見知らぬ他人の善意

谷地雪@悪役令嬢アンソロ発売中

見知らぬ他人の善意

「マキ先輩ってぇ、男キライですよねぇ。てゆーか、人間キライ?」


 安いキャバクラの待機席。暇を持て余した後輩からの、本気で興味はなさそうな雑談に、私は煙草の煙を吐き出してから気だるげに答えた。


「あーまー、そうかもね」

「それでなんでこの仕事してるんですかぁ? 夜職なんて、サービス業の頂点みたいなもんじゃないですかぁ」

「他人にサービスしたくて夜職始める人間はなかなかいないと思うけどねぇ」


 激戦区の高級ラウンジとかならともかく、場末の安キャバなんかにこころざしのある人間は来ない。

 かく言う私も、単純に金のためだ。夜職の方が稼げるから、ではない。昼職をこなした上で、夜職も兼業している。田舎の安月給では、昼職だけでは暮らしていけない。そしてがっつり夜職だけでやっていけるほど太い客はその辺にいない。どちらか片方では無理なのだ。


「カナはお喋り好きだから、それなりに楽しーしいーんですけどぉ。キライな人を楽しませるの、ムズくないです?」

「男嫌い結構いるよ。嫌いだから金をむしるのに躊躇しないし、嘘も平気でつけるし、破滅しても知ったこっちゃないし」

「えぐぅ」


 灰皿に灰を落として、再び深く煙を吸い込む。

 口には出さなかったが、夜職に男嫌いが多い理由はもう一つある。自傷行為の一種なのだそうだ。

 トラウマの再演、だったか。これはキャバクラよりも風俗に多いように思う。

 私も昼職についていなかったら、風俗に流れていたかもしれない。体を売ることに抵抗があって避けたわけじゃない。実際、風俗店も勤務先として候補に入れて、調べてはいた。しかしやはり身バレした時のリスクがキャバクラよりも高く、風俗で一生分稼げるほどの価値は己に無いと思ったので、その内昼職一本に絞れるように、中途半端なところを取った。それだけの話だった。

 そんな弱味にもなりそうなネタは、ライバルには提供しないが。キャバ嬢同士の会話など、店や客の情報と愚痴ばかりだが、迂闊に口を滑らせるとあっという間に潰されるので案外気を遣っている。


「その割にはマキ先輩、お人好しですよねぇ。あんまり鬼課金させないじゃないですかぁ。売上微妙で後輩に馬鹿にされてんのに、ちゃんと面倒みてあげるしぃ」

「新人がすぐ辞めると、こっちに皺寄せくんだよ」

「えーツンデレうける」


 カナに笑われて、私は眉間に皺を寄せて煙草を噛んだ。


「人間みんなキライなら、カナのこともキライですかぁ?」


 小悪魔的な笑みで上目遣いに見つめられて、私は半眼になった。可愛い奴は何しても可愛い。カナの売り上げは私とは比較にならない。

 容姿による生涯賃金格差は三千万以上になるという。夜職に限って言えば、それはもう億だろう。

 なんでこんなとこにいんだ、と思う美人もたまにいるが、それはつまりカナと同じだ。場末の安キャバならトップになれる。しかし、ランクを上げてしまうと埋もれる。自分が戦える場所をわかっているのだ。

 要領が良く愛嬌があり割と可愛い。こんなのはあっと言う間に目標額稼いで辞めるか、結婚すんだろうな、と遠い目をした。


さかしい奴は嫌いじゃないよ」

「わーい、褒められた!」

「そゆとこなぁ」


 私に積極的に話しかけてくる嬢はカナくらいだ。人に好かれるタイプではない自覚くらいある。


「でも、カナのことが好きってことは、人間みんなキライじゃないですよね。少なくとも一人は好き!」

「誰もお前が好きだとは言ってねーよ」

「しんらつぅ」


 ぴえん、と泣き真似をするカナを白けた顔で見る。可愛い女だけに許された仕草である。


「でもマジメな話、人嫌いなら引きこもってできる仕事探した方がいいですよぉ。こんなとこいたら病みますよ」

「いんだよ。人間関係は嫌いだけど、人間という生物せいぶつはそんなに嫌いじゃないから」

「え、なんですかそれ。生物学的な話なんですか? もしかしてグロイ方向の話ですか? それちょっと勘弁です」


 素のトーンでガチめに引かれたので軽く凹んだ。誰も解剖したいとか言ってないのに。私だってグロイのは勘弁だ。弁解しようと口を開きかけた所で、私を呼ぶ黒服の声がした。仕方なく煙草を灰皿に押し付けて、待機席を立つ。


