第5話 魔女も昔から変わらない

「やあ、来てくれたんだね」


 ガラガラと音を立てて生物室へと入ると、銀髪の少女が視界に飛び込んでくる。

 彼女はニコリと笑って、小さな手をひらひらと振ってきた。


 今日。金曜日は彼女の恋愛相談を受ける予定なのである。


「来なかったらいつまででも待つだろ」


 そう返すと、美空はきょとんとして。あの時の事を思い出したのか、また笑った。


 小さい頃、彼女と『明日遊ぼう』と約束した事があった。というか毎日約束していた訳だが。


 ある日、俺が熱を出して行けない時があったのだ。親に連絡して貰って、俺は安心して眠っていた。


 しかし。


『イズは来るもん! 約束したよ! 明日も一緒に遊ぶって!』


 美空はそう言って、玄関からてこでも動かなかったとの事である。


 次の日、一緒に学校に行こうと美空の家に向かうと『ほら! 来てくれた!』といきなり抱きつかれたのだ。廊下に布団が敷かれ、パジャマ姿の美空にである。


 それから俺は風邪を引かないよう、帰ってから五回は手洗いうがいをするようにした。三日後、親に止められて二回までになった。


 加えて、ちゃんと俺の口から電話で伝えるようにしたのである。



 その事を考えると、もし無視をしてしまえばこのまま居続けてしまうかも……なんて思ってしまうのだ。


「ははっ。さすがにないよ。待つとしても日が変わるまでだね」

「来てよかったと心の底から思った」

 

 冗談と信じたいが、前科があるので何とも言えない。まあまあ、と美空が俺をなだめてきた。


「とりあえず座りたまえ。文句はそれから聞くよ」


 ポンポンとすぐ隣の席を叩く美空。俺は迷う事なく机を挟んだ対面の椅子に座った。


「おや、今日はそこに座るのかい?」


 美空は立ち上がり、同じく迷う事なく隣に座る。凄く近い。


「近くないか?」

「近くないよ」

「いや近いだろ」

「ふむ。ではまず『近い』の定義付けとお互いの価値観の共有から始めようか」

「急に学者の顔になるな。勝てるはずないだろうが」


 そう返すと彼女がくすりと笑い、その吐息が腕をくすぐった。


 ゾワゾワと肌をくすぐる感触をどうにか……無視し、それが表情に出ないよう務めた。


「で、今日は何を話すんだ? 前の続きか?」

「そうだね。でも、一応一つ目的を決めておこうと思う。歪んだ線路ほど迂遠なものはないからね」


 それで言えば、前回はかなり歪んだ線路だった気もするが。話が一切進まなかった訳でもないか。


「ふむ? つまりは何について話すんだ?」

「ずばり、『初体験の精神回路メカニズム――なぜ人は初めての事に恐れをなすのか――』だよ」

「論文のタイトルか。要旨が分からん」

「一理あるね。では目次から説明を――」

「だから論文か」


 はぁ、とため息を吐く。

 美空も本気で言っていた訳ではないらしく、くすくすと笑っていた。


「じゃあ結論から先に教えてくれ」

「ではお望み通り、結論から述べるとしよう」


 そこで美空の表情が真面目なものへと戻る。そしてじっと、その宝石のように赤い瞳を俺へと向けた。


「イズ。ボクとデートをして欲しい」

「……はい?」


 一瞬言葉が頭を通り抜けてしまった。聞き間違いだろう、多分。


「なんて?」

「ふ、ふむ……キミは意地が悪いな。そういう趣味を持ってるのか?」

「いや、単に聞こえなかっただけだが」

「本当に意地悪だね、キミは」

「悪いな、耳が悪くて」


 むう、とほっぺたを膨らませて口を尖らせる美空。本当に顔が良すぎるんだよな。俺じゃなきゃ恋に落ちてたぞ。


 美空は頬を桃色に染め、小さく咳払いをした。


「ぼ、ボクと……で、デートして欲しいんだ」

「悪い、美空。悪いのは俺の頭だったみたいだ」


 ちょっと先程のでときめいてしまったからか、脳の認知言語能力的なやつがおかしくなっている。多分そのはずだ。


「いや本当にすまないな。ちょっと脳がおかしくなって、美空が『ボクとデートして欲しい』って言ってるように聞こえるんだ」

「だ、だから、そう言ってるけど?」

「へ?」


 ん? どういう事だ?


 いや、あれか? お互いの『デートとは』みたいな価値観が違うやつか? 『論文作成デート』みたいな感じか?


「デートってあれだよな? 男女が二人できゃっきゃうふふ出かける」

「き、きゃっきゃ……そ、そうだけど?」

「え、あの『どっちが似合う〜?』って言われて『どっちも似合うよ』ってするデート?」

「そ、そう言ってるけど?」

「帰り際にちゅーをしないといけないっていうあのデート?」

「そ、そうなのかい!?」

「いや最後のは冗談だけど」

「〜〜!」


 顔を歪めた真っ赤にして言葉にならない声を上げる美空。ぐぐっと俺の膝を強く掴んできた。全然痛くないのはご愛嬌である。

 それはそれとして、確かに今のは俺が悪かった。


「ごめんごめん、つい昔を思い出してな」


 そう言った瞬間、美空の動きがピタリと止まった。


「……昔?」

「ああ。よくあっただろ? 『ボク、何でも知ってるんだから!』って言ってた美空にひたすらゲームの知識を披露してくやつ」


 美空にマウントを取りたいが為に意地の悪い問題をよく出していたのだ。


 懐かしいな。今思えばめちゃくちゃ性格悪い事してるけど。


 彼女は昔から天才だなんだと言われて――今はそれ以上の扱いを受けてるが。


「俺にとっちゃ、昔も今も美空は美空なんだよな」


 ふと、そんな言葉がこぼれてしまった。


 つい遠くに置きがちな彼女の存在。いや、実際つい最近まで遠かったんだが。


 案外話してみると、昔のように話せるもので――とか、思っていた時。


「み、美空さん?」


 ふわりと、柔らかいものに体が包み込まれた。


「……ばか。イズのばか」


 胸に顔を擦り付けるように、彼女が抱きしめてきたのである。


 いきなりの事に脳みそがバグった。


 なんだ?

 なんなんだ?


「み、美空さん?」

「うるさい」

「そ、そんなに怒ってるのか? ごめん、謝るから許して」

「怒ってないから」


 バリバリ怒ってますね、はい。

 こういう時はあまり刺激しない方が良いと分かっている。でも彼女からの刺激がとんでもないのだが。


 しかし、その姿を見ていると――本当に昔を思い出してしまうな。


 思わず頭へ伸びかけていた右腕を左手で掴む。


 それは良くない。一応俺は、彼女から恋愛相談を受けている最中なのだ。


 ……恋愛相談を受けてるのに、なぜ俺は今美空に抱きつかれているんだ?


 そんな問いに対する答えは、どれだけ時間が経っても出てくる事はなかった。


 ◆◆◆


「さて、続きを話そう」

「切り替えの速さがとんでもないな。まだ顔赤いけど」

「う、うるさいよ! またやるよ! いいの!?」

「ごめんなさいお許しください」


 ふん、と小さく鼻を鳴らす美空。その姿すら可愛く見えるのは、彼女の容姿が良すぎるからである。


「じ、じゃあ話を戻そう」


 美空がパンと手を叩いて話を切った。


「先程ボクが言った事について話そうか」

「そういや全然聞いてなかったな」

「キミが全然聞いてくれなかったからね……」


 うむ。そこは俺が悪かった。


「何の理由もないのに、いきなり美空が俺をデートに誘う訳ないもんな」


 しかし、そう言ったら言ったで美空が少し唇を尖らせた。


「……そうとは限らないけどね」

「美空?」

「なんでもない」


 ぷいっと頬を背ける美空。



 その彼女の姿を見ながら、ふとありえない考えをしてしまった。



「……」


 いや、ない。さすがにない。ないだろう。


 ……本当か? 本当にありえないのか?


 別に俺は鈍感系主人公ではない。


 色々と深読みだってしてしまうし、どちらかと言えば深読みしすぎて色々失敗してしまう口だ。


「な、なんだい。なんでもないって言ってるだろう?」


 その赤い瞳を泳がせる。明らかな動揺だ。


 やはり、そうなのか? 考えすぎか?


 いや、普通こう考えるよな。願望もかなり混じってるのだが。



 もしかして、彼女は――




【因幡の白兎】が俺だと分かってて、遠回しに俺の事が好きだと伝えようとしている?

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