第7話 クイーン・シルフィード

 目的のクイーン・シルフィードに対面できた。


「よろしくお願いします。ジャック・シューと申します」


「詳しい話はちょっと待ってね。まずはズーちゃんを治療してあげないと」


「あ、はい」


 彼女は、アンズーのそばに降り立つと、右手を伸ばす。


 彼女の右手が緑色の光に包まれ、その光から吹き出す優しい風が、アンズーの体を撫でた。


 『浄化の風』だろう。状態異常を治し、体力を少しだけ回復させる効果があった。風を浴びたアンズーが動き出す。


 もぞもぞと寝起きのような動作であったが、俺を認めると、ギャーギャー叫んで、逃げ出した。


 そのまま飛び立ち、渓谷の空に消えていく。


「あらあら、まだ完了していなかったのに。まぁ、でも、あの調子なら大丈夫そうね」


 彼女は満足そうにアンズーを見送り、「さて――」と俺に目を向ける。


「それにしても、あなたすごいわね。その力は足枷だろうに、利用しちゃうなんて」


「まぁ、普通ですけど」


 別に驚くようなことじゃない。前世では、ありとあらゆるガチャに失敗し、限られた手札で戦ってきた俺にとって、これくらいのことは楽な部類に入る。


「ふーん。それで、あなたは私との契約をお望みなのかしら?」


「はい」


「どうして?」


「この臭いを何とかしたいんです」


「私と契約しても、あなたの言う臭いを止めることはできないわよ。対処療法的なことはできるでしょうけど」


「……つまり、スキルそのものを消すことはできないが、臭いを何とかすることはできるということでしょうか?」


「その通り」


 やはり、災害スキルの死亡フラグは折ることができないみたいか。


 でも、【厄臭】の対策ができるなら、風魔法が使えるのはアリだ。


 今は行動に制約が掛かりすぎて、いろいろと不便だし。


「わかりました。それでも俺には十分すぎるほどです。どうか俺に力を貸してください」


「わかったわ。でも、一つだけ条件がある」


「何ですか?」


「痩せなさい」


「え」


「私、見た目が不潔なものは嫌いなの。だから、私と契約したいなら、痩せなさい」


 ……やれやれ。彼女はルッキズムというものを知らないらしい。それも仕方がないことか。ここは俺がいた現実世界とは違うし。


 なら、教えてげるしかないな。


「あの、見た目で人を差別するのって良くないんですよ。太っているのも俺の個性です」


「そうなんだ。だから、何? あなたの信条とか私に関係ないわ。私と契約したいなら、痩せなさい。そのボサボサの髪は私が切ってあげるから。で、どうする?」


 確かに、精霊である彼女には、人間界の常識とかどうでもいいだろう。なら、俺がすべきことは一つしかない。


「わかりました。痩せます。なので、契約してください」


「了解。契約成立ね。あ、そうだ。太ったり、だらしない身なりをしていたら、契約は解除するつもりだから」


 彼女は微笑みながら言った。彼女は俺の母親か何か? 俺の私生活に干渉しすぎだろ。ゲームだともっと簡単だった気がするが……。


 そういえば、ゲームだとお洒落に気を遣っているイケメンで契約したっけ。なら、彼女の要求も納得だ。


 まぁ、でも、悪臭を放ち続けることに比べたら、見た目に気を付けることなど、それほど苦じゃないだろう。


 むしろ、いつも清潔感のある生活ができると前向きに捉えるか。


「あれ? でも、痩せることが条件だとしたら、痩せるまで契約できないってことですか?」


「ん。特別に契約してあげる。けど、痩せるまでここにいてもらうから」


「え」


「あなたにとっても丁度いいでしょ。その間に、魔法の使い方も教えてあげる」


「そういうことなら……」


 こうして、ダイエットを兼ねた魔法の修行が始まった。


 ――翌朝。


 シルフィとの話し合いの結果、毎朝ランニングしなければいけなくなったので、起床後に渓谷内を走った。


 祠に戻ると、シルフィがご飯を用意してくれたので、それを食べる。


 ロック鳥の肉を焼いたものとよくわからない野菜のサラダだった。


 味気ないので、ある種の作業だと割り切って、腹に収める。


 シルフィは、宙に漂って、その様子を見ていたが、何か閃いた顔で口を開く。


「あなたの臭い対策が思いついたわ」


「何ですか?」


「まず、あなたの体に薄い空気の層を張って、臭いを閉じ込める。そしたら層の一部を『浄化層』にして、そこから臭いを放出するようにする。そうすれば、浄化された空気が排出されるようになるから、あなたの臭いは抑えられるようになる」


「……そんなこと、できるんですか?」


「ええ、私なら。そして、その私と契約したのだから、あなたも使えるようになるわ」


「なるほど」


 自分ができるから他の人もできるは、ブラック企業の常套句に思えるが、今は彼女の考えに従うしかない。


「ちなみに、浄化層で全体を覆う方法はダメなんですか?」


「ダメじゃないけど、魔力を大量に消費するから、現実的じゃない」


「……確かに」


 言われて思い出した。浄化系の魔法は、魔力消費が激しい。だから、ほぼ魔力を消費せずに浄化できるマリアは特別なのだ。


「それじゃあ、まずは空気の層が張れるようにしましょうか。ご飯を食べたら、ついてきて」


 そしてシルフィに連れていかれたのは、渓谷内にある滝だった。風は、比較的穏やかである。


 落差が40メートルはありそうな滝だった。水が激しく打ち付けられている。


 まさか、滝行をしろとか言われないよな?


「あなたには、空気の層を張った状態でこの滝に打たれてもらいます。もしも、ちゃんと空気の層が張れていれば、あなたの体が濡れることは無いから、ちゃんと張れているか、チェックしながらやるのに、この場所はちょうどいいの」


「……なるほど」


 想像通り滝行だった。が、理由がちゃんとあるので、拒否をするのが難しい。


 そのとき、岩が流れてきて、目の前でスイカみたいに割れた。


「……ここでやるんですか?」


「ええ、そうよ。さ、それじゃあ、私の言う通りに空気の層を張ってみて」


 シルフィからやり方を教えてもらい、空気の層を張る。


 岩を伝って、滝そばまで移動すると、飛沫で辺りが白くなっていた。


 意を決して、滝に飛び込む。


 ――瞬間。頭上から凄まじい圧力。膝を屈し、そのまま滝つぼへ落ちそうになったが、何とか堪える。


 空気の層を意識するよりも、その場に立っているのがやっとだった。


 だから当然、層は途中で壊れ、俺はびしょ濡れ。


 頭の先からつま先までずぶ濡れになって、シルフィの元へ帰る。


「あはは。全然ダメね!」


 シルフィは笑っていたが、笑い事ではない。恨めしそうな視線を送ると、シルフィは温風で返した。


「はい。これで乾いたね。んじゃ、もう一回やってみようか」


「え、休憩とかは?」


「そんなものは必要ないでしょ?」


 シルフィは不思議そうな顔で俺を見返した。


 ……そうか。そうだよな。精霊に、労働基準法の概念は通用しないよな。


「ささっ、早く!」


 俺のため息は滝の轟音にかき消された。


 ルナ。俺はもしかしたら、この渓谷から生きて出ることができないかもしれない。

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