「行ってくる」

「いってらー。むかついても殺しちゃダメですよぉ」


 軽口を叩くカナを一睨みして、私は十六センチのヒールをカツカツと鳴らして客席に向かう。

 先ほどまでの不愛想が嘘のように、満面の笑みで、少し腰を屈めて胸を強調しながら、甘えた声で挨拶をする。


「初めましてぇ、マキです! お隣いいですかぁ?」


 五十代後半くらいの頭部が後退してきている男が、不機嫌そうに鼻を鳴らした。いるいる。キャバクラに遊びにきているのに、全力で機嫌を取ってもらおうとするタイプ。ああ、面倒な相手だ。くそダルイな。


 男なんか嫌いだ。人間も嫌いだ。全部全部面倒。無理。捨てたい。辞めたい。人生なんか止めてしまいたい。

 それでもどうにかこうにか生きているのは。嫌いだと言いながら人と関わって仕事をしているのは。

 人間というものに、多少なりとも期待をしているからなのだろう。



+-+



 平成も中頃。集団自殺が流行った。

 流行った、という言い方は適切ではないだろう。実行された件数がどれほどあったのかはわからない。ただ、言葉として流行った、という感覚はある。実際に行われてニュースにもなったし、集団かどうかが不明というだけで、自殺者数の推移だけ見れば、この頃はまさにピークだった。

 令和ほどインターネットが発達し、誰もがスマホを持つ現代では考えられないだろう。当時はまだ、ネットは「画期的」だった。

 子どもは携帯電話なんか持っていなくて、パソコンは一家に一台あればいい方だった。そんな中で、「掲示板」という不特定多数と匿名でコミュニケーションが取れるツールの登場に、皆が沸き立った。あの有名な某ちゃんねる掲示板が誕生したのもこの頃だ。

 現実に同じ趣味の友達がいなくても、ネットの中でならいくらでも語り合える。同好の士が集う。そんな楽しい使い方なら良いが、当然そうでない使い方も存在する。

 犯罪に誘う者。出会いを求める者。そして、死を望む者。


 自殺というのは勢いでやるならまだしも、計画を立てるとなるとなかなかハードルが高い。心理的にも、物理的にも。

 一人で死ぬのは怖くても、友達に「一緒に死んでよ」なんて言ったらあっと言う間に絶縁され、頭のおかしい奴としていじめられる。それ以前に、そんな弱音を吐ける友人がいるなら死を選ばない気もするが。

 ところが、掲示板ではこれが叶う。「もう死にたい、誰か一緒に死んで」と言うと、「私も」「俺も」と人が集うのである。赤信号、皆で渡れば何とやら。人数が集まると強気になる。実行できる気がする。具体的な案を出してくれる人がいる。

 これで、集団自殺の掲示板が乱立した。まだ今ほど規制されることもなかったからだ。

 しかし相手は見知らぬ他人である。本当に一緒に死んでくれるかはわからない。面白半分でからかう者、女性を誘い出して性加害を企む者、様々だった。本気で集団自殺に参加したければ、本気度が高く信頼できそうなグループを探さないといけない。


 だから私は探した。中学生の時。私は本当に死にたかった。


 当時は自殺防止にそれほど力が入っていなかった。自殺しようと検索をかけても、セーフティネットのようなものは上がってこなかった。まだ鬱は心の弱い頑張りの足りない人だったし、発達障害は空気の読めない馬鹿な奴だった。心に病気なんて存在しなかったし、ほとんどのことは本人の「性格」とされた。

