短篇『君がいない世界は要らない』

南 ヱ斗

『君がいない世界は要らない』



 右足を乗せると、何段目とも知れない階段の踏み板が音をたてて軋む。白い塗装が剥げ赤茶けた錆にまみれる丸いすりを確かめるように握る。


 螺旋階段を登りながら、ふと考える。


 もし、この階段が崩れれば、僕は死ぬだろうか。


 それは偶然か、必然か。前者ならば、僕の潜在的な願望が結実した故なのか。


 冴えない死に様だけど、まあ僕らしい終わり方だとも思う。




 いつか読んだ小説にこうあった。



 ───『あなたが空しく生きた今日は、昨日死んでいった者があれほど生きたいと願った明日』



 以前の僕はその言葉を一笑に付した。

 どれだけ願っても、カミサマは取り合ってくれないだろう、と。



 でも。

 今の僕は、日々は奇跡の結実だと知っている。


 隣り合って見た朝日を眩しいと泣いて、生きたい生きたい生きたいと流れ星に願うように口早に唱えた彼女を僕は知っている。


 それなのに、君は逝ってしまった。



「教えるだけ教えて、後はほったらかしだなんて、なんて意地の悪い女だ。やっぱり君に教師は無理だよ。明日は三回忌だし、君の家に行くから、おばさんに話しておいてやる。額縁に収められた君の笑顔に、無様に泣いたことも今では笑い話にできる」



 気付けば、唇は想いを紡いでいた。



「あの日貸したまんまのハンカチは、君にあげることにした」



 僕はそこで右足を引き、───言い忘れたことを思い出した。



「ああ、弁明させてくれ」



 今思い出したとでも言いたげに、



「屋上に来たのは、ここなら君の声が聞こえる気がしたんだ。別に死のうってワケじゃない」



 もし、僕が自殺する事があるとするならば、それは『君がいない世界は要らない』と思ったときだ。



「それじゃあ───」



 僕は真っ青な空を抱き止めるように、両手を広げた。



 あの日───。





「そろそろ話してもいいかしら。この写真ね、あなたと二人で撮った物らしいのよ。遺影に使うなら絶対コレってあの子聞かなくって」


「え───?」



 額縁に納められた君の笑顔を見つめながら、思い出したように困り顔で笑うおばさんの言葉に僕は掠れた声を漏らす。



「一回忌まで話しちゃダメだからねって口止めされてたの」


「そうなんですか‥‥」


「アイツにはちゃんと泣いて欲しいからって。泣いたら、空の上から指差して笑ってやるんだって、嬉しそうに言ってたわ」



 ───アンタはいつも強がりだから、どうせ泣けてないんでしょ?



 そんなこと無いさ。───君の声が聞こえる。



 ───アタシの泣き顔見たコトは、コレでチャラにしてあげる。



 あれはノーカンって言ってたのに───



 ───アタシ以外の前で泣かれるのはなんかヤダから、泣きたくなったら家に来なさい。



 こうかはばつぐんだ───



 ───おかーさんに見られちゃうけど、ソコはしゃーなし。許してあげるワ



「おばさん、ごめんなさい」


「いいのよ」君にそっくりな泣き笑いの笑顔。一度許されてしまえば、それは止まることを知らなかった。



「──────────────────」涙が止まらない。止まってくれない。



 正直に言おう。


 君を思って泣けば、その涙の分だけ、悲しみが薄らいでしまう気がした。


 君がいなくなったことを悲しめなくなる気がした。


 僕はもう、君の声すらもはっきりと思い出せないから。


 どれだけ馬鹿げていても、神様とやらに祈る。


 もう一度だけ、逢わせてくれないかな。



 声が聞きたいんだ。



 笑顔を見たい。



 想い出じゃあ足りない。



 あの日の君の温度に僕は救われたけど。



 夢の中だけで構わないから、今度は笑ってほしい。



 どうにもならないと理解わかってる。



 もう、これ以上は望めない。



 そう諦めてしまえるほど、幸せな日々だったよ。



「きみが居ない世界は要らない」



 そう、口走りそうになるくらい。



 ◇◇◇



「それじゃあ、最後に一つだけ」



 僕は真っ青な空を抱き止めるように、両手を広げた。



「君が居ようが居まいが、僕は笑って生きてやる」



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短篇『君がいない世界は要らない』 南 ヱ斗 @silver-lining

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