが、一高校生の手に余る理論や研究がほとんどだ。


 お母さんとお父さんなら上手く説明出来るかもしれないが、それでも事前知識は膨大な量が必要となる。


「そりゃ大変だったよ。でも昔から身近に天才が居たからな。勉強のやり方だけは知ってたんだよ。ありがたい事に、教えてくれる人もいたしな」

「……ごめん。理解、出来ないよ」


 あの知識は大学。それも、専門のコースにでも行かない限り、使う機会が訪れないのがほとんどだ。

 いくら教えてくれる人が居ても、膨大な時間が必要となる。


 学業以外の時間のほとんどを費やして、やっと理解出来るかどうかというレベルだ。



「どうしてそこまで、しようと思ったんだ」


 彼が嘘をついているとは思えなかった。だから、ボクは浮き出た疑問をそのまま口にした。


「……簡単だ」


 彼は頬を紅潮させ、面映おもはゆそうに顔を背けた。


「幼馴染の活躍くらい、知っておきたかったんだ。どれぐらい凄いのか、とか」


 雷でも受けたような衝撃が走った。しかし、それは一度の事ではなかった。


「それに。お前に置いて行かれたくなかったからな」


 ぶわりと全身の毛穴が開き、鳥肌が立つ。


 少しでも気を抜けば、涙があふれそうになってしまった。



 ――置いて行かれたくなかった。



 それだけの言葉だったら、ボクは強いショックを受けていただろう。悪い意味で。


 しかし。彼の言葉は決して後ろ向きなものではなかった。


「ほら、IQが20離れたら会話が成立しなくなるって言うし。それに、だな」


 彼はその瞳をこちらに向けて。頬を緩めた。


「またいつか、こんな風に色々教えてくれるって思ってたからな。お前に色々教えて貰うの、好きなんだよ、俺」


 その言葉に、思わず。


「あははっ!」


 ボクは笑ってしまった。


 嬉しくて、嬉しくて仕方がなかった。


 どこの世界に居ると言うのだろう。


 幼馴染が話す事を理解するために、学者でも理解出来ぬ者が居る理論を学ぶなど。

 この言い方だと、中学生からなんだと思う。とても常人に出来る事ではない。


 数年、または数十年掛けて学ぶような事を。彼は学んだと言っているのだ。


 自分のために。

 そして、


「わ、笑うことないだろ」

「すまない。でも、違う。おかしくて笑ってるんじゃない。嬉しいんだ。凄く、凄く嬉しいんだよ。ボクは」


 嬉しさを感じると同時に、心の奥に封印していた呪物が一瞬だけ顔を覗かせてきた。


 今まで楽な事ばかりじゃなかった。辛い事の方が多かった。



『あの理論は私が何十年とかけて見つけ出した、言わば私が生きてきた証だぞ。それを、それをこの小娘が覆したと言うのか……? お前は、そうまでして私の人生を否定したかったのか?』


 学者他人理論人生を何度も否定してきた。



『【魔女】ってさ。やっぱり人の皮を被った化け物でしょ。私にはとてもじゃないが着いて行けないね。もう顔も見たくない』


 歳が近いからと仲良くしてくれた同胞友人は、一ヶ月と経たないうちにボクの事を嫌って離れていった。



『先生には恩があるけど……ごめんなさい。やっぱりあの子、気持ち悪すぎます。本当に同じ人間なんですか? ……もう、無理です。今日限りでこの仕事、辞めさせて貰います』


 大切な人を慕ってくれた、仲間とも呼ぶべき存在を何度も自らの手で潰してしまった。




 気がつけば、ボクはいつも孤立していた。孤立せざるを得なかった。


 幸か不幸か、ボクには一人でも生きていけるだけの頭脳があった。


 ……いや、それは訂正しよう。家族とたった二人の人物は、離れなかったか。


「ほんっっとうに。キミらしい言葉だ」

「よく分からんが、褒め言葉として受け取っておくぞ」

「れっきとした褒め言葉だよ。それも、手放しで賛辞したいと思える程にね」


 心が弾む、という言葉がこれ以上似合う場面をボクは知らない。


 全身を巡る血流の全てを知覚出来てしまいそうだった。


「ありがとう、イズ。凄く嬉しい。ボクを理解しようとしてくれて」

「お、おう……まあ、そういう訳だからな。美空の理論はある程度理解してるし、多少の知識もある。だから、美空の凄さはひしひしと感じてるよ」


 一瞬。また心に影が訪れそうになったものの。続く言葉にそれは霧散していった。


「だから、もっと教えてくれ。お前が本当に凄いんだって。美空が凄いって言われると、俺も嬉しくなるんだよ」

「本当にキミは……ううん、分かった。それじゃあ話そう」


 ここまで感情が昂ぶったのはいつぶりだろうか。



 どんどん満たされていく。


 新しい理論を思いついた時でも、研究が成功したときでも。世に認められた時でも満たされなかった乾きが。



 キミは、ボクの想像を超える存在だ。


 まさか、ボクの事を追いかけようとする人が現れるなんて思ってもみなかった。

 ……ああ、いや。神子が居たか。彼女もボクをライバル視してくれていて、ボクもライバル視している存在だ。


 だけどイズは、彼女とも違う存在だと言えるだろう。


「ねえ、イズ」

「な、なんだ?」


 彼の名前を呼んで、じっと顔を見つめてしまった。


 ああ、やっぱりそうだ。


「キミは変わらないね。でも、変わったとも言える」

「よく分からないな?」

「ふふ。いいよ、分からなくても」


 キミが分からなくても、ボクが分かっているから。


 それにしても――あれだな。うん。



 ボク、イズの事を知る度にどんどん惹かれていってる。


 今も心の内は冷静を取り繕っているものの、体は正直だ。すっごい顔熱いもんボク。


「……ねえ、イズ。こっち来て」

「ん?」


 イズの手を引いて自分の前に持っていく。

 そのままボクは、彼の背中に顔を埋めた。


「み、美空!?」

「……ありがと、イズ」


 自分が思っていた以上に、口から飛び出た声は小さかった。それでも多分聞こえていたと思う。


 よし、決めた。元々決まってはいたけど。覚悟という意味で。



「ボクも、キミと話す時間が一番好きだよ」



 イズが今、ボクの事をどう思ってるのかは分からない。


 好きだと思ってて欲しいけど、二年近く会っていない期間があったから。

 ……もし、好きだったとしても、『幼馴染』としての『好き』の可能性の方が高い。



 だから――


 イズには絶対。絶対にボクの事を『女の子』として好きになって貰う。



 その意味を込めて、ボクは力を込めず彼の背中に顔ごと頭突きをするのだった。

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