 だから「死にたい」なんて言っても、「辛かったね」なんて慰めてくれる人はおろか、「そんなことを言っては駄目」と止める人すらいなかった。なんなら子どもの口にする「死にたい」なんて麻疹のようなものと言われ、「誰もが通る道だから放っておいてもその内治る」という扱いだった。(今では麻疹は誰もが罹る病気ではないが、要するに麻疹もそんな認識だった頃だ。)


 発達障害の傾向のある私は学校で浮いていて、友達ともあまりうまくいっていなかった。気分が落ち込むことが多く、しょっちゅう死にたいと思っていた。いつ死んでも大丈夫なようにと、お守りのように遺書を用意してあった。

 周囲は誰もが自分を嫌っていると思っていた。関わるたびに嫌な顔をされるなら、誰とも関わらずに消えてしまいたかった。

 両親はいつも喧嘩ばかりで、特にお金のことで怒鳴り合っていた。だから私は、自分が死んだら両親は喜んでくれるだろうと本気で思っていた。私の分のお金が浮くからだ。


 私は要らない子だった。望んだ子ではなかったが、できてしまったから仕方なかったという旨の話を聞かされたことがある。子どもがいなかったら離婚できたのに、とは母の口癖だ。

 小学生の時だったか。自分の名前の由来を調べる、という宿題が出た。名前は親から子への最初のプレゼントだという。自分の名前にどんな意味が込められているのか、期待して聞いた答えは「適当」だった。

 よくテレビや本では、名前をつけるのに辞典などを見たり、画数を調べたりしているのを見る。実は縁起のいい名前なのかもしれない、と姓名判断を調べたことがある。大凶だった。本当に意味など無かった。私の出来が悪いから、育てていく内に辛くなったのかもしれないという推測も虚しく、生まれたその瞬間から私はどうでも良かったのだ。


 私を現世に引き留めるものは何もなかった。家族も、友人も、恋人も。

 大人から見たら笑われるような言い草だろうが、中学生にして、私は人生に疲れていた。すぐにでも逃げ出して楽になりたかった。こんな毎日は耐えられなかった。

 だからネットの中で仲間を探した。子どもが一人で死ぬのは大変だ。誰か、一緒に死んで。


 そして私は、一つの大きな釣り針に引っかかった。



 今ではネットスラングとしてすっかりお馴染みの「釣り」。嘘の情報で人を集め、自分の見せたい情報を見せたり、広告へ誘導したり、炎上を狙ったりというもので、基本的には悪い意味で使われる。

 この場合の釣りは、「集団自殺募集」というのが嘘の情報だった。つまり、集団自殺を望む者が閲覧するように誘導しておきながら、実際には集団自殺のためのサイトではなく、「自殺防止」のためのサイトだったのだ。

 そこに書かれていたのは、ありふれた陳腐な言葉だった。辛い中でよく頑張った。あなたは死んではいけない。今いるそこは全てではない。未来は必ず拓ける。


 そんな言葉を目にしたら、今の人たちは鼻で笑うだろうか。しかし、思い出してほしい。この頃、そんな言葉は

 精神科が存在しないわけじゃなしに、よくよく探せば、どこかしらに相談窓口へ繋がる道はあったのかもしれない。しかし、検索したら相談窓口より先に自殺募集にアクセスできた頃だ。その中で、そのサイトは、少なくとも私にとっては異質だった。


 そのサイトには、連絡用のメールアドレスが載っていた。私は子どもなりの拙い言葉で、どこの誰とも知れない相手に、自分の辛さを吐き出した。

 返事はきちんと返ってきた。思い留まってくれて良かったと。あなたが生きていてくれて良かったと。私の未来を、その人だけが願ってくれた。

 教師も、養護教諭も、両親も、友人も、誰もかけてくれなかった言葉。本当は誰に許される必要もないはずなのに、それでも、私がこれからも生きていくことを、顔も名前も知らないネット上のこの人だけが肯定してくれた。


 今のネットリテラシーから考えたら、おそらくギリギリの対応だ。というか、あまり良くないだろう。

 まだ良識の曖昧な子ども相手に、優しく寄り添う言葉をかけて引き込むのは犯罪の常套手段だ。この人はたまたまロリコンではなかっただけで、例えば私が女子大生だったら、会って相談に乗るという話になったかもしれない。お金を持っていそうな大人だったら、スピリチュアルな商材を買わされたかもしれない。単純に、他人の不幸を見たいタイプの野次馬だったのかもしれない。

