第4話 魔女の裏方
「……ばーか。イズのばーか。おっぱい星人」
何度もキーボードに手を置いても、マウスに手を置いても画面に変動は見られない。手を置いているだけなのだから当然だろう。
ただ資料をまとめれば良いだけなのに、彼の事で頭はいっぱいになっていた。
「あーもう、やめやめ! 効率が悪すぎる!」
自分自身にそう告げ、椅子からベッドへと流れるように倒れ込む。
同時にティロンと電子音が響いた。
『どうだった?』
ボクに連絡を取ってくる人物。それも私用でとなれば、家族以外だと二人しか居ない。
通知に表示されていた名前は――
「神子か」
ボクの友人である彼女のものであった。
少し迷った後、スマホに文字を打つ。
『電話していいかい?』
それと電話が掛かってくるのは同時の事だった。
「はい、もしもし」
『月夜! どう? 上手くいった?』
「テンションが高いね」
『そりゃそうよ! 私がかんっぺきな作戦を考えてあげたんだからね!』
その言葉に苦笑いをしてしまう。
同時に、数日前の事を思い出していた。
◆◇◆◇◆
「どうしたのよ、いきなり相談なんて。専門外の事?」
「ああ、いや。違う、今日は学会関係じゃないんだよ」
黒髪を背中まで伸ばし、三つ編みでお下げを作った可愛らしい少女。
赤いメガネをかけていて、とても知的な雰囲気を持っている。その目つきは少し悪いものの、彼女は可愛らしいのでチャームポイントにしかならない。
数少ない私の友人であり、同胞だ。
「ところで神子。恋はした事があるかい?」
「ええ。論文が恋人だけど」
「いや、今は大喜利をしている訳じゃなくてね」
さすがに冗談だったらしく、神子は薄く笑っていた。
「恋って。あの恋よね?」
「その恋だ」
「ああ、なるほど。やっと気づいたのね」
「へ?」
彼女がはぁ、とわざとらしくため息を吐いてボクを見た。いつもより悪い、ジトッとした目つきで。
「あのね。毎日何百回も月夜から彼について聞いてるのよ。寧ろ分からなかったらバカ以外の何者でもないわよ」
「うぐっ。だ、だって、神子以外に話す人がいないし」
「まあ良いわ。それで? 月夜は恋をしたの?」
ニヤニヤとした顔で聞いてくる神子。こちらとしては心の準備がまだ出来ていないのだが。
「……また、彼と昔みたいに仲良くなりたいんだよ」
「ふーん?」
どうにか言葉を選んで返すも、神子はボクの言葉を聞いてニヤニヤとしていた。
怒る気が起きないのは、家族と彼を除けば一番長い付き合いだからだろう。
「ふっふっふ。よく私に相談してくれたわね」
「なんだろう。キミに相談した事が失敗だったような気がしてきた」
「まあまあ。簡単な事よ。これでも私は研究以外に恋愛漫画も
ため息が漏れそうになった。やはり失敗だったか。
そう考えている間にも神子は話し続けている。
「甘いわね。恋愛漫画はキュンキュンするものなの」
「はあ」
「そして、恋愛漫画は文字通り恋愛の指南書でもあるのよ。世の女の子達が読んでいるの。実践的じゃないのも当然あるけど、探せば実践的なものもあるのよ」
その言葉にふむ、と返した。
少なくともそれに反論する材料をボクは持ちあわせていなかった。その手の類のものは読んだ事がなかったから。
もしかしたら、彼女の言う通り本当に使えるものがあるのかもしれない。
「一応聞かせてくれ。彼と昔のように――」
「甘いわ」
言葉に割り込んでくる神子。彼女はニヤリと笑った。
「自分に正直になるのよ! さあ! 恋? 恋何になりたいの?」
「ちょっとキャラ変わってないかい!? キミ、もっと知的なキャラだったよね!?」
「そりゃ変わるわよ。研究の次に好きな事なのよ!」
「こんなところでキミの新たな一面を知りたくなかったけど……まあいいか」
ふう、と。顔に溜まっている熱を逃がすように息を吐くも、上手くいかない。
初めての研究発表でも、まだすんなり言葉が出たはずなのに。
「こ、恋人になりたいんだよ。彼と」
「んんー? 誰と?」
「い、イズだよ!