 そもそも善意だったとしても、専門知識のない素人が迂闊に深入りした場合、間違った方に背中を押してしまう可能性がないとも言い切れない。

 たまたまこの時は幸運にも、話は穏便に済んだ。それだけだ。


 悪いようにはいくらでも考えられる。ただ私は、ひとまずこの出来事を良い思い出としてカテゴライズしている。

 まだセーフティネットが機能していなかった頃。自殺が流行っていく世の中で、それを憂いて行動に移した人がいた。一銭にもならないのに、わざわざサイトを立ち上げて、どこの誰とも知れない相手の鬱メールに付き合っていた。

 他人のために、無償で労力を割くという行為がどれほど大変か。それは大人になるほどわかるだろう。


 大半の人間は敵だ。積極的に害してくる悪意ある人間は少ないかもしれないが、自分に害が及ぶとなれば、途端に他人がどうでも良くなるのが普通だ。災害時の振る舞いを見れば明らかだろう。人は利害なしに他人を助けない。

 そして数は少なくとも、悪意ある人間は弱者を狙い撃ちしてくる。弱者はそれに抗えない。助けはない。世は弱肉強食。弱者が笑顔で日々を謳歌できる世界は、理想郷ユートピアにしか存在しない。

 一日三食の内、二食に毒が仕込まれている日々が続いたとして。どうして一日一食しかない「毒の無い方」を最初から期待して口に含めるだろう。まず毒を警戒するのが自然だ。他人と接するというのはそういうことだ。

 しかし、一食は確かに無毒なのである。それに当たったら幸運。人間の善性とは、そういうものだと思っている。それは稀に自分にも見えるものかもしれないし、自分ではない誰かにしか見せないのかもしれないし、本人のみに向けられるものかもしれない。

 ただ、いつ如何なる場合においても全方位に毒しか持たない人間というのも、極めて稀なのである。


 基本的には毒を盛られると思っている。だから人間関係は嫌いだ。人とはできるだけ関わりたくない。

 しかし、人間の善性は信じている。それが自分には決して向けられないとしても、持ち合わせているとは思っている。だから人間という生きものそれ自体を嫌う気にはなれない。


 今私が生きているのは。見知らぬ他人の善意による結果だからである。



+-+



「はい、あーん♡」


 まぁその結果として、生きてはいるが、場末の安キャバで見知らぬおっさん相手に食べさせあいっことかしているわけである。それを良かったと取るかどうかはご想像にお任せする。

 おっさんの唾液がべったりとついたフォークを大変に気持ち悪く思いながらも、同じように食べさせてもらう。客の機嫌を損ねると大変なので、店としてルール違反などがない場合、基本的に「拒否」というコマンドは嬢の側には存在しない。ほとんどの店はやましいことがあるので、警察は呼べない。面倒を起こせないのだ。


「マキちゃん可愛いねぇ。このあと一緒にご飯行こうよ」

「嬉し~! でも今お腹空いてないからぁ、今度一緒に食べに行きましょうよ。美味しいもの食べて、その後お店で飲めたら楽しいだろうなぁ」


 要は同伴の誘いだ。アフターはくそめんどいし、ご飯で終わらない可能性があるから断固拒否の構えである。これに関しては店外での行動になるので拒否コマンドが発動可能。


「えぇ~? お腹空いてないなら、ご飯じゃなくていいからさ、店の外で飲もうよ」


 言いながら体を寄せて、短いスカートの中に手が入る。最初の不機嫌面はどうしたくそオヤジ。

 さてここでクイズである。キャバクラではお触りは厳禁だ。では、この行動に対して拒否コマンドは発動可能か。


「も~だいぶ酔ってるでしょ~、めっ!」


 答えは「微妙」である。

 冗談めいた口調で外そうとするが、手は退けてくれない。顔は笑顔をキープしているが、内心は罵詈雑言である。

 先に述べた通り、キャバクラではお触りは厳禁だ。店のルールでもそうである。きちんとした店なら黒服がしっかり叱ってくれる。罰金取られるかもしれないから本当に気をつけろ。

 しかし場末の安キャバでは、触らせることで金を取っている嬢が存在する。そうなると、当然黒服も止めない。他の嬢は触らせてくれる、店員も止めない、ではルールとして成立しない。むしろ「暗黙のルールとしてOK」ということになる。この場合、一人だけ強く拒否するとトラブルの元になる。

 偶然を装って酒でもぶっかけてやろうかな、と考え始めたところで。

 ぱしゃ、という水音と共に、頭が冷たくなった。


「きゃ~! やだぁ、マキちゃんごめんなさぁい!」


 キンとくる高音でわざとらしく謝ったのは、カナだった。


「どうしよ~、ドレス染みになっちゃう! それすっごく高かったんでしょぉ?」

「うん、バースデーで買ったとっておきなんだけど……でも今、せっかく鈴木さんとお話してるしぃ……」


 名残惜しそうな、縋るような目でおっさんを上目遣いで見上げる。イメージは平成に人気だった某消費者金融のCM犬である。


「いいよぉ、着替えてきなよ! 待ってるからさ」

「ほんと? 嬉し~! 帰っちゃやだからね!」


 そそくさと席を立って、見えないようにカナにバトンタッチする。


「もうちょっと上手くやってくださいよぉ」

「ごめん、ありがと」


 この手のあしらいはカナの方が上手い。客に背中を向けているから、ほっとして緩んだ表情を見せる。大丈夫、というようにカナが手を絡めた。


「まぁ任してくださいよ。ケツ毛までむしり取ってやりますから」


 星が出そうなウインクをかまして、するりと手を解いた。そういう表情は客にしてやれ。


「マキちゃん戻るまでカナとお喋りしてましょ~!」


 カナが席に着いたのを確認して、バックヤードの方へと向かう。もちろん、ホールを出るギリギリまで手を振って、早く立ち去りたい気持ちは悟らせないようにしながら。


 狭くて薄汚いバックヤードで、タオルで乱雑に頭を拭いてからドレスを脱ぐ。ヘアセットは勤務前に専属の美容師がやってくれる。料金は毎月勝手に福利厚生費として給料から引かれるので、頼んでも頼まなくても金は取られる。順番待ちが嫌で頼まない嬢もいるが、私はどうせ払うならとやってもらっている。

 美容師は遅入りの嬢のために暫く待機していることもあるが、開店数時間でいなくなる。今日はもう退勤済みだ。自分では元通りにできないので、全て解いてから適当に纏め直す。すぐにドレスに着替える気になれなくて、暫く下着のままぼうっと椅子に腰かける。誰かが来てドアを開けたら丸見えなわけだが、もうそんな恥じらいは残っていない。

 どうせならこのまま一服していくか、とサボっていると。


「おいマキ!! お前着替えにどんだけかける気だ! さっさと戻れ!」

「ちっ」

「堂々と舌打ちすんじゃねぇ、サボリ分給料から引くぞてめぇ」

「だったらお前の怠慢分も給料から引け。ああいうの止めてって前も言ったじゃん」

「あのくらいあしらうのが嬢の仕事だろ」

「やってらんねぇ~。うちの黒服は金にならないくそ客引っ張ってくるしか能がねぇ~」

「なんだとてめぇ。だったら自力で呼べ」


 呼び戻しに来た黒服相手にだらだらと愚痴りながら、渋々着替えてホールへと戻る。

 先ほどのくそオヤジはどうなったかと視線を向ければ、カナによってほとんど潰されていた。さすが。

 視線に気づいたカナがポーズを取った。可愛いな、と思いながら私もジェスチャーを返す。


 別の客の席について、貼りつけた笑みで、上っ面の会話をする。

 ああ、くそダルイ。やっぱり人間なんか嫌いだ。


 だけど、ごくたまに、さっきみたいなこともあるから。うっかり、誰かの善意に触れたりすることがあるから。

 結局私は毒だと思いながら、口にすることをやめられない。


 これからも、そうして生きていくのだろう。仕方ないから、終わりの時までは付き合ってやる。


 これからもよろしく、私。

 これからもよろしく、人間ども。


 世界はそんなに悪くないぜ。

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