そう言葉にするだけで胸が高鳴る。顔が熱くなる。
そんなボクを見て、神子が慎ましい胸をドンと叩いた。
「この神子に任せなさい!」
◆◇◆◇◆
「それでそれで!? 私の【押すのが無理なら引いてみやがれ作戦】はどうだった?」
「キミ、相変わらずネーミングセンスないよね。でもどちらかと言えば成功だったと思うよ、うん」
【押すのが無理なら引いてみやがれ作戦】
名前は非常にアレだが、シンプルな作戦だ。
まず彼に恋愛相談を仕掛ける。
そして彼に『失ってから大切なものに気づかせる』もとい『独占欲を引き立て、好きだと気づかせる』という作戦である。
と、彼女から概要だけ聞いてボクは予測した。
神子とのやり取りはお互い察しが良い事もあって、二、三回で済むのだ。
名前は非常にアレだが、効果がなかった訳ではない。名前は非常にアレだが。
「特に、じ、実際にデートに行きたい……と告げた時の反応は凄まじかったよ、うん」
『やっぱり!? さっすが私ね。もっと褒めても良いのよ!』
「あ、ああ、うん。ありがとう。しかし、彼を引き合いに出すのは心苦しいな」
ただ一つ、気になる所があるとすればそこである。
【因幡の白兎】
彼の存在だ。
彼のお陰で、この苛烈な環境を生き延びる事が出来たと言っても過言ではない。彼の応援がなければ、ボクは折れていただろう。
そんな彼を、ボクは利用しているのだ。
最初は渋ったものの、神子に凄まじい勢いで彼の事を言えと言われたのである。
結局その選択をしたのはボクなんだけども。
「……?」
「なんだい? 急に黙って」
「あれ?」
「どうしたんだい? 文献にミスでも見つかったかい?」
彼女が疑問の声を上げるのは珍しい事だ。
彼女は声を上げるくらいなら、その時間すら惜しんで正しい情報を探し出すのである。
「……いや、なんでもないわ。ちょっと虫が邪魔だったから」
「ふむ? そうかい」
「ちょっと話は変わるんだけどさ。月夜って神話とか好き?」
「なんだい、また唐突に」
いきなり話が変わった事を不審に思うも、彼女の場合は良くある事である。
なんとなく気になっただけと言う彼女へとボクは考える。
「神話か。勉強しようしようと思ってはいたが、全く手を出せていないね」
「……全く? それってイザナギノミコトとかイザナミノミコトとかも?」
「聞いた事はあるな。国生みの神話だったか。多分、昔テレビか何かで見たと思う。他は一切知らないな。海外のものは特にさっぱりだ」
「へえ、意外」
彼女の言葉に苦笑を漏らしてしまう。
「ボクだって人間だよ。手の届かない範囲だって当然ある。民俗学や天文学なんかもさっぱりだからね。そういえば、キミはその辺りまで守備範囲だったかい」
「……そうね。でも、そっか。そうなんだ」
そこで興味はなくなったのか、話が線路に戻り。走り始める。
「じゃあ次の作戦会議、しましょうか――」
◆◇◆
一通り話し終わった私は電話を終え、スマートフォンを机の上に置いた。
「ふ、ふふ」
思わず笑いが漏れてしまう。まさか――あの完璧超人に穴があったとは思わなかったから。
彼女の事が嫌いな訳じゃない。寧ろ、仲間意識の方が強い。好きと言っても良い。
月夜も私の事を嫌っていないだろう。
友人。いえ、親友とも呼ぶべき存在。
『彼』の事は本当ならば、教えた方が良いのかもしれない。
でも、それでも。気になってしまった。
「どんな結末を迎えるのかな」
今の私は多分、人に見せられない顔をしている。
さすがの私でも、友人が不幸な目に遭うのは嫌だ。
だけど、彼の名前を借りるのなら。バッドエンドに向かう事はないはずだ。
なんせ――【因幡の白兎】と【神尾出雲】は同一人物なのだから。
まさか、その事に月夜が気づいていなかったとは。思ってもいなかった。だからちょっと話が噛み合わなかったんだと今更ながらに思う。
さすがにこのパターンは初めてで、彼とどんなラブコメを繰り広げてくれるのか想像しただけで笑みが漏れてしまった。
机に積み重ねられた論文は明日にまわし、私は眠りにつくのだった